Crazy Ground


 グラナダ王国、マラガ。
 地中海の西に位置するこの港湾都市は、近隣の沿岸を航海する小型商船の他、北西ヨーロッパから大西洋沿岸を辿って地中海にやって来る…また逆に、地中海沿岸を航海してジブラルタル海峡を抜け、北方へと向かう大商船団の寄港地の一つでもある。
 石造の岸壁。傾斜埠頭に桟橋、倉庫。停泊するのは、大小様々なガレー商船とそれを護る護衛船。陸と停泊船との間を行き交うのは艀船。基本的に、港の造り自体は国や地域でそう大きな違いがある訳ではない。
 違いがあるとすれば、それは海の色であり、肌に感じる空気の感触であり、陸からの風の匂いであり、またその大地と緑と街の景観である。
 傾いた陽光に照らされた石畳の道。両脇に街並みが続き、緩やかにカーブして街の中心部へと向かう路上。突如として騒ぎが起こったのは、港のそんな場所だった。
 明らかに意識を手放している一人の男と、その周りで絶句する数人の男達。身なりからして、寄港中の商船の乗組員だろう。沿岸航海とはいえ、必ずしも安全とは言えない海に乗り出す、向こう見ずで血気盛んな者達だ。何も船乗り全てがそうではないだろうが、外国船の寄港地となる港町ではこの手の喧嘩はよくある光景ではある。
 だがこの日、両腕を組み、憮然とした表情で彼らの前に立っているのは、屈強な船乗りなどではなく、華麗な一人の美女だった。
「………………」
 衆人環視の中、沈黙の後にわざとらしい溜息を盛大に吐くと、長い金髪を揺らして彼女は身を翻す。
「お…おい、待て!」
 男の一人が反射的に呼び止めたのは、そのまま無視して立ち去られては、幾ら何でも自分達の立つ瀬が無さ過ぎるからであろう。しかし、その後の事を考えれば、例え周囲から白眼視されようと、彼らはそのまま見送っておくべきだったのである。
「待てって言って……おい!」
 言いながら伸ばした手を邪険に振り払われ、咄嗟に男は女の肩に手を掛けた。その途端。
「――ぅおあッ!?!?」
 声を上げたのは、吹っ飛んだ男を受け止める羽目になった仲間の一人。顔面にまともに裏拳を食らった男は、声を出す間も無く、鼻血を流して引っくり返った。
「てめっ……このアマ!!」
「いい気になるんじゃねェよ!!」
「…………ボキャブラリーが少ないわね」
 瞬時に激昂した男達の言葉に、女はしみじみとした口調で慨嘆する。何であったかは忘れたが、とにかく鬱陶しい誘い文句で真っ昼間から自分に絡んできたという事実は彼らにとっては忘却の彼方にあるらしい。力ずくで退散して貰う事に決定すると、彼女はゆっくりと後ろを振り返る。そして、
「あ」
 自分に向かって何だかんだと御託を並べていた男が勢いよく視界から消えるのを、完全に他人事のように眺める事となった。
「修兵……」
「真っ昼間から何絡まれてんですか、乱菊さん」
 正確に顎を狙った拳で大柄な男を苦も無くKOしてのけたのは、短い黒髪、顔に首まで続く三本傷とタトゥーを刻んだ特徴的な容貌の若い男。しかし、開口一番のその言葉に、腰まで流した長い金髪に華やかな容姿をした彼女――乱菊は、露骨に眉を顰めた。
「別に好き好んで絡まれてる訳じゃないわよ」
「だったら身分証明くらいして下さい」
「問答無用で殴り倒してるあんたに言われたくないわね」
「俺は助けたんじゃないですか」
「頼んでないわよ」
「テメェら、無視すんじゃ……!!」
 男の一人が言いかけて、横から脇腹に入った蹴りに語尾が飛ぶ。予想外の方向からの理不尽な攻撃に驚いたのは、しかし、徐々に数を減らしつつある男達だけではなかった。
「てめーら、往来のジャマだ!!」
 どう見ても全力で他人の喧嘩に介入してきたのは、派手な赤髪に異様な形の眉のタトゥーという、むやみやたらと目立つ長身の男。見間違いかと数拍置いた後、修兵は思わず声を上げた。
「おい。まさかてめえ、阿散井か!?」
「……って、檜佐木先パイじゃないスか! それに乱菊サンも!」
「ウソっ! あんた恋次!?」
 三者が三様に驚愕し、一瞬にして場の雰囲気が変わる。
「ちょっと恋次、あんたこんなトコで何してんの?」
「いや何って、虚退治に決まってるじゃないスか」
「ボランティアで?」
「何でそうなるんスか。隊の助っ人っスよ。最近この辺やたら虚の出現が多いんで、一時滞在者も隊の通常業務に駆り出されてて……」
「ああ。そういやお前、六番隊だったな。…――っつーか、ここグラナダだぞ? 六番隊の担当地域はシナだろうが」
「先パイだって担当地域にいないじゃないスか」
「俺は徙師(シシ)だ。担当地域にいる必要はねえ。第一、そういう問題じゃねえだろ。そもそもお前、どうやって来た」
「延々隊商護衛っスよ。北回りで」
「おい、北ってまさか陸路か?」
「あんたソレ、こっちに着くまで何年かかると思ってんのよ?」
「あー、まあ、流石に結構かかったっスね」
「普通、途中で引き返すだろ。何こんな辺境まで来てんだよ」
「―――オイコラ、何こっちムシして話進めてんだ!!」
「ナメてんのか!?」
 展開に付いて来れず、使い勝手のいい言葉で怒鳴る声が、話の流れを断ち切った。
「あーもう、外野がウルサイわねえ」
「つーか、まだいたのかこいつら」
「往来のジャマだっつったんスけどね。俺」
 今更のように、周囲を殺気立った男達に囲まれている事に気付く。
「ねえ……ってか、コレ増えてない?」
「航海中は同乗の船員同士の反目は御法度ですからね。取り敢えず、寄港中に喧嘩に居合わせりゃあ仲間の方に加勢すんですよ」
「そもそも航海中だけなんスか、その仲間意識」
「そりゃあ、下っ端の船員は航海毎の随時調達だからだろ」
「昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵なのねえ。シビアな世の中だわ」
「いや、ソレ感心するとこっスか?」
「まあ、取り敢えず……」
 そこで、修兵はふと口を閉ざす。瞬間、闇雲に向かってきた男の顔面に蹴りが入った。
「……片すぞ、こいつら」
「りょーかい」
 乱菊と恋次の返答が律儀に重なる。傍迷惑な乱闘の、それが本格的な幕開けだった。





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