Nothing springs from Nothing- I


「そういえば、一護。明日って何あげるの?」
 唐突に訊かれ、当惑した俺に水色はさらりと続ける。
「ホワイトデー。明日って土曜だから、学校だと皆今日渡してるけど。君達は一緒に住んでるんだから、当日渡すんでしょ?」
 一瞬考えるが、君達、と不本意ながら一括りにされる相手には、生憎一人しか心当たりが無い。黒崎家の公認居候。空座高校のミス猫被り。現役女子高生のフリした現役死神――つまり、クラスメートの女子数人と机を合わせて食事中の彼女の事だ。俺は、自然に止まっていた昼食の続きを何事も無かったかのように再開させる。
「別に……妹とか、他の連中と同じモンだけど」
 あっさり告げた科白には、何故か呆れたような視線が返って来た。
 ――何だその、有り得ねえだろみたいな空気は……。

「遊子、夏梨。コレ、ホワイトデーの」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「あー、サンキュ。一兄」
 毎年恒例。有名菓子店の、ホワイトデー仕様にラッピングされたクッキーの詰め合わせ。デパートやショッピングモールに溢れる、気合いの入ったディスプレイとは無縁のスタンダードなお返し。当然ながら、義理チョコをくれたクラスメートに昨日渡したのも同じ物。
 ――これで、いいんだよな。
 昨日から何となく引っ掛かっていた件の友人の態度を思い出しながら、納得させるように手元に残ったもう一袋のクッキーを見る。
 だって、貰ったアレは完全な義理チョコだった。恋次や白哉や、ついでに親父にもチョコを渡してたのを知ってる。……と言うか多分、クラスの女子達と一緒に集まって食べてた自分用のチョコに一番気合いが入ってたんじゃないだろうか。
 ――ってか、そういうモンだろ、普通。
 本命チョコとか、告白とか。世間一般で盛り上がってる意味でのイベントには、自分にもルキアにも縁が無いという気がしていた。
「そういや、ルキアは?」
「え? ルキアちゃんなら、さっき出掛けちゃったけど」
「へえ……」
 そう言えば、浦原さんとこに行くとか何とか言ってたような気もする。この手のイベントは何故か尸魂界にも波及しているらしいから、ホワイトデーの戦利品回収にでも行ってるのか。
 ――そういや、チョコ渡しながら三倍返しだとか何とか言ってたな。
 別に安物では無いが、流石にこのクッキーは、箱やらラッピング用品の費用を含めたあのチョコレートの値段の三倍もしないだろう。かと言って、チョコをくれた全員に律儀に三倍返しなどしたら確実に破産する。
「どうしたの? あ、ルキアちゃんにもお返し?」
「あー…まあ、別に帰ってからでいいし」
 昼飯はともかく、夕食までには帰って来るだろう。
 軽く判断し、踵を返した所で、目聡い双子の片割れがソファの背凭れ越しに声を投げた。
「ってか、一兄。もしかして、あたしらと同じモノ渡す気な訳?」
「……他に何を渡すんだよ」
「イヤ別に? ソレでいいんだ、と思って」
「はあ?」
 訳が分からない、という顔をすると、あからさまに呆れ顔になって手を振られた。
 ――……俺に一体何を期待してんだ、アイツらは。

