03


「この度は副隊長同位である皆様の手を煩わせる事となりまして、面目もございません……!」
「気にするな。その場に居合わせりゃ、手を貸すのが当然だ」
 十番隊第四分隊マラガ駐隊所。グラナダの第四分隊所から、彼らの元に分隊責任者である、第七席・竹添幸吉郎がやって来たのは、その翌日の事だった。
「けど、席官が殆んど不在だったのねえ。ヒラ隊員ばっかでおかしいとは思ってたけど」
「昨今はカスティリア国境方面での虚の出現が増えまして、所属席官の多くをそちらに割いていたが為に都市内の戦力が手薄となっておりまして……」
「まあ、普通の虚相手ならそれでも十分対処できるわね。まさか巨大虚が出るなんて予想外だし」
「それに隊員を複数で配置してたんだ。席官不在時の対応としてはおかしくはねえ。まあ、あれだけの数が出れば、いくら席官がいても多少の被害はあっただろうが……」
「結局、一般人の被害状況はどうだったの?」
「幸い、死者は出ずに済んだようで」
「それだけでも上等だ。建物の被害はどうしようもねえしな」
 虚は密度の高い霊体であり、現世空間に出現した場合には周囲に現世を構成する物質である機子を纏う。霊力の無い人間にも見えるのはその為なのだが、虚による建造物の破壊までは、いくら霊尹使と言えども防ぎようがない。
「それで、隊長への報告は終わってるのね?」
「はい。既に日番谷隊長からは、席官を含めた駐隊員の編成に関する指示を受けております」
「それなら、一時滞在者の俺達が口を出す問題じゃねえな。ただ、出現原因の究明だけは早急にやってくれ。巨大虚の出現が頻発すれば、多方面に影響が出る」
「はっ、勿論であります」
 その他幾つかの事務的な会話を交わして席官が辞し、修兵と乱菊の二人が廊下に出た所で、それを見計らったかのように恋次が現れた。
「あー、終わったんスか?」
「阿散井。何でてめえが消えてんだよ」
「いーじゃないスか、俺がいなくても。どーせ事務的に何だかんだ話すだけなんスから。……で、原因分かったんスか?」
「昨日の今日でそれが分かりゃあ、誰も苦労はしねえだろうが」
「隠密起動が動いて、詳細の検討があって、中央に報告が行って……正式発表は二ヵ月後かしらね」
「発表があればの話ですけどね」
 皮肉げに付け加える修兵に、乱菊は肩をすくめる。日々情勢が変化する世の中で、こんな辺境一地域にまで中央の厳密な管理調査を期待するのは無理というものだ。
「しっかし、巨大虚が大量に市街に出現するなんて、聞いたコトないっスよ?」
「これで原因不明で済まされてもこっちが困るわね。只でさえ虚の出現増加で物騒だっていうのに」
「まあ、グラナダ周辺が相変わらずキナ臭い上に、フランスとイングランドは相変わらずですからね」
 昨今に始まった事ではないとはいえ、十番隊は自らの統括担当地域に世俗的な争いの火種を幾つも抱えている状況だ。
 キリスト教国による七世紀がかりの国土回復運動、レコンキスタは一段落したとはいえ、イベリア半島にはまだ、グラナダ王国というイスラム勢力が残っている。北方のカスティリアはグラナダ侵攻を諦めている訳ではなく、半島西のポルトガルもグラナダ国内の港湾都市の商業的重要性に関心を持っている。一時的な小康状態というのはつまり、次の嵐を予兆するものでしかない。
 加えて、フランスの王位継承問題に端を発したフランスとイングランドの戦争は最終的にフランドル地方の領土争いに発展し、長きに渡って断続的な衝突を繰り返していた。後に百年戦争と呼ばれるこの二国間の争いもそろそろ収束の様相を見せてはいるが、長期間の対立感情がそう簡単に水に流れるはずはない。商船寄港地での流血混じりの喧嘩の一端は、フランスとイングランド出身の船乗りの反目が担っていると言っても過言ではないのだ。
「……十番隊もなかなか大変っスねえ」
「人事みてえに言ってる場合じゃねえだろ」
「あんたも、のんびり長期滞在なんてしてると助っ人業務に忙殺されるハメになるわよ」
