Waiting for you


 店に入ると、カウンターのスツールに座った相手が、硝子の猪口を口に付けつつ振り向いた。それに向かって片手を軽く上げて挨拶する。時刻は17時25分。
「……お前、夕方から呑んでんのかよ」
「突然、日本酒が欲しくなってな」
 カウンターには硝子の徳利に入った辛口の日本酒一升。つまみは鮫の軟骨の梅肉あえ。スツールに座った相手は、濃い紫の地に筆描き風に梅花と枝が描かれた、一見着物風の浴衣姿。半幅帯に挟むように、兎柄の手ぬぐいを膝の上に掛けている。――こうすると着物や帯が汚れなくて楽だそうだ。ポイントは、帯の上から掛ける事。帯は基本的にクリーニング出来ないのだ。――という豆知識が彼に増えたのは、ひとえに目の前にいる小柄な女、朽木ルキアのせいである。
「ところで一護、休みは満喫できたか?」
「昼まで寝て、そっから部屋の掃除してた」
「……何というかソレは、如何にも寂しい独り者ですという感じの、実に虚しい週末だとは思わんのか貴様」
「思わねえよ。ってか、寂しい独り者って誰がだ」
「ふっ…何だ。ハッキリ言って欲しいのか?」
「やっぱり言うな。お前に言われると無駄に腹立つ」
 言いながら、彼――黒崎一護は隣のスツールに滑り込んだ。拍子に、カウンター下の荷物掛けにルキアが掛けていた紙袋を蹴って、隣から思いっきり後頭部を殴られる。
「貴様、私の右近下駄が壊れでもしたらどうする気だ」
「イヤ、壊れねえだろ、普通」
「喧しい。印伝の鼻緒なのだぞ。漆が剥げたらどうしてくれる。そもそも――」
「あー、分かった。分かりました。以後気を付けマス」
 放っておいたら、印伝は鹿革に漆で模様を付けたもので云々というお馴染みの説明が続きそうだ。何だかもう無駄に知識が増えている自分に、一護は頭が痛くなってきた。
 気を取り直して話を変える。
「で? お前は何してたんだ?」
「美術館行って、鰻食べて小物と下駄を買って、白玉を食べて来た」
「一人のくせに随分活動的だなオイ。ってか、昼飯が鰻かよ」
「美味い店があるのだ。今度行くか?」
「あー…まあ、行ってもいいけど、人混みはな……」
「観光スポットからは外れておるから観光客は少ないぞ。というか、そんな鬱陶しい場所に私が行くと思うか? まあ、浴衣の趣味の合う店があるのは観光スポットど真ん中なのだが、花火大会も近い事だし今日は諦めた」
「今日は…ってお前、既に今年二着買ったとか言ってなかったか、浴衣?」
「気に入った物はその場で買わぬと無くなってしまうではないか! しかもあそこは業者から直接仕入れているから、若者向けなら一着高くて八千円とかで買えるのだぞ。実に経済的ではないか。というか、デパートで一着云万円もするようなブランド物買うお嬢さん方は何考えているのだ!?」
「話変わってるぞ。ってか、ソレもう既に何回も聞いたんですけど」
「そして今日は土曜日。履物と言えば問屋だ。問屋は日曜、祝日が休みなのだぞ。社会人が土曜に行かなくてどうする!」
「んな力説するとこなのかよ、ソコ」
「重要に決まっておるであろうが! 問屋は安いし、台と鼻緒が好きに選べる。しかも私の行き付けの店では、その場で足に合わせて鼻緒を挿げて貰える。一石数鳥。良いとこ尽くしではないか!」
「へいへい……」
「という訳だから、世にも貴重なオレンジ頭の貴様も浴衣を着てみんか? 有り難くも私が見立ててやってもいいぞ」
「……お前、それは本気で薦めてんのか俺を馬鹿にしてんのかどっちだ」
「まあ敢えて言うなら、からかっているだけだ」
 真面目に言い切って、ルキアは残りの日本酒を呑み干した。

「――で? 夕飯何処行くか決めたのか?」
「うむ。おでん屋だ」
「……夏だぞ、今」
「何だ。昨今流行りのカジュアルダイニング風だぞ。文句有るのか?」
「イヤ、そうじゃなく……つーか、おでん食う前に何で別の店で日本酒呑んでんだよ」
「五月蠅い。今呑みたかったのだ。ついでに軟骨の梅肉和えが食べたかった」
「ドコのおっさんだよお前……って、痛ぇよテメエ! 下駄で他人の足踏む奴があるか!」
「ふっ、済まんな。下駄の底が厚い分、地面の感触が良く分からなくてな」
「お前、ソレ絶対嘘だろ」
 時間帯が早いだけに殆ど客の居ない店内で、主に店員からの好奇の視線を受けながら、勘定を済ませた二人は外に出る。外は夏のこの時間にしては妙に暗く、そして走り去る車が撥ね上げる水の音。
「お、夕立か」
「ルキア。お前、傘は?」
「天気予報は晴れだったぞ」
「オイ、ここ最近の夕立…っつーか雷雨を知らねぇのかよ。日傘持ってんなら、せめて折り畳みぐらい用意しとけ」
「忘れた物は仕方あるまい。どうせ店も近いのだから、貴様のに入れろ」
「命令形かよ」
「では、其処のコンビニで傘を買って来い」
 やはり命令形で指された先には、通りの向こうの見慣れた看板。多分、本日もビニール傘は盛況だ。
「――…あー、分かったよ。入れりゃいいんだろ、入れりゃ」
「ふっ、諦めが良くて結構な事だ」
「そりゃどーも」
 別に腕を絡ませる訳でも、親密そうに寄り添うでも無い。単に並んで、同じ傘の下を歩くだけ。それでも顔に似合わずフェミニストなオレンジ頭は、無意識に浴衣姿の連れを庇って、半分雨に濡れていた。







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