Mind goes Blank


 後ろ姿に手を伸ばす。
 肩に置いた手をそのまま引き寄せると、小柄な体は大げさに後ろへ傾き、たたらを踏んで歩道に戻る。
「――車」
 主語だけ告げる声を消すように、目の前をスピードを上げた車が過ぎ去った。
「ぼーっとすんなよ」
「すまぬ……」
 謝罪と謝意の混じった言葉を聞き流すように、信号が変わったばかりの横断歩道を歩き出す。肩に触れた右手はポケットの中。感触が痺れる様に残る掌を軽く握った。
 視界に居ない、自分の後ろを歩く足音を聞きながら進む。らしくなく意識している自分が居て、いつも通りの彼女が居た。
 自分らしくない――そう思う。何が、と問われても困る。強いて言うなら、自分の中の彼女に関わる全てが。こんな感じでは無かった筈なのに、ではどうだったのかと考えると、まるで思い出せなかった。
「……ルキア」
「何だ?」
「親父達って、今日……」
「ああ、今夜は皆留守なのだろう? 朝、出掛けに聞いた。遊子が夕食は準備しておくと言っていたが。それがどうかしたのか?」
「イヤ、知ってんならいい」
 短く、会話を終わらせる。気にした様子も無い彼女の足音を聞いて、道に伸びた影に目を落とした。
 持て余しそうな感情。意志とは無関係に反応する何か。気付いてから加速して、ふとした瞬間に溢れそうになる。
 意味も無く手を触れたくなって、引き留めたくなって、理由を付けて手を伸ばす。いっそ、必要な時以外は関わらない方がいいと思っても、離れる切っ掛けが掴めない。
 近いと言う程には密接では無く、遠いと言う程他人でも無い、どこか不自然な距離。以前なら、これを自然な距離だと思えていたのに。それを認めたくなくなっている自分。
 誰も居ない家が、何故か見慣れなく感じた。
 閉めたドアの向こうで、妹達の部屋に入って行く音。彼女の気配を、妙に耳を澄まして追い掛ける。想いを気付かれたくないという気持ちと、変わらない彼女に苛立つ思い。
 大切で、壊したくない関係。なのに、いっそ壊してしまいたくなる衝動。天秤は不安定に揺れていて、何かの拍子に崩れてしまいそうだった。
「――…ルキア」
「ああ、一護。今夜はビーフシチューだぞ。遊子がわざわざサラダまで準備してくれていてな。後はご飯を炊いて、シチューを温め直すくらいだな。貴様は他に何か欲しい物はあるか? ゆで卵くらいしか思い付かぬのだが、何かあった…――」
 唐突に科白が切れて、冷蔵庫を覗き込んでいた彼女が振り向く。手が、ルキアの腕を掴んでいた。
「一、護……?」
 戸惑うような瞳に、制服姿の俺が映っている。
「どうか、したのか? 着替えもせずに」
「なあ、ルキア。オマエ…――」
「何、だ?」
「オマエ、さ」
 気付いてんのか?
 訊こうとした瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
「……っあ、私が…出る」
 横をすり抜けたルキアが、小走りにキッチンを出て行った。宅配便の受け取りの応対も、いつの間にか出来るのが当たり前になっている。あっちの世界にそんな物は無いし、在ったとしても、きっと彼女が応対する必要など無いのに。
「――…一護。おじ様宛の小包なのだが、生ものでも無いようだし、リビングに置いておけば良いか?」
「ああ。いいんじゃねえの?」
「あの、一護……」
「着替えて来る」
 物問いたげなルキアの視線を無視して、ドアを閉める。階段を昇りながら、立ち尽くしている彼女の気配を探っていた。
 意味も無いのに、試している。
 そんな事をするのは、彼女の答えが恐いからだろうか。それとも、何であれ俺に反応する彼女の様子を見たいからだろうか。
 多分、両方。
 部屋の窓の先。夜に近付いて行く空を眺めた。
 後回しにしても、何も変わらない。鬱々とした日々が増えるだけ増えて、限界を超えて溢れるだけ。もしかすると、もう、溢れ始めているのかもしれなかった。