 午後。何となく読み返していた雑誌を放り出し、ベッドの上で伸びをする。代行証は朝からずっと沈黙したまま。それはそれで十分有り難いが、だからと言って休日の昼から真面目に勉強する気にもなれない。
「……適当に出て来るか」
 机の上に乗ったままのクッキーを何となく一瞥し、立ち上がった。
 財布と代行証だけ持って、晴れた道に出る。朝方降っていた雨の名残が、アスファルトに残っていた。
 何となく気が向いたから、何となく駅前の方に向かいつつ回り道をする。椿以外の花が民家の塀越しに見えて、今更のように春だと気付いた。風が冷たい所為で忘れそうになるだけで、季節は確実に巡っている。そして、
「……一護? 何をしておるのだ、こんな処で」
 いつの間にか、視線の先に予想もしなかった相手が居た。
「ルキア……」
 彼女が片手に提げた、適当に拝借して来たらしい厚手の紙袋。その、何処かで見たようなロゴの付いた大きな袋からは、明らかに例の生き物を模したと判る長い耳が数本突き出ていた。どうやら、皆考える事は同じだったらしい。いや、彼女の場合は好きな物が明確な分、品物を考えるのは楽かもしれないが。
 ――しっかしまあ、良く義理チョコのお返しにそんなモンやる気になるな。
 三倍返し以上だろう、と思う。そして分かり易く得意気なコイツもどうなんだ。
「あー…大漁だなぁ」
「ふっ、私が渡したチョコレートだぞ。これぐらいの価値が無くては困る」
「つーか、向こうで何人にチョコやったんだ。オマエ」
「何人というか……世話になっている相手にはちゃんと渡したぞ」
「全員に三倍返し要求してか?」
「いや、それは貴様だけだ」
「俺だけかよ。ってか、恋次にはしてねえのか」
「奴は十倍返しだ。何しろ副隊長殿だからな」
 何だか勝ち誇っているような彼女に、例の赤い髪の男が若干気の毒になる。
「吹っ掛け過ぎだろ。詐欺だぞ、ソレ」
「詐欺ではない。そもそも、真心に値段を付けるな」
「溶かして固めただけじゃねえか、アレは」
「その一手間が大事なのだ」
「……そーですか」
「ちなみに、手作りは貴様だけだ」
「…………は?」
 事のついでという感じで、顔色も変えずに言い放たれた言葉を、思わず脳内で反芻した。
 ――手作り? イヤまあ確かに、溶かして固めただけでも手を掛けたんなら手作りとは言うだろうけど……。
「白哉や恋次は?」
「ゴディバだ。おじ様と浮竹隊長にもな。他の者には別の店のチョコレートだが。流石に全員にそれでは財布が持たぬからな」
「……何で?」
「何故、と言われても……有名だろう? まあ、ゴディバでなくとも、あちらでは現世で買ったチョコは好評だったが」
「あー、イヤ、そっちじゃなく」
 多少混乱しながら、一番重要な事を訊いた。
「何で、俺だけ手作りなんだ?」
「本命チョコだからに決まっているであろうが」
「………」
 きっぱりと、ついでに実にあっさりと、彼女は特大の爆弾を落としてくれた。
「義理はともかく、本命は手作りするものらしいからな。遊子がチョコレートケーキを作るというから、ついでに器具を貸してもらったのだ。チョコを湯煎で溶かすのも、綺麗に型から外すのも技術が要るらしいな。お陰で上手くウサギ形にならなかったのだが、味は変わらぬから問題無かっただろう?」
 言って、仁王立ちする彼女。さっきから、態度がどっか間違ってないか。
「……つーかお前、本命チョコの意味分かってんのか?」
「たわけ。知らずに渡す訳があるか」
「んじゃ、言ってみろよ」
「二月十四日に、個人的に好意を持っている相手に対して告白の意図を持って渡す物だ。因みに日本では女性から男性へ渡す場合が一般的だな。――何か間違っているか?」
 ――……間違って無ぇよ、オイ。
 いっそ、有り得ない勘違いをしてくれてた方が簡単だった。いつもの、現世の風俗に関する吹っ飛んだ知識は何処行ったんだ。
「……で、オマエはそういう意味で俺にチョコくれた訳か?」
「実を言えば少し違う」
「はあ?」
 ややこしい話に、眉間に一層皺が寄る。これ以上、人相が悪くなったらどうしてくれる。
「私は貴様に世話になっているし、一番助けられた。私が今此処に居るのも、居て良いのだと思えるようになったのも貴様のお陰だ。本当に心から信頼出来るし、戦いで安心して背中を任せられる。散々無茶をして心配させる上に世話の焼ける餓鬼だが、それでも真っ直ぐで、決して諦めぬ奴だしな」
 居心地の悪い、くすぐったい気分になるのは、多分褒められているからだろう。それを隠す為に更にしかめっ面になった俺の前で、彼女はさらりと告げた。
「――だから、私は貴様の事が、他の者達よりも少しだけ余計に好きだ」
 そして、苦笑する。
「そういう、意味だよ」
 言うだけ言って、偉そうに組んでいた腕を解く。
「では、私は先に帰っているぞ」
 いつも通りの歩調のルキアと擦れ違うのが、傍らを過ぎ去る風で分かった。
 ――だから……それは、どういう意味だよ?
 立ち尽くしたまま、訊く前に去られた問いが心の中に落ちる。ややあって、混乱が収まらないまま振り向いた眼には、誰の姿も映らなかった。
「言い逃げじゃねえか、完全に」
 呟いた声が、やけに響いた。











後篇に続きます。


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