On the Horizon


「あれ、朽木さん」
「小島君」
「遅くまで残ってるなんて珍しいね。今日は一人?」
「ええ。ちょっと先生に呼ばれていましたの」
 冬休み明けの放課後。教室で帰り支度をするルキアは、学校用の猫被りキャラで微笑んだ。彼女と同じく底が見えないタイプの水色も笑みを返す。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「ええ。何でしょう?」
「朽木さん、まだ一護に言ってないんだね」
 それは、質問ではなく確認。ルキアは首を傾げた。思い当たる節が有るのを隠して。
「あの、何のお話でしょうか?」
「じゃあ、言い直すよ? ――まだ告白してないんだね、一護に」
 思い掛けず直球な科白。トン、と音を立てて、ルキアは教科書を揃えた。
「……意外だな。私はそんな風に見えていたか?」
「あ、皆は気付いて無いと思うよ。でも僕はそういうの敏感な方だから」
 無言で向けられる視線に水色は、にっこりと形容出来そうな顔をしてみせる。正体を知る数少ない人物を前に、ルキアはあっさりと猫被りを止めた。
「悪いが、小島。それはお前の勘違いだ」
「そうかなあ?」
「ああ。私はその手の事には縁が無いし、興味も無い」
「ふーん。じゃあ、一護の事をどう思ってるか、訊いてもいい?」
「仲間だ。敢えて形容を付けるとすれば、大切な仲間だ。色恋などとは関係無い」
「何だか、準備してたみたいな答えだね」
「最近、お前に限らず邪推してくる者が多いのでな」
 音を立てて鞄を閉める。
「小島。悪いが、他に用が無いのなら……」
「あ、じゃあ、もう一つだけ。――今、好きな人はいる?」
「質問の意図が良く分からぬが……答えは否だ。予め言っておくが、この先もな」
「そっか……」
 沈黙が落ちる。ふと、自分の素っ気無さ過ぎる物言いを気にしたのか、ルキアは考えながら言葉を継いだ。
「小島。私は死神だ。もしかすると、人間とは物の考え方が違うかもしれぬ。現世では、若い者は恋愛事を重視しているようだが、私はそうではない。事によっては違和感を感じるかもしれぬが、そういうものだと思ってくれ。――だから、皆が色恋沙汰をどうのと気にするのも当然だし、寧ろ若者がそうなのは良い事だと思う。ただ、私が普通ではないだけなのだから……」
「あ、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。いきなり失礼な事訊いちゃった僕も悪かったんだから」
「いや……」
「呼び止めてゴメンね、朽木さん」
「別に、大した事では無いよ。――ではな」
「うん。バイバイ」
 ひらひらと手を振って、教室を出て行く彼女を見送る。足音が階下に消えてから、水色は身体の後ろに隠すようにしてさり気なく持っていた携帯電話を持ち上げた。
 最新機種の液晶画面には、通話時間が一秒ずつ刻まれている。
「――…だってさ。ちゃんと聞いてた?」
『…………水色。お前、一体何のつもりだ?』
「うん。だから、聞いた通りだよ。朽木さん、やっぱり手強いなあ」
 のんびりと言うと、苛立ったような空気が携帯越しでも分かった。
『そういう意味じゃねえ。俺に聞かせてどうするつもりだったんだって訊いてんだ』
「だって、君が気にしてたから」
『してねーよ、別に。残念だったな』
 不機嫌な様が容易に想像できる声に、水色は相手に分からないよう小さく笑う。それでも、電話の向こうの相手をからかう為にしている訳ではなかったから、少し声音を落とした。
「ねえ。僕、思うんだけどさ。一護」
『あ?』
「朽木さんって、欲しいもの全部諦めてるみたいだよね。欲しいものが出来るって可能性も含めて全部」
 何となく、彼女の机を見遣る。
「現状で満足して、それ以上を求めちゃいけないと思ってるみたい」
『何だよそれ』
「朽木さんは、何も言わないよ。多分ね。それでも、これからもずっと、最後まで君の味方でいると思う。そういう人なんだ」
『……ああ』
 知ってる、と呟く彼が指すのは科白の後半。過信でも無く、自然にそう言える関係。当然のように彼が言う関係の希少性を、どう言えば解ってくれるのだろう。
 ――そういえば、前に朽木さんとの事を何て言ってたっけ?
 普通なら恥ずかしいような科白を、さらっと口にしていた気がする。
 ふと考え込んだ水色に、携帯越しの不機嫌な声が呼び掛けた。
『オイ。何なんだよ、黙り込んで。つーか、話終わったんなら切るぞ?』
 俺はお前と違って家の電話なんだよ。長電話してると怒られんだよ。
 現代日本の高校生には少なくなってきた悩みを聞き流しながら、水色はようやく探していた言葉を見付け出す。やや取り留めも無く口を開いた。
「あのさ。思うんだけど、『縁』と『絆』は違うんだよ。自然に繋がるのが『縁』で、結ばなきゃ出来ないのが『絆』なんじゃないかな。というか、繰り返し結んでいって初めて出来るのが『絆』だと思う」
『――…で、それが何なんだよ?』
「だから、君は気付いてないかもしれないけど、『自分達の絆は消せない』って言える関係って凄い事なんだ」
『――だったら…別にいいじゃねぇかよ。今のままで』
「うん、そうかもね。君が本当にそう思ってるなら、そうかもしれない」
 だから、と水色は続けた。
「諦めるなとは言わないよ。でもね、」
 沈黙の向こうで、彼は何を思っているのだろう。
「最初から諦めて後悔するか、諦めずに足掻いてみるか。……それでもやっぱり後悔するかもしれないけど、結局はどちらかなんだよ」
『要するに、何が言いたいんだ』
「諦めたら絶対に後悔する、って事」
『そりゃ何かのアドバイスか?』
「率直な感想だよ。君達に対する」
 真っ直ぐで、不器用で、見ていてもどかしくて、羨ましいくらい強い絆を持っている二人への。
 大袈裟過ぎる溜息が、向こう側で落ちた。
『水色。お前、結構お節介だな』
「実は僕もそう思う」
 あはは、と笑って、
「まあ、話っていうのはそういう事だから」
『――そんな事に電話代使うなよ』
「じゃあ、次は啓吾の携帯借りよっかなー」
『泣くぞアイツが』
 反射的に本気でウザそうな光景を想像して、こちら側とあちら側で同時に笑った。
「――…それじゃ、そろそろ切るね」
『おう。じゃーな』
「頑張ってね。一護」
 何を、とは訊かれなかった。
 待機音が唸る携帯を見下ろして、ゆっくりと通話を切る。小さく、呆れたように呟いた。
「我ながら、珍しい事してるよね。ホント」
 ――けど、これでも期待してるんだ。君達の事。
 夕日に似た彼と、月のような彼女。同じ空に居るなら、幸せそうな方が見ていて嬉しい。
 見上げた空には、西に沈む太陽と、東で白く浮かぶ月。
 ガラリと無人の空間に音を響かせ、教室の戸が閉まった。







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