Tales of ...


 東三条。大内裏から南に向かって左に位置する左京。市中を東西に貫く三条大路の北側。一町四方の敷地に建つ邸の寝殿で、雅やかな雰囲気とは縁の無い怒鳴り声が響いていた。
「だから、断るっつってんだよ! つーか、勝手にそんな話持ってくんな! まだ早ぇだろうが!」
「やかましい! 文句言うなら浮名の一つも流してみろ、この甲斐性無しが!! 自分を幾歳だと思ってんだ!? 十六だぞ、十六! たまには恋愛とか、そういう親にも言えないような事に精を出してみようとは思わんのか!?」
「うっせえ! まだ元服して二年じゃねえか! こちとら漸く仕事に慣れてきたとこなんだよ!」
「何だとぉ!? まだ二年が聞いて呆れる! 散々イヤだと抜かして十四まで元服引き伸ばしたのは何処のどいつだ! 昨今の貴族は十二で元服だ馬鹿野郎! 参内して顔合わせる度にねちねち嫌味言われまくった父親の立場も考えろ! それが漸く無くなったかと思えば、今度は石田の野郎、自分の息子が可愛い奥さん迎えたからって上から目線で見やがって! ウチの息子だってなあ…その気になりゃあ、妻や恋人の一人や二人や三人や四に……――っ!?」
「そりゃ完全にテメエの都合だろうがっ!!」
 天下の左大臣相手に円座を投げ付けるという暴挙をかましたのは、左近少将。当の左大臣の一人息子である。最初は差し向かいに座し、それなりに平和的に始まった会話が、取っ組み合いの親子喧嘩に発展するまで半刻も掛からなかった。中々に慌ただしいが、此処の親子は常にそうである。
「――……あーあー、またやってるよ。懲りないねぇ、ヒゲも」
「ええ!? お父さんってば、またお兄ちゃんに縁談持ってきたの!?」
「ったく、放っときゃいいのに。ヒゲがあの調子だから一兄も反発するんだしさぁ」
 西の対屋。寝殿で交わされる丸聞こえの会話――というか喧嘩を聞き流しながら、菓子を口に放り込むのは左大臣家の姫君二人。裳着もまだな気楽な子供である妹達は、父と兄の日常茶飯事の遣り取りをほぼ他人事の風情で傍観していた。見てはいないが。
「でもあたし、まだお兄ちゃんに結婚して欲しくないなぁ。元服しちゃってから、仕事が忙しいって殆ど遊んでくれないんだもん。お嫁さんなんて出来たら余計に遊ぶ時間が無くなっちゃう」
「ちょっと、遊子。アンタもいい加減に兄離れしなって」
「えー、夏梨ちゃんはいいの? お兄ちゃんがお婿に行っちゃっても」
「いいじゃん、別に。何処に婿に行こうと、実家はこっち」
「もう、そんな事言って……」
「それよりあたしら、自分の心配した方がいいよー。一兄でさえああなんだから、あたしらが裳着終えて縁談来るようになったらどうなるか。アレよりヒゲがウザくなると思うと今から頭が痛いわ」
 言って、何となく遠い目をする夏梨の耳に、何かが盛大に倒れる音が聞こえた。
 ――…ああ、几帳蹴倒したね、アレ。