 炊飯器をセットし、キッチンエリアの電気を消してリビングに戻って来たルキアが、驚いたように立ち止まる。いつの間にか其処に居た俺が、リビングの電気も消したからだった。
「一護……?」
 夕暮れ時の明かりが、早めに閉めたカーテンを透かして入り込む。
「どうしたのだ? 何をしている」
 答えない俺に僅かに眉を顰めた風で、こちらに向かって歩き出した。
「点けるぞ?」
 スイッチに伸ばした手。それを掴んだ瞬間、僅かに震えた気がした。
「っ…一護…――?」
「ルキア」
 身体を壁に押さえ付ける事の容易さに、意外さを感じながら身を屈める。
「ルキア……」
「い、一護。貴様、一体何を……」
「抵抗、しねえの?」
「だから、何なのだと訊いておるのだ! 質問に……っ」
 言葉尻を奪ったのは、唇。
 塞ぐように触れて、下唇を食むように離れる。離れ際、茫然と見開いた紫紺の目と視線が合って、何故か苦笑が浮かんだ。
「――目、閉じるモンじゃねえ? こういう時」
「……っ!? 貴さ――…」
 すかさず、もう一度。
 混乱している所為か隙の有り過ぎる彼女に、何故か逆に腹が立つ。やや強引に角度を変えて攻めて行くうち、あ、と思った拍子に舌が絡んだ。抱き寄せる仕草も、逃さないよう彼女の頭に回した手も、意図に在ったから出来た無意識。奇妙に冷めていた思考が、感覚に侵されて熱を持ち始める。
 気付いたら、フローリングの床に崩れるようにして座り込んでいた。
 抱き締めた腕の中に、完全に力の抜けたルキアが居て。そのルキアの唇を貪るようにキスしている俺が居る。
 何処かで、感覚がショートしている。そうじゃなきゃ、こんな真似が素面で出来る筈が無い。いや、ショートしてんなら、俺は正気じゃないのか。
 ぼんやりとした思考すら、端から焦げて焼けていく。漸く唇を離した後も、暫くの間は茫然としていた。
「――…貴、様…どういう、つもりだ」
「どうって……」
 力が抜けたまま、深い呼吸の合間に言ったルキアの言葉。俺は、やけに冷静に応じる。
「好きじゃなきゃ、しねえだろ。こーいう事」
「てっきり、現世の……挨拶代わりかと、思ったわ」
「何だ。オマエ、俺に挨拶代わりにこういう事して欲しいんだ?」
「違…――」
 相変わらずの減らず口を、何となく微笑ましく思いながら軽く塞ぐ。そうしながら、やっと気付いた。
「オマエさ、全然抵抗しないんだな」
「抵抗して、欲しいのか?」
「いや……只、意外だと思って」
 薄暗い視線の先で、ルキアがのろのろと口を開いた。
「私も、訊きたいのだが……」
「何?」
「貴様が言うのは、その…男とか女とか、そういう対象としての好きだという認識で……良いのか?」
「つーか、他にあんのか?」
「っ…単なる、確認だ」
「そーだよ。そういう意味の好きってヤツだよ」
「な、ならば、先に口でそう言えば良かろう」
「言っただろ」
「は? いつ…――」
 訝しげに上げた顔。わざと音を立てて唇を触れ合わせると、象牙色の頬が今更のように紅潮した。
「――コレで」
「き、キッスは口で言う範疇には入らぬわ!」
「しょーがねえだろ。こっちは限界だったんだよ。オマエ全然自覚ねえし。隙だらけだし」
「だからと言って、いきなり……」
「ルキア」
 真面目な声音に、腕の中の身体が微かに跳ねた。
「なあ、返事は?」
「……何のだ」
「イヤ、告白?」
「貴様……今の遣り取りの一体何処に、一般的な高校生の告白の要素が有った」
「全体的に」
「有るか莫迦者! もう少し、恥じらいとか初々しさとか、そういうものは無いのか!?」
「――…えーっと、じゃあ……朽木ルキアさん。好きなんで付き合って下サイ」
「何処からどう聞いても誠意が足りぬわ……って、ちょっ…一護!?」
「ウルセー。それ以上ぐだぐだ言ってると、こっちの解釈で進めるぞ」
「す、進めるって何をだ」
「イヤだから……つーか、この状況から察しろよ」
 二人っきりの家。暗い部屋。ついでに、右手の指は、さっきからワンピースのファスナーに掛かっている。
「なあ、ルキア?」
 黙り込んでしまった彼女に、流石に少し調子に乗り過ぎたかと心配する。自分を持て余しているのは何より俺で、身体と脳と神経が、理性から離れた場所で動いているのは良く知っている。
 だけど、どうしようも無ぇだろう。
 言い訳のように胸中に呟いて、するりとルキアの頬を撫でた。――と、
「ルキア?」
 無言で背中に回された細い腕に、何故か一瞬訳が分からなくなる。同時に、小さく低い声が鼓膜に響いた。
「――…これで察しろ……莫迦者」
 嗚呼。まただ。
 また、思考が焼けていく。
「ルキア。責任、取れよ?」
「……たわけ。それは貴様だろう」
 苦笑に近く、微笑む気配。

 強く抱き締めて。そして際限無く高まる熱に――只、溺れた。











リクエストで「強気な一護にたじろぐルキア」
強気というか、攻めな一護…? ……ヘタレ卒業オメデトウ(をい)



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