「珍しいわね」
いつもより早くない?
カウンター席に見慣れた男を見付け、乱菊は意外な思いで呟いた。
「ま、たまには」
言いながら、灰皿を避けてテーブルを空ける修兵の動きに促され、いつもの席に向かう。
「今日は赤ね。あと、ドライフルーツ盛り合わせ。チーズ付き」
「……とうとう開き直ったんスか?」
メイン変わってますけど。
「いーのよ、あたしだから」
「乱菊さん。盛り合わせは別にいいんだけどさ。ウチ、ドライフルーツ二種類しかないよ?」
「房付きレーズンとドライフィグでしょ? 十分よ」
「じゃあ、チーズは?」
「パルミジャーノ」
「高くないっスか?」
「ちょっとだからいいのよ。赤ワインは重いのね」
「重いの……そうだなぁ……じゃあ、新しいの開けるよ」
「……っつーか、乱菊さん。赤ワインって美味いんスか?」
ずっと思ってたんですけど。
さらりと言った修兵の言葉に、乱菊は一瞬固まった。
「―――あんた、今さり気なく爆弾投下したわね……」
意図は何なの、意図は。
「ああ…そういえばいっつも白だよね。修兵さんって」
「俺、すっきりしてる方が好きなんで。それに赤って、構えて飲まなきゃいけないような味してません?」
構えてってか、頑張って味わう必要がありそうじゃないスか。
「そんなコトないと思うけど……」
「まあ、好みはそれぞれだしね。修兵さんの好きなのはあれでしょ? よく冷やした、きりっとした辛口の白」
乱菊さんは割といろいろだけど。
そう、やんわりと抑えられ、取り敢えず乱菊は反論の言葉を飲み込んだ。
しかし、
「…………………すみません乱菊さん、謝るんで睨まないで下さい」
「何のコト?」
「普通に目笑ってないっスよ」
「そうさせたのはドコの誰かしらねえ?」
「だから謝ってるじゃないですか」
「実際に飲もうとしてる相手に向かって、嫌いとか言うんじゃないわよ」
「嫌いとまでは言ってないじゃないスか。単にどこが好きなのか疑問に思っただけで……」
「じゃあ、飲みなさい。赤」
「いや、何でそうなるんですか」
「飲めば分かるわ」
「分からないから聞いてるんですけど」
「いいから飲む! マスター、赤ワインもう一つね」
「はいはい」
「ちょっ……マスター」
「逆らわない方がいいよ、修兵さん」
「……ってか、もしかしなくても、この分も払わされんの? 俺」
「あんた、タダ飲みする気なワケ?」
「だって明らかに理不尽じゃないスか」
「うるさいわねえ。一杯も二杯も大して変わりゃしないでしょうが」
「一杯飲むなら、俺は白のが……」
「張り倒すわよ」
「……マスター。これ、笑い事?」
「見てる分には楽しいよね」
「うわ、酷え」
抵抗虚しく、修兵の前にも赤ワインのグラスが置かれる。
「飲めないとか言わないわよね? 修兵」
「まあ、飲みますけど……」
横から圧力をかけられて、修兵はやむなくグラスを取り上げた。
「―――うん、美味しいわ。やっぱりマスターの選択は確かよね」
「あー……やっぱ俺、よく分からないんスけど」
「ちょっと?」
「や、不味いとかじゃなく、単に白の方が好きってだけで……」
修兵の返答に、乱菊は盛大に溜息を吐いた。
「あーもう、いいわよ。あんたに期待したあたしが馬鹿だったわ」
「個人の嗜好の問題じゃないスか。期待されても困りますって」
「はい、できたよ。ドライフルーツの盛り合わせ」
笑いながら、マスターが間に割って入る。
「二人とも、それぐらいにしといたら?」
「ねえちょっと、マスターは悔しくないの?」
「それぞれ良さがあるからね。あとは個人の好みだよ」
「大人な反応ねえ」
つまんない。
「さっきから何期待してるんですか、乱菊さん」
「やかましいわよ」
っていうか、元々あんたが原因でしょうが。
「それは分かりましたから。だからもう、勘弁して下さいよ」
苦笑混じりに降参の意を示す。乱菊は、不本意そうに相手を眺めた。
「で、それ残すの?」
「飲みますよ。別に不味い訳じゃないんで」
「じゃ、飲んどきなさい。よく言うでしょ。ポリフェノール入ってるって」
「っつーか、それで飲む物決める必要ないと思うんですけどね。最近のワインブームって、要はそれじゃないスか?」
「……何いきなりマトモなコト言ってんのよ」
「だってそう思いません?」
「まあ確かに、どちらかと言えば赤の方が人気だよね」
「じゃ、あんたはブームに逆らうのが好きなの?」
「逆らってんならワイン飲んでないですよ」
「なら、微妙にずれるタイプなのね」
外見からして。
「何でそこに繋がるんですか」
「あんたまさか、そのナリで自分は普通だとか言う気じゃないでしょうね?」
「いや、自覚してますけど一応」
「それはそうよね。してなきゃおかしいわよ」
っていうか、しててもおかしいけど。
「それで一体何が言いたいんスか」
「別に? 結局あんた自身が一番謎ってコト」
「乱菊さん。自分を棚に上げないで下さい」
そしてどちらも、分かったような、分からないような。
少しずつ、互いの好みが分かってきても、変わらず相手は謎のまま。