   ※

「――何か用?」
「ツレないっスね。少しはゆっくりしましょうよ、乱菊さん」
「悪いけど、休憩中って事はつまり仕事中なのよ」
「流石は内待……と言いたいとこですけど、たまには俺の相手もして下さいよ」
 御簾越しに、袖の端を掴んで離さない男。彼女は溜息混じりに御簾の横に座り直した。
「ねえ、しょっちゅう来てるアンタに言いたいんだけど、頭中将ってのは年中暇な訳?」
「乱菊さんに会う為に、頑張って仕事片付けてんですって」
「そう? あたしは片付かなくって大変なのよー」
「だからって帰りませんよ」
「……アンタ最近可愛気無いわよ。修兵」
「後輩に結婚で先越されて不機嫌なんです」
「ああ、噂の蔵人少将ね」
 何年来の付き合いなのか数えるのも面倒だが、延々と微妙な関係を続けている二人の、最近の話題と言えばこれである。
「っていうか、石田の相手って先帝の姪に当たるあの姫でしょ? あーんな顔して中々隅に置けないわねぇ」
「そうっスね。裳着も済まないうちから一体誰が口説き落とすかで盛り上がってた姫だったってのに。まさかあいつとは……。しかも恋愛結婚」
「余計想像付かないんだけど」
 世の中って不思議ねぇ、と他人事ながらしみじみとしてみせる。
「あ、そういえば、評判のもう一人の少将殿はどうしたのよ?」
「蔵人少将が予想外に早く結婚したんで、その流れで周りから縁談薦められていい加減頭に来てるみたいっスよ」
「気の毒ねぇ。――っていうか、相変わらず紫野通いしてる訳?」
「ま、あんなんでも根は結構真面目な奴なんで。普通に学者や風流人に混じってますよ。漢詩にはそれなりに才能あるし、字だって意外に整ってるし」
「……健気っていうか、一途ねぇ」
 元服前の童殿上していた頃から見知っているが、年中眉間に皺を寄せたあの顔で出入りしているのだろうか。正直、こっちの方も想像が付かない。
「で、気付いてんのかしらね、目的の御方は」
「あー、多分気付いて無いっスね」
 深窓の姫君が云々というのは置いても、間違い無く彼女はそっち方面に関しては鈍くて無自覚で天然だ。立場が立場なだけに自覚されても困るような気もするが、あれだけあからさまで気付かないというのも……。
「ま、身分も歳も釣り合ってるんだし、運が向けばどうにかなるわよ」
「運任せっスか」
「だって、当分譲位の予定無いじゃない」
「あー……確かに。そりゃ大変っスね」
 完全に他人事ながら、それでも彼は多少同情混じりに呟いた。
「――…で、そういえばアンタはいつまで此処にいる訳?」
「イヤ、どうせなんで、もうちょっと建設的な話をしようかと……」
 相変わらず掴んだ袖は離さないまま、彼は御簾越しの相手に囁いた。
 ――ちなみに、俺もかなり一途ですよ?