「イヤ、ソレは流石に勘弁して欲しいんスけど…」
 雑談しながら三人が歩いているのは駐隊所の広い中庭を廻る回廊。すれ違う隊員達が皆、驚いたように一礼していくのは慣れた光景だ。原因は、三人がそれぞれ身に付けた籍貫章(セキカンショウ)にある。
 籍貫章は二つの金属の輪が飾り紐で繋がったもので、佩鐶(ハイカン)とも呼び、霊尹使ならば誰もが腰から下げている。霊尹使の証であり、個々の身分証明でもあるそれらは、一見すると隊章と細かい幾何学文様が彫られているだけのシンプルな装飾鐶だ。よって正式な身分確認の為には、籍幢機(セキトウキ)に投影し、籍貫名簿と照らし合わせる必要がある。しかし、各隊の上位席官扱いを表す光沢を消した銀。そして飾り紐の浅紫が示すのは、即ち副隊長同位。
 同位とは能力的に同等という意味であって、全隊含めても十三しかない各隊の副隊長の地位にあるという意味ではない。しかし、下位席官やそれ以下の隊員達にとって、その二つは同じ事だ。地方の駐隊所に副隊長同位が一人滞在しているというだけでもよほどの事だが、それが三人も揃っているとなれば、珍しいどころの話ではない。
「で? 結局お前はどこ行くんだよ。陸路で北に行くんじゃねえなら、こっからどこ向かうにしても船だろ」
「あー…実はまだ決めてないんスよね。先パイ達はどうするんスか?」
「取り敢えずアレクサンドリアまでは行くつもりだけど。経由地は決めてないわね」
「ああ、それですけど乱菊さん。多分、北アフリカ経由になると思いますよ」
「何? 地中海をイタリア経由の北回りで行くルートもあると思ったんだけど」
「一昨年オスマン朝はハンガリーを破ってますからね。そろそろ最終的なビザンツ侵攻です。距離があるし、イタリアから先のルートにもよるんで念の為ですけど、足止め食わずに行くなら南回りが確実ですよ」
「へえ、とうとう……っスか」
「ビザンツってもう守備隊が壊滅状態でしょ? 次マトモに攻められたら確実に守り切れないわね」
「ま、あの規模で今まで持ったのが凄いんですけどね」
 基本的に、全ての霊尹使は各国の情勢に通じ、護掟隊は大陸全体の最も正確な地理とあらゆる通商路を知っている。それは十三の隊が大陸中に展開し、互いに連携を取っている事に加え、隠密機動が常に時事の情報を収集・処理している為だ。
 虚は中心を失くした霊。人と物とが行き交う通商路には必ず中継となる都市があり、人口と霊の数とは概ね比例する。また、国家間の戦争及び内戦は必然的に死者の霊の増加を意味し、それらを狙う虚と新たな虚の出現をも意味する。そして国境線の変化は、隣接する隊による担当地域の調整、若しくは新たな国家との間に於ける護掟隊の自主的活動への合意を必要とするのだ。
 最大原則として霊尹使は人間社会には不干渉。しかし、だからと言ってそれらに全くの無関心ではいられない。寧ろ、外部からの余計な干渉と軋轢を避ける為に、各地の最新且つ正確な情報は彼らにとって必要不可欠なのである。
 勿論これらの情報は、隊に所属するだけで任務には参加せず、護掟隊各隊の仲介によって対虚の隊商、商船護衛等として各地を巡る霊尹使――所謂、徙師(シシ)にとっては更に重要な位置を占めている。戦闘地域に好んで足を踏み入れたいのなら話は別だが、余計な危険は回避するのが常道だ。
「まあ、ルートの事は修兵に任せるわ。あんたの方があの辺の経路には詳しいし」
「それなら、事務に二人分の依頼業務の申請しときますか?」
「そうね」
「……って、俺は無視っスか?」
「てめえはとっとと行き先決めろ。ルートはそれからだろ」
「いいんじゃない? 人手不足みたいだし、このままココの所属になれば」
「―――あ、あのっ……!」
 突然、後ろから控えめに声が掛けられる。振り向くと、そこに申し訳なさそうな顔をした一人の隊員が立っていた。
「失礼します。あの…皆様に竹添七席からの御伝言が……」





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