One I Want


 午後。斜陽と錯覚する程に力の無い太陽は、早くも長い陰を地面に作る。薄い青空。風は無く、都会なりに澄んだ空気は何処か尖ったようで肌に痛い。ふと零した息が、白く形を作って消えていった。
 浮かれた時期を少し過ぎた街。それでも、行き来する人の中にカップルが多い気がするのは休日だからか。人波を薙ぐように視線を巡らせ、手にした紙製のカップを持ち直した。
 掌には、其処から温く熱が伝わる。すぐ傍に在るコーヒーチェーンのロゴマークの入ったカップにはコーヒー。少し温度の下がったそれを飲んで、再び息を吐く。
 待つのは、それ程好きじゃない。
 自分にとっては、彼女と逢えるからこそ、待つという行為に意味が有る。
 駅へ続く歩行者専用の広い通路と、それに沿って並ぶ店の前を途切れながら続く植え込み。クリスマスが終わるまではイルミネーションで目が痛くなる程だったこの辺りは、多分、待ち合わせには余り相応しく無い。
 ジャケットのポケットに入れた携帯は、変わらず沈黙したまま。来れば必ず見付ける自信はあるが、彼女が此処に辿り着けないんじゃないかと心配にはなる。
 そうやって、ぼんやりとしていた所為だろう。迂闊にも、離れた場所から意味あり気に此方を見ながら何かを相談していた若い女の集団の存在を見逃していた。
「――ねえねえ。一緒に遊びに行かない?」
「ウチら、今暇してるんだよねー」
「ってか、誰かと待ち合わせ?」
「あたしらとの方が絶対楽しいって!」
「…………」
 ヒトをいきなり囲んできたかと思えば、そんな科白が複数の人間から一気に投げられる。やや間を置いて状況を把握した俺は、思い切り眉を顰めた。街とか雑誌とかで良く見るような、見分けを付けようという意欲をあからさまに削ぐ、似たようなタイプの若い女が三人。つまり、時々お目にかかる、一般的に言うナンパの逆バージョンだ。それから、どうでもいいが科白の疑問形が意味を成して無ぇ。
 ソイツらのテンションと、周りで上がる声のトーン。追い打ちを掛ける鬱陶しさに、思わず舌打ちする。
 面倒は嫌いだ。おまけに、まだ逢えていない所為で機嫌も悪い。最悪だと胸中に落としながら、俺は勝手に掴まれていた腕を振り払った。
「……断る」
「えー、何でー?」
「いいじゃん、ちょっとくら――…」
「――タイプじゃ無ぇ」
 事実をストレートに言ってやると、案の定、絶句した空気が漂ってくる。
「好みと懸け離れてる奴と遊ぶ程、暇じゃ無ぇし」
 消えろ。――とまで言うのは、一応止めておいてやった。無暗に敵を作るなと、以前に彼女が言っていたから。
 そして、最低だの何だのと言いながら離れて行く連中を、俺は早々と意識から追い出す。向こうにとっての俺の印象がどうだろうが、二度と近付いて来ないだけで有り難い。我ながら、随分控え目な話だろう。
 速攻で邪魔な奴らを追い払った所で、前触れ無く携帯が着信を伝えて振動した。
「…………」
 開いて、メールの差出人を見てボタンを押す。一読して、一言だけの返信を送って携帯を閉じた。
 彼女からの連絡。人身事故で電車が止まって、遅れる。
 このタイミングで線路に飛び込んだどっかの誰かを地獄に送ってやりたい。罪にならないなら、俺が別の方法であの世に送ってやっても良かったくらいだ。
 不謹慎極まる事を考えながら、黒い携帯電話を再びジャケットに押し込んだ。
 また少しだけ、日が傾いた気がする。カップの中身は殆ど空になって、表面からは熱も何も伝わってこない。さっきまで意識していなかった筈の寒さが、皮膚の温度を削っていく。
 左右から流れて来る人間が、目の前を通って何処かへ消える。流れから外れた場所で取り残されたような気分になるのは、見ず知らずの人間を羨んでいる所為じゃない。
 ――早く、来いよ。
「ルキア……」
 此処で、俺を見付けて欲しい。
 喧騒。賑やかな場所だとか人が多いとか、そんな所に居るだけでは、単に人混みを構成するだけ。其処に埋もれていても意味が無い。
 俺が欲しいのは一つだけで、その一つしか要らなくて。なのに、その唯一の事が何故か酷く難しい。メールや電話なんかで、繋がっているとは思えない。
 だから時々、戻れる筈の無い時間に戻りたくなる。
 世界の中で彼女の存在だけが全てで、その事だけを考えていれば良かった時。例え錯覚でも、何にも邪魔されなかった日々。
 世間的には短く無かっただろう期間。そして『俺』の記憶の殆どを占めていた長い時間は、それでも何年も経つうちに、いつの間にか呆気無い程短くなってしまう。その事実が、堪らない。
 本当は、あのままずっと続いて欲しかった。
 それを彼女は、気付いているだろうか。


