Cloud Castle


『――何だ。また来てんじゃねえかよ』
 二度と逢いたくねぇとか言ってた癖に。
「黙れ。来たくて来た訳では無い」
 冷ややかな科白を、白い男は胡坐をかいたまま鼻で嗤った。
『そんじゃあ、帰れよ』
「帰って欲しくば帰り方を教えろ。第一、誰が好き好んでこんな何も無い場所に来ると言うのだ」
『酷ェ言い草だなオイ。一応、此処はアイツの中だぜ?』
「では、貴様が居なければ多少はマシに思うかもしれんな」
『遠慮が無ェなぁ』
 何故か愉しげな男を、冷えた声で突き離す。
「貴様は遠慮も配慮も一切しない。ならば、わざわざ此方がしてやる必要も無かろう」
 現実世界ではそうもいかない。『中』だから、そして此の男が相手だからこう出来る。
 冷然としたルキアに、ふと男が顔を上げた。
『ああ……って事は、遠慮しなくていいんだな』
 思い付いたような貌をして、奇妙な笑みを浮かべる。すっとその姿が揺れて、――思った瞬間、ルキアは後ろから伸びた腕に絡め取られた。
「……なっ、…っ離せ!」
『厭だね』
 もがくのを鬱陶しそうに押さえ込んで抱き締める。
「ふざけるな! ……このっ……寒いわ、たわけっ」
 背から包み込む低い体温に鳥肌が立つ。耳の後ろで、微かに嗤った気配がした。
『なら、アンタが温めてみるか?』
「ふざけるな!」
『心外だな。俺は本気だぜ?』
 拘束する腕に、苦しい程に力が込められる。
『言ったよなあ? 俺は、欲しいモノは手に入れる。――解ってるか? その中にはアンタも入ってんだ』
「そんな事など知らぬわ!」
『なら、教えてやるよ。何が欲しいか』
 刹那、ざらりとした感触がルキアの頬を這った。冷え冷えとした温度と、皮膚が薄くぬめる感覚とがそれに続く。
『例えば、この肌とか』
 右頬をゆっくりと舐め上げると、冷えた象牙の肌が僅かに温度を上げる。
『眼、とか』
「………っ!」
 白い指が顎を掴み、毒々しい色の舌が目尻を浸す。そのまま右の眼球に侵入しようとする動きに、ルキアは呻きながら身を捩る。せめてもの抵抗で瞼を落とした。
「貴様…止めろ! 一体何を……っ」
 応えは無い。代わりに、長く影を落とす睫毛を舌でなぞり、食むようにして緩く唇に挟む。視覚では無く、触覚でしか判らない動きに、ひくりとルキアの咽喉が鳴った。
『黒い髪も』
 目の上に落ち掛かった髪の毛が、纏めて何本か軽く引かれる。舌と唇がなぞって咥える箇所が、何かに浸されていく気分。
 顎から外れた手が、腕で抑え込んでいた一回り以上も小さい手を握り込んだ。舌で耳朶を撫でつつ右手を軽く掲げるように上げると、黒い爪の白い指と、桜色の爪をした象牙の指が奇妙な対比を作る。
『この爪も』
 ゆるりと、形の良い指先が開いた唇の間に呑み込まれた。
「っ貴様、いい加減にしろっ!」
 一本ずつ、指を味わうように甘噛みする男を、振り解こうと声を上げる。
「おい! 聞いておるのか貴様!? いい加減に――」
『――全部だ』
 不意に、ずるりと口内から指が解放される。くぐもったような声で言葉を発しながら、唇がルキアの手の甲を滑った。
『全部欲しい。――…だから、俺が手に入れるんだよ。アンタを』
 手首を返して掌の側を己に向けると、男はうっすらと静脈の透けた脈の部分に吸い付いた。
「っつ………!」
『解ったか? 朽木ルキア』
 紅く欝血した皮膚を見せ付けるようにして囁く。
『アンタが此処に来た手段も理由も俺は知らねえ。だが、アンタは来た。そして、俺は此処に居る』
 静かな間を置いて、言葉が続いた。
『いっそ、流されてみろよ』
 それは誘い。
『なあ、ルキア……』
 奇妙に、声が響く。
『此処には何も無ぇ。何を懼れる事があるってんだ?』
 耳鳴りがしているような気がした。
『――ルキア』
 少し低めの声が、橙の髪の少年と重なる。
『ルキア……ルキア…――ルキア』
 あの声で、不規則に繰り返される名前。熱過ぎる吐息。
『ルキ、』
「黙れ……っ!!」
 腕を掴まれ、抱き締められたまま、身を捩る。
「貴様は…貴様は……」
『一護、だ』
「な……っ」
『俺が一護だ』
「っ違う!」
『同じだ。いずれそうなる』
「黙れ! 一護は……!」
『アンタを確かに見てるか? アンタの欲しいモノを解ってんのか?』
「………!」
『アイツは餓鬼だ。自分のモンを棄てる覚悟は出来てねえ。その癖、何を敵に回しても、手放さ無ェって覚悟も出来てねえ。――…手を伸ばす前に、傷付ける前に、逃げるぜアイツは』
 何たって、優しいからなァ。
 嘲笑う声音。明確な嘲弄。なのに、
 違う、と――言えなかった。
『アンタも解ってる筈だ。だから、覚悟してんだろ?』
 その時を。
『アイツを手放す覚悟、離れる覚悟をしてるアンタが、此処に来た』
 思考を浸す声。
『――要は、諦めなくても良いって事じゃねえか』
 なあ? と、促しながら、色の無い唇が弛緩したルキアの其れを掠めた。
 抵抗の力が抜けた小柄な身体。拘束していた腕の力が僅かに緩まる。
『ルキア』
 ふわりと、思い出したように吹き抜けた風。色の違う死覇装を揺らして駆け上がる。
 男の記憶に在るのは散り去る姿。だが、
 立ち尽くすルキアの身体は、消えなかった。
『ルキ――…』
 不意に、腕が振り解かれる。身を翻した女が、ぶつかるような勢いで男の胸を押した。
『………オイ』
「何だ」
『何してんだ?』
「黙れ」
 バランスを崩して座り込んだ男の肩を、更に押す。
『なあ……』
「黙れと言っている」
 押し倒したような形の身体の上に馬乗りになって、ルキアは男を見下ろした。眇めた琥珀の虹彩を冷ややかに覗く。
 上体を倒して、低く囁いた。
「貴様は、一護では無い」
『じゃあ、何だ?』
「他のモノだ」
 言い捨て、返答を封じるように唇を塞いだ。己の唇で。
 冷たく、熱い。異なる二つが触れ合う箇所が、互いの存在を主張する。絡み合う舌が、じわりじわりと焼けていく。
「――ひとつだけ、言っておく」
 ゆっくりと離した唇を、ちらりと舐めた。
「いずれ消えるのは、貴様の方だ」
『……どうだかな』
 熱の増した視線が絡む。伸びた手が、ルキアの頬をゆるりと撫でた。


 最果ての世界と白い闇。
 醒めない夢に、堕ちていく。












………色々とスミマセン…。

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