3rd


「珍しいわね」
 いつもより早くない?
 カウンター席に見慣れた男を見付け、乱菊は意外な思いで呟いた。
「ま、たまには」
 言いながら、灰皿を避けてテーブルを空ける修兵の動きに促され、いつもの席に向かう。
「今日は赤ね。あと、ドライフルーツ盛り合わせ。チーズ付き」
「……とうとう開き直ったんスか?」
 メイン変わってますけど。
「いーのよ、あたしだから」
「乱菊さん。盛り合わせは別にいいんだけどさ。ウチ、ドライフルーツ二種類しかないよ?」
「房付きレーズンとドライフィグでしょ? 十分よ」
「じゃあ、チーズは?」
「パルミジャーノ」
「高くないっスか?」
「ちょっとだからいいのよ。赤ワインは重いのね」
「重いの……そうだなぁ……じゃあ、新しいの開けるよ」
「……っつーか、乱菊さん。赤ワインって美味いんスか?」
 ずっと思ってたんですけど。
 さらりと言った修兵の言葉に、乱菊は一瞬固まった。
「―――あんた、今さり気なく爆弾投下したわね……」
 意図は何なの、意図は。
「ああ…そういえばいっつも白だよね。修兵さんって」
「俺、すっきりしてる方が好きなんで。それに赤って、構えて飲まなきゃいけないような味してません?」
 構えてってか、頑張って味わう必要がありそうじゃないスか。
「そんなコトないと思うけど……」
「まあ、好みはそれぞれだしね。修兵さんの好きなのはあれでしょ? よく冷やした、きりっとした辛口の白」
 乱菊さんは割といろいろだけど。
 そう、やんわりと抑えられ、取り敢えず乱菊は反論の言葉を飲み込んだ。
 しかし、
「…………………すみません乱菊さん、謝るんで睨まないで下さい」
「何のコト?」
「普通に目笑ってないっスよ」
「そうさせたのはドコの誰かしらねえ?」
「だから謝ってるじゃないですか」
「実際に飲もうとしてる相手に向かって、嫌いとか言うんじゃないわよ」
「嫌いとまでは言ってないじゃないスか。単にどこが好きなのか疑問に思っただけで……」
「じゃあ、飲みなさい。赤」
「いや、何でそうなるんですか」
「飲めば分かるわ」
「分からないから聞いてるんですけど」
「いいから飲む! マスター、赤ワインもう一つね」
「はいはい」
「ちょっ……マスター」
「逆らわない方がいいよ、修兵さん」
「……ってか、もしかしなくても、この分も払わされんの? 俺」
「あんた、タダ飲みする気なワケ?」
「だって明らかに理不尽じゃないスか」
「うるさいわねえ。一杯も二杯も大して変わりゃしないでしょうが」
「一杯飲むなら、俺は白のが……」
「張り倒すわよ」
「……マスター。これ、笑い事?」
「見てる分には楽しいよね」
「うわ、酷え」
 抵抗虚しく、修兵の前にも赤ワインのグラスが置かれる。
「飲めないとか言わないわよね? 修兵」
「まあ、飲みますけど……」
 横から圧力をかけられて、修兵はやむなくグラスを取り上げた。
「―――うん、美味しいわ。やっぱりマスターの選択は確かよね」
「あー……やっぱ俺、よく分からないんスけど」
「ちょっと?」
「や、不味いとかじゃなく、単に白の方が好きってだけで……」
 修兵の返答に、乱菊は盛大に溜息を吐いた。
「あーもう、いいわよ。あんたに期待したあたしが馬鹿だったわ」
「個人の嗜好の問題じゃないスか。期待されても困りますって」
「はい、できたよ。ドライフルーツの盛り合わせ」
 笑いながら、マスターが間に割って入る。
「二人とも、それぐらいにしといたら?」
「ねえちょっと、マスターは悔しくないの?」
「それぞれ良さがあるからね。あとは個人の好みだよ」
「大人な反応ねえ」
 つまんない。
「さっきから何期待してるんですか、乱菊さん」
「やかましいわよ」
 っていうか、元々あんたが原因でしょうが。
「それは分かりましたから。だからもう、勘弁して下さいよ」
 苦笑混じりに降参の意を示す。乱菊は、不本意そうに相手を眺めた。
「で、それ残すの?」
「飲みますよ。別に不味い訳じゃないんで」
「じゃ、飲んどきなさい。よく言うでしょ。ポリフェノール入ってるって」
「っつーか、それで飲む物決める必要ないと思うんですけどね。最近のワインブームって、要はそれじゃないスか?」
「……何いきなりマトモなコト言ってんのよ」
「だってそう思いません?」
「まあ確かに、どちらかと言えば赤の方が人気だよね」
「じゃ、あんたはブームに逆らうのが好きなの?」
「逆らってんならワイン飲んでないですよ」
「なら、微妙にずれるタイプなのね」
 外見からして。
「何でそこに繋がるんですか」
「あんたまさか、そのナリで自分は普通だとか言う気じゃないでしょうね?」
「いや、自覚してますけど一応」
「それはそうよね。してなきゃおかしいわよ」
 っていうか、しててもおかしいけど。
「それで一体何が言いたいんスか」
「別に? 結局あんた自身が一番謎ってコト」
「乱菊さん。自分を棚に上げないで下さい」
 そしてどちらも、分かったような、分からないような。
 少しずつ、互いの好みが分かってきても、変わらず相手は謎のまま。





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