5th


「あー…ちゃんと店やってんだ。凄いね、マスター」
「どういう意味かなあ…修兵さん」
「クリスマスイブに彼女放っといていいのかと思って」
「………そーいう自分はどうなのよ? 修兵」
「残念ながら、俺は独り身の寂しい境遇なんで」
「あんたが言っても説得力無いわよ」
「っていうか、乱菊さんも恋人いないんですか?」
「悪かったわね」
「いや、俺としては結構嬉しいですけど」
 意図の見えない台詞をさらりと言って、いつもの席に滑り込む。
「マスター、白ワインの辛口」
「スパークリングワインもあるよ?」
「いいよ、普通ので。俺、クリスマスだからっていちいち傾向変える趣味無いし」
「ドライねえ……彼女泣くわよ」
「だから俺、恋人いませんってば」
「どう見たって、相手に不自由してるように見えないわよ」
「まあ、一応それなりにモテますけどね」
「だったら何で一人で飲みに来てんのよ」
「そりゃあ、クリスマスだのって、あちこち引っ張り回すような恋人持つよりは、正体不明の美人とゆっくりワイン飲む方が好きなんで」
「……何よそれ」
「乱菊さんだって、沢山あったんじゃないですか? デートの誘い」
「世間のイベントに引き摺られて恋人作る趣味は無いわね」
「要は俺もそういう理由です」
「………ある意味羨ましい会話だなあ」
「マスターは彼女いるから羨ましがらなくてもいいって」
「え、ねえ、マスターの彼女ってどんな人?」
「その話はいいから」
 笑いながら、ワイングラスが置かれる。
「はい、イタリアワイン。乱菊さんのと同じだよ」
「あれ? 乱菊さんも辛口ですか?」
「修兵のを選んだのはマスターでしょ」
「乱菊さんの注文と同じだったしね」
「マスター、もうちょっと選択捻ってよ」
「別に俺は嬉しいですよ? 乱菊さんと同じで」
 そして、当たり前のように、二つのグラスが澄んだ音を立てる。
「Happy holidays」
「Merry Christmas……じゃないの?」
「カトリックじゃなかったですか? それ」
「日本人で気にする人なんて殆んどいないわよ。単なるお祭なんだし」
「まあ、そうですけど」
「っていうか、日本のクリスマスって、つくづく妙な風習よね」
「キリスト教徒でも、真面目な信者以外は似たようなもんだと思いますけどね」
 一口飲んで、修兵は肩を竦める。
「某超大国の大統領は、毎年クリスマスカードを何万枚も送らなきゃ駄目らしいっスよ?」
 何万だか何十万だかは忘れましたけど。
「誰に送るのよ、そんなに」
「さあ…挨拶状とか、そういう年中行事の一環じゃないスか」
「まるっきり、年賀状のノリね」
「あー、そんな感じですね。引退した途端に数が激減しそうなとこも」
「ってコトは、日本の会社員と一国の大統領。スケール違ってもレベルは同じなのかしらね」
「結構毒舌ですね」
「最初に言ったのは修兵でしょ?」
 そう、涼しい顔で流す。
「けど、プロテスタントもカトリックもいるでしょ。それに確か、黒人もクリスマスの代わりに別のお祝いしたりするんじゃなかった? 無難な挨拶って、Season’s Greetingsだっけ」
「それか、Happy Holidayとかじゃないですか? 俺みたいな不信心者には違いなんて分からないんスけどね」
「宗教ごった煮で、それぞれが宗教気にするお国柄って大変ねえ」
「ま、適当でも何でも楽しけりゃいいってのも、一つのやり方じゃないスか? 距離を置いときたい人間には、こういう避難場所がある事だし」
「という事は、ウチは避難場所なんだ?」
「この時期、クリスマスソング流さないだけでもかなり貴重」
「店の雰囲気に合わないだけなんだけどね」
「雰囲気に合わせてるからいいんだって。街中はそれ以前に問答無用」
「確かにそうよね」
「……うーん、だったら二人ともいらないかな。ケーキ」
「え、ウソ、あるの? ケーキ」
 同時に、驚いた視線が同じ方へと移る。
「置いてるのはクリスマスの間だけなんだけど」
「マスター。カクテル置かずにケーキ置くっての、どういう基準?」
「クリスマスの間だけカクテル置いてどーすんのよ?」
「俺が飲めるじゃないスか」
「別の店行きなさい」
「うわ、冷たいっスよ。その言い方」
「ねえ、マスター、置いてるのどんなケーキ?」
「見てみる? ……まあ、ケーキって言っても、これなんだけどね」
「あ、パウンドケーキ」
「ドライフルーツ入れて、ブランデー利かせてあるみたいだよ」
「で、製作者は彼女?」
「知り合いの店。何で話がそこに行くかなあ」
「そりゃあ、気になるし」
「そんなに気にしなくていいから」
「マスター。あたし、一切れ貰うわ」
「修兵さんは?」
「乱菊さんの分切った後、欠片が出たらそれで」
「頼みなさいよ、素直に」
「いいじゃないスか、味見くらい」
「……あー…もう、いいわ。あたしの一口あげるわよ」
「え、いいんですか?」
「その代わり、今度ドライフルーツ貰うわよ?」
「盛り合わせ頼んどきますよ」
「ってコトだから、ケーキ厚めに切ってね。マスター」
「はいはい。ちょっと待ってて」
 苦笑しながらマスターが頷くと、修兵は思い出したように、スーツのポケットに手を入れた。
「―――乱菊さん」
「何?」
「はい、これ」
「え……?」
 おもむろにカウンターテーブルに置かれた物を見て、乱菊は思わず修兵の顔を見直した。
「これって……」
「誕生日知らないんで、クリスマス。まあ、理由は何でもいいんですけどね」
 細い鎖の付いた、シルバーの小さな懐中時計。ラッピングも箱も無い、そのまま。
「…………何でくれるの?」
「俺があげたいと思ったんで」
「何よ、その理由は……?」
「いらなかったら捨てていいですよ。俺に返されても受け取りませんけどね。それ以外なら、渡したんで、乱菊さんの好きにして下さい」
 事も無げに言われ、乱菊は戸惑い気味に視線を落とす。手を伸ばすべきか心を決めかねていると、さり気なく、穏やかな声が割って入った。
「はい、乱菊さん。ちゃんと厚く切っといたよ」
「ああ……ありがと、マスター」
「あ、乱菊さん。俺、端の方少しだけ」
「…分かってるわよ。ちょっと待ちなさい」
「そうだ。次、いつ来ます?」
「どうしてそれを聞くのが今なのよ」
「次に乱菊さんが来る時、俺、ドライフルーツ頼んどかないと駄目なんで」
「…………後で考えるわ」
「ちゃんと教えて下さいよ?」
「分かってるわよ」
 そう、答える乱菊の傍らで、触れられぬまま置かれた懐中時計が、抑えた光に照らされる。





inserted by FC2 system