   ※

 紫野。都の北辺に位置する其処にあるのは斎院御所。斎院の在所であるその場所に、牛車に揺られて向かっているのは左近少将、黒崎一護である。
 賀茂斎院と言えば賀茂神社に奉仕する未婚の皇族女性だが、同時に当世の斎院御所は風流人が出入りする社交場にもなっていた。彼は左近衛府に所属する純粋な武官ではあるが、上流貴族である以上、学問に熱心なのも教養を深めるのも当然。寧ろ、褒められても貶される謂れは無い――という事にしている。
 実際は下心有りまくりなのだが。
 ――…つーか気付け。別にどうしろとは言わねぇから、せめていい加減に疑問に思え。
 何の為に、遊びたい盛りである筈の若者が真面目かつ熱心に紫野まで通って、普段接点の無いような風雅な人間達に混じっていると思っているのか。
「あー…畜生…ルキアの野郎……」
 自身の耳にも聞こえるかどうか、という声で斎院の名を呟くと、左近少将は溜息を吐いた。そう、彼の目的とは、御所の主である斎院その人だったりする。現状は完全な片思いだが、その片思いっぷりと言えば、そりゃもう筋金入りだった。
 ルキアは先帝の弟宮の娘に当たる。詰まり、宮家の姫で直系の皇孫という実にやんごとない身分の姫君である。只、邸が同じ三条に在る上に母親同士が親しかったので、小さな頃にはちょっとした交流もあり、一緒に走り回って遊んでいた。彼女の身分からすれば普通は有り得ない事だが、昔のルキアのお転婆ぶりといったら半端無かったのである。近所なのを良い事に、延々こっそり邸に不法侵入していた一護も一護だが。
 そんなこんなで気心の知れた幼馴染をやって数年。彼女の母親が亡くなると、ルキアが幼い頃に伊勢斎宮に選ばれて都を離れていた彼女の姉、緋真が帰京した。その後、裏でどんな遣り取りが在ったのか、緋真が東宮の妃として入内する。が、別にそれはどうでもいい。問題なのは更にその後。帝が東宮に位を譲り、御代が変わった時である。それに伴い交代する事になった賀茂斎院に、あろう事か当時十一歳のルキアが卜定されたのだ。
 これは結構な衝撃だった。十一歳と言えばまだ子供だが、結婚の早い時世である。結構な家柄であるだけに、一護の周りでも昔から将来の結婚相手はどうこうという他愛無い話題が尽きなかった。大して興味が有った訳では無いが、候補にルキアの名前が入るとなると話は別。確かに子供心に見ても可愛いし、頭も良い。一緒に居て楽しい、というか会えないと何となく物足りない。多少身分柄の贔屓目があるとはいえ、世間でもちらほらと美人だとか才女だとかの噂が聞こえてくる。必ずしも最初からそうだった訳では無いにしろ、本人を目の前にして考えると、
 ――ああ、そうだよ。悪くねぇかも、っていうか、寧ろそうなったらいいなとか考えたのが運の尽きだよ。どんなグッドタイミングだこの野郎……。
 詰まり、そういう相手としてルキアを意識しかけた頃に当の本人が斎院になってしまったのである。神や仏を恨みたくなったのも当然であろう。実際は、恨みつつも一護は行動した。
 斎院になると、宮中に設けられた初斎院での二年間の潔斎を経てから紫野に移る。そこで、彼も同時期に宮中に童殿上した。結局、会うどころか姿を見るのも不可能だったが。
 そして二年後、彼女が斎院御所に移った後も大人しく童殿上していたのは、後宮に緋真が居たせいである。目的は緋真の元に来るルキアからの文だとか、何かの拍子に彼女の話が聞けないかとかいう実にささやかなものなのだが。お陰で緋真を寵愛する帝から微妙に睨まれた。……誤解だ。ルキアに良く似てる外見なのは認めるが、アンタの奥さんに個人的興味は皆無だ。つーか、俺、あん時子供だったろうが。なのに未だに視線が怖いのは何でだよ。
 そんな感じで子供という立場を活用していた為、元服を面倒だと先伸ばししていた一護の耳に入って来たのが、若いが文雅な斎院が才知のある女房を集め、御所にも歌人や学者、風流人が出入りするようになった、という話。これを聞いた一護は父親に告げた。
「俺、そろそろ元服する」
 で、伝手を使って斎院御所に出入りするようになって今に至る。無論、相手が相手なだけに姿を見る事はおろか、直接声を聞く事すら無い。それでも何とか御簾を隔てて彼女の視界に入る事が出来るようになった。多分。
 ――うわ、俺って一途……。
 考えて、しみじみと思ってしまう少将殿であった。頭中将や掌侍が聞けば、何を今更と呆れそうだが。……と言うかアンタらは他人よりも自分らの事をどうにかしろよ。どんだけ友達以上恋人未満を続ける気だ。あと檜佐木さんはちゃんと仕事して下さい。俺のとこまで噂来てんですけど、新婚の石田に仕事任せてどうすんだ。イヤ、寧ろアレか。自分が乱菊さんと進展しない間に石田に先越されて悔しいんですか。それを言うなら俺の方が悔しいわ。何だよ先帝の姪って…要はルキアの従姉妹じゃねえか。何で石田の野郎が結婚出来て、俺がこんな片思いまっしぐらな状況なんだ。世の中って不公平だ。
 がたん、と牛車が大きく揺れて、ほぼ一瞬の内に巡らせた思考を中断させた。牛車というのは、見てくれはともかく乗り心地は大して良くない。道によっては最悪だ。
 ――やっぱ今度から馬で来るべきか? でもそれなりに外聞ってもんが有るしな。
 牛車で普通に外出出来るのは上流貴族の特権である。第一、荘厳で独特の風情のある斎院御所にわざわざ馬で乗り付けたりすれば何か言われそうだ。
 ――つーかそもそも、何で俺がこんなにごちゃごちゃ考えなきゃならねぇんだ? 俺とルキアだぞ。本来、何の障害も無いだろうが。寧ろ祝福されてナンボだ。それが普通だ。その筈だってのに……。
 片や摂関家の流れを汲む名門の跡取り息子。片や宮家の姫君で、しかも姉姫は帝の寵妃で身分からしても将来の中宮候補。釣り合いからしても政治的にも両家にとって好条件が揃っている。要は、唯一の壁を除けば結婚への障害は無いも同然。
 そう、当の姫君が現役の斎院という壁を除いて……。
 ――唯一の壁がでかすぎるだろうが、畜生め。
 取り敢えず、伊勢斎宮だった緋真の時のように親が亡くなるか、帝が代替わりしない限り基本的に斎院は交代しない。いや、斎院の場合は御代が変わっても交代しない事があるが、それは不吉過ぎるので考えない事にする。だがとにかく、ルキアが斎院を退下しない限り結婚は不可能である。
 詰まりは必然的に、内裏におわします帝その人に向かってこう思う事になるのだった。
 ――……取り敢えず、とっとと退位してくれ、白哉。