 空気が動く。緩い風が吹き始めて、植え込みの緑が僅かに擦れる。じりじりとしか進まない時間に気が遠くなる。時計を気にする自分が厭になって、左手をポケットの中に突っ込んでからどのくらい経っただろう。
 ふと、彷徨わせていた視線が目的を見付けた。
 白いコート。容赦無く同一方向に直進する二種類の人波の間を苦労してすり抜ける、小柄な人影。走った所為で乱れた黒い髪。真っ直ぐに俺を捉えた、紫の眼。
 流れから抜け出して息を切らせて立ち止まった身体を、迷わず手を伸ばして引き寄せた。
「ルキア…――」
「すまぬ。遅れて」
「……逢えねぇかと思った」
「っな、……莫迦者! 私を何だと思っておるのだ。お前との約束を破る訳が無いだろう!」
「そうじゃねえ。……分かってる。けど、」
 見付けて貰えないかもしれないと、思った。
 小さく零して、抱き締めた。腕の中で、彼女が呼吸を整える。その息すら閉じ込めるくらいに力を込めたら、苦しいと、呆れながら怒られた。
「たわけ」
「悪ぃ」
「――其方の話では、無い」
 溜息混じりに応じて、彼女は俺の右手からいつの間にか滑り落ち、足元に転がっていた空のカップに目を止める。拾い上げ、近くのゴミ箱に放り込みながら、独り言のように呟いた。
「貴様が何処に居ようと、必ず捜し出すに決まっている」
「……あの時は、俺を捜してくれなかっただろ」
「知っていれば捜した」
 消えてしまったと思ったから、捜せなかった。
 言葉を落とす彼女に目を向ける。再会は、ほんの数ヶ月前。今も、初めて逢ってから一年も経っていない。最初に呼んだのは彼女で、次に逢いに行ったのは俺の方。
 けどその二つは、必ずしも先には繋がっていない。
 一度、俺は消えたと思った。彼女を失ったと思った。だからきっと、俺にとっての次は無い。彼女を失うかもしれないと考える事にすら耐えられない。
 抱き寄せるままに寄り添って、彼女が静かに俺を見上げた。
「なあ、今日は何処へ行きたい?」
「ルキアが何処にも行かねえとこ」
「……相変わらずだな、貴様」
「言ってるだろ。同じだ。ずっと」
 俺の欲しいものは、最初から決まってる。他には何も無いから、彼女が忘れないように繰り返す。それだけだった。
 呆れたのか、唇の間から軽く息を吐いて、彼女は考え深げに視線を周囲に巡らせる。そして、
「では、そんなに私と一緒が良いなら――」
 唐突に、鮮やかな瞳が、逃がさないよう俺を見た。
「私が、お前を監禁してやろうか?」
 驚いて見つめる俺に、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「一晩だけ」
「…………ソレ、ずっとじゃ駄目か?」
「って、本気でそういう犯罪を私に犯させようとするな。と言うか、其処は喜ぶ処では無いわ、莫迦者」
「じゃあ、冗談なのか?」
「……まあ、一晩というのは本気だな――…って、ちょ…コラ……ッ」
 思い切り抱き締めたら、また怒られた。今度は、笑いながら。
 こんな事を嬉しいと思うのは、多分相当可笑しいだろう。だけど、それでも良いと思うのは本当で、俺にとってはその事実が重要だった。


 離れない俺に諦めたルキアが、後ろから俺に軽く抱かれた格好のまま、携帯で何処かに予約を入れる。少し強くなった風も、腕の中の温度の所為で気にならない。ずっと夕方のようにも思えていた空には、まだ太陽が在る。
 慣れた調子で短い会話を終わらせた彼女が、二つ折りの携帯をバッグに仕舞って振り向いた。
「ラーヴァ」
 久々に呼ばれた名に、俺自身が何故か驚く。
 咄嗟に固まった俺に向かって、ルキアは促すように手を伸べた。象牙色の細い指が、オレンジ色の髪を撫でる。
「……久し振りだな。ラーヴァ」
「ルークス……」
 応えながら、俺だけが使うその名を口にするのも、久々だったと今更気付く。

「逢いたかった」

 吐息が交わるくらいに近くで告げて、存在を確かめるようにキスをした。












実は某Nさん(笑)のイラストを何となくイメージして書き始めたんですが、やっぱり完全な別物になりました(待)
という訳で、"All You Wanted"番外編。その後の白一護×ルキアです。
このシリーズも久々に書きましたが、白い子とルキアは書いていて楽しいです。今年も「白い子=可愛い」のどっか(完全に)間違った感じで頑張りたいと思います(をい)
それでは皆様、今年も Lux et Gladius をどうぞ宜しくお願い致します!


…という感じで、昔はお年玉企画というものをやっていましたそういえば…(遠い目(をい)
こちらは当時、拍手で希望頂いたお客様とリンクさせて頂いている管理人様方に(勝手に)送り付けた年賀メールのオマケ小説です。
一年後くらいに再録するつもりですっかり忘れ去っていたのを思い出したのでサイトにリンク繋げました。時期外れにも程がある…。
えーと、少しずつ時間を見付けてリハビリできればいいなと思っています。……うん、思ってはいるんです、ずっと(…)



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