Sound of Silence
春先の雪。遥かに下りて、駆け上がる風に吹き上がる。
死覇装の袖を舞い上げて、風の行方を見送った。
雨混じり、霙混じりの雪。積もる為ではなく、春に向かう季節が冬を振り向いた気紛れな束の間。
満開に近く咲いた梅。白い花弁を掠め、叩いて、白が降る。
ぐしゃりと濡れた土。道の端に押し遣られた枯葉。倒れた枯草の合間から、僅かに覗く緑。
春が近付き、冬は去る。視覚にも判る変化。
雪が終わる。白に閉じ込められた夜が消える。
「―――……、」
何かを呟こうとし、何を言おうとしたのか気付いて愕然とした。
「随分と、未練がましいな。私は……」
自嘲。頭を振って追い出そうとするのは懐かしい記憶。時を遡れば遠くないのに、懐かしむしかない日々。此方の世界では、思い出にしか居ない人々。
灰色がかった白に曇った、空を見上げた。
見えない空の向こう。繋がらない世界。此方よりも四季の変化が曖昧で、暖かかった気がする街を思う。
――彼方はもう、春だろうか。
強い風が障子を揺らす。
ふと、前触れ無く覚醒して、うたた寝していた自分に気付いた。文机に広げた本は、座って最初に開いた頁のそのまま。散漫な集中力に苦笑して、結局それを閉じた。
起きたばかりなのに、目が冴えていた。うたた寝する程眠かった筈なのに、既に眠気は何処かに行っている。
障子紙の外の様子は、深夜の暗さ以外は伺えない。身体は冷えているし、眠れなくとも横になった方がいいに決まっている。それでも、布団に向かう気にはなれなかった。
こんな日が増えた。仕事自体に支障は無い。だけど何となく、眠りの浅い夜が続いている。
眠れないのか。眠りたくないのか。
或いはその、両方かもしれない。眠ったら、夢に見てしまう。思い出したら、眠るのを忘れる程に記憶が溢れて来る。
そしてまた、思考は其処へ繋がっていく。
貴様は、人間だ。と言い聞かせた。そう信じて欲しかった。違うかもしれないとは、思わせたくなかった。
本当は――違っていても構わなかった。人間でなくとも、死神でなくとも、虚でなくとも。例え、何であっても。
彼は彼だと、知っているから。
だけど、口には出来なかった。彼の居場所は、在るべき場所はあの世界で。家族も仲間も人生も全て其処に在る。それは間違い無く本当で、決して壊してはならないから。
何故か居心地が良かった。離れたくなかった。けれど、望む権利は自分には無い。
いつものように言葉を交わす事。微笑って、真っ直ぐに背筋を伸ばして、振り返らずに進む事。
自分は上手く、出来ていただろうか。
出来ていれば良い。そうして、私の事を思い出にして、前へ進んでくれれば良い。枷になりたい訳でも、悲しませたい訳でも無いから。
だから少しだけ。そう――ほんの少しだけ、寂しいと思ってくれたなら。居ない私を、私が居ない事を時折思い出してくれるなら。
「……いや……それも随分、我儘だな」
もう少し我儘になってもいい、と言ってくれたのは誰だっただろう。
だけど、望んでしまえば限りは無くて、一度願ってしまえば止め処なく溢れてしまう。だから、甘える訳にはいかない。自分の我儘で、誰かを犠牲にしてはならない。――何故なら、
逢いたい、と思ってしまうから。
別れを選んだ癖に。別れを選んでくれるよう、必死で己を繕った癖に。それなのに、繰り返し思い出して。無意識に探して。誰かの会話の端で、名前だけを明確に捉えて。
――本当に、愚かだ。
少しも、進歩していない。いつもあの頃を思って、ふとした瞬間、過去を振り返らずとも浮かんで来る。
今でさえそう。なのに、この先もそうだという気がする。
溜息を吐いた。
彼は最後に、どんな顔をしていただろうか。抱えた未練を悟られないよう必死で、必死過ぎて、はっきりと覚えていない事に気付いたのは最近。
自分は、何をしていたのだろう。あれが、本当に最後だったかもしれないのに。
それが気になって、結局は全て忘れられない。
だけど――本当は、忘れたくはない。忘れてしまえば、何かを失くしてしまいそうだから。もう既に、己の中の何かが欠けてしまっているのに。
だから、
――消えてしまえば良いのに。
記憶と、想いと、全て抱えたまま。自分だけ。積もる間もなく融ける雪のように。
そうすればきっと、悩まなくていい。
机の上に腕を重ねて、額を預けた。瞼を伏せて、真っ暗な中に呼気を落とす。
嗚呼。
最期でもいい。一度だけでもいい。いつか、でいいから。
「逢いたいな……」
そうだ。お前に、逢いたいよ。
「――……一護」
他の誰にも聞こえない。呟く言葉は、自分だけが知っている。
だけど、其れは言霊。
Lost Soul のルキアサイド。耐えられなくても一人で耐え続けようとするのがルキア。