 ……今日も今日とて牛車に揺られる彼の恋路は先が長そうである。







完全にノリと勢いで書いた平安パロディ。シリアスになるかと思いきや、最初の一護の科白で路線変更。
というか自己満足甚だしくてすみません。以下は簡単設定。



黒崎一護:左大臣(一心)の一人息子。個人的事情から伸ばしに伸ばして十四でやっと元服。それでも名門中の名門の子弟なので順調に出世し、現在は左近少将。
石田雨竜:一護のライバル(?)で、何をどうやったのか宮家の姫(織姫)をちゃっかり正妻にゲットした蔵人少将(ちなみに雨竜の方が元服は早かったが、一護は童殿上していた頃から位階を貰っていたので結果的に昇進速度は同程度)。何だかんだで息子の結婚が嬉しかったらしい普段は仲悪い父親の内大臣(竜弦)が長年のライバル(一心)に回りくどい言い方で自慢しまくり、一護はその結果、早く良い嫁を捕まえろとせっつく一心と日々バトルを繰り広げる羽目になっている。
檜佐木修兵:頭中将。一護が童殿上していた頃からの知り合いで先輩格。最初に一護を紫野に連れて行ったのは彼。一護の片思い奮闘記(…)を心の中で応援するが特に何もしない。本人はそこそこ浮名を流しつつ、本命は才色兼備の掌侍。
松本乱菊:生まれは中流貴族ながら、才女でなければ務まらない帝の秘書官、都の女性憧れの職業、掌侍(ちなみに単に「内侍」と言っても掌侍を指す)として働くスーパーキャリアウーマン。
ルキア:宮家の姫君。歳の離れた姉は元・伊勢斎宮で現在は帝(白哉)の女御(緋真)。自分も現役で賀茂斎院(内親王以外の皇族女性が斎院になる例は少ないが、当時は内親王に候補者がいなかったらしい)。神に仕える身ではあるが、斎院御所を後宮に匹敵する文化サロンにしたりしてそこそこ優雅な生活中。

ついでに東宮は冬獅郎。これは完全に何となくな配置…。白哉とは歳の離れた異母兄弟。ちなみに遊子、夏梨と年齢的に近いので、成人の暁にはどっちかを東宮の後宮に入れるかどうするか(本心では何処にも嫁に出したくない)で密かに悩む一心とかもちょっと考えたけど話が大幅にずれそうだったので止めました。――凄いごった煮だ…。ついでに彼らは平安貴族なので、系図書いたら全員どっかで姻戚関係にあると思われる。(というか白哉&冬獅郎と緋真&ルキアと織姫は多分従兄弟同士(…)あ、他キャラの設定は全く考えてません。
要はイチルキで修乱で雨織で白緋な話が書きたかったらしい。後半二組出てないけど…。







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