The Voice of the Rain


 雨音が鼓膜を叩く。暗い雲に隠されて、空は低く閉じている。
 窓硝子を流れ落ちる水滴を、街灯から広がる光が辛うじて視界に浮かべる。
 雨夜の方が明るい程に、部屋の中は暗かった。
 閉じ込めた、小さな影が身じろぎする。逃さないよう、抱く腕に力を込めた。
「いい加減に離せ……」
「嫌だ」
 何度、同じ会話を繰り返しただろう。やんわりと促す声に、頑なな答え。
 脳裏に響く雨音を遮りたくて、耳を塞ぐ代わりに抱き締める。
「一護」
「離せっつっても聞かねえ」
「一護……」
 きっと、呆れている。溜息が混じったような、そんな響きで呼ばれる名前。
 馬鹿みたいだとか、子供染みているのは分かっていた。分かっていて、やっている。だから、
「離さねえ」
「一護」
 呼ぶ声が心地良い。少し低めの、猫被ってねえ時の声。
「ルキア……」
「何だ」
「もっと、呼んでくれねえ?」
「何を」
「名前」
「…………」
「ルキア」
「呼んでやるから、腕を緩めろ」
 黙ったままの俺に、ルキアは諦めたように言葉を継いだ。
「逃げぬから、取り敢えず力を緩めろ。私を締め殺す気か貴様」
 一護、と促す声の迫力が若干危険水位に近付いていたので、渋々譲歩する。相変わらず腕に、ついでに床に座り込んだ俺の足の間にすっぽり収まったまま、ルキアは大げさに息を吐いた。
「如何したのだ」
「別に」
「嘘を吐け」
「嘘じゃねえ」
 何かあった訳では無い。
「先に、俺の部屋来てたのはお前だろ」
 事実半分で答える。実際、自分の部屋のドアを開けたら、ルキアが薄暗い部屋の窓から外を見ていた。
「私は戻ろうとした筈だぞ」
「知ってる」
 雨が降ってきたな。と、そう言って出て行こうとしたから、引き留めた。結局そのまま此処に居る。
 苦笑のような気配がして、ルキアが寄り掛かってきた。少しだけ安心して、俺も後ろのベッドに寄り掛かる。連鎖反応のように体重が掛かって、その重さが心地良い。
「止まぬな、雨」
「そうだな」
「もう、大丈夫ではなかったのか?」
「思い出した」
「そうか……」
「そっちじゃねえよ」
 勝手に納得されそうだったので、訂正した。訝しげに振り向こうとしたルキアの動きを、少し前屈みになる事で封じる。
「そっちの話じゃねえ」
 確かにそれも、完全に晴れる事の無い記憶。でも、咄嗟に思い出した記憶は違う。
「お前が、俺を庇って、尸魂界に連れてかれた時の話」
 怒られないように、少しだけ腕に力を込めた。
「お前が俺の前から居なくなった時も、雨が降ってた」
「それは……」
「降ってたんだ」
 お前が、居なくなったから。
「それを思い出した」
 応えあぐねて沈黙するルキアに、ぶっきらぼうに言った。
「俺の人生最悪の記憶の一つ」
「何だ、それは」
「……別に、分かんなくていい」
 多分、説明したって分からないだろうから。第一俺も、何でそこまで最悪だったのか、本当の意味では分かってなかった。最近まで。
「ルキア」
「何だ?」
「勝手に居なくなるなよ?」
 黒髪にオレンジ色を添わせるように、ルキアの肩に額を載せた。
「お前が消えたら……」
「たわけ。どんな心配をしておるのだ」
 手探りで、ルキアの手が頭を撫でる。
「私は、貴様に黙って居なくなるような真似はせぬよ」
 黙って居なくなったのは貴様の方だったではないか。妹達まで心配させおって。そう呟くルキアに、そうじゃねえよと心の中で返す。
 勝手に居なくなるのは許さねえ。だけど、いつ、という期限も聞きたくない。
「なあ、ルキア」
「何だ、一護」
「もう少し、このままでいいか?」
「……ああ」
 そう頷いてくれるのは分かってる。でも本当は、ずっと、このままで……――。

 時折、こうして雨は降る。
 雨音は多分、俺に、「忘れるな」と言っている。







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