Never Again- I


 全ては、唐突だった。
 総毛立つ程強い感覚に、歩みと呼吸が同時に止まる。一拍置いて鳴り始め、けたたましく鼓膜を叩く警鐘。ざわめく周囲。
 その中で、己の呟きが掠れて消えた。
「――……何故……」
 夕暮れ。棚引く雲が彼の色に染まる時。
 その色で思い出し、思い浮かべるたびに打ち消していた記憶。在る筈の無い気配。なのに――、
 橙に燃える夕日。鮮やかな西。濃淡の紫を間に置いて、青から濃藍に移る東。
 空を穿って現れた漆黒。遮魂膜を一閃で砕いた、赤を重ねた黒い霊圧。黒の中で一層鮮明な、懐かしい色。
 咄嗟に舞い上がった大屋根の上。甍を踏んで、天を背にして降り来る相手と視線が絡む。仮面の奥の琥珀色。
「一護……――ッ」
 彼が、居た。
 同じ屋根に立つと同時に、砕けるように仮面が消える。思わず踏み出す一歩。二歩目は僅かに理性が止めて、迷った自分を吹き返しの風が掠め去る。
「……一、護」
 ゆっくりと、上がる顔。全てが懐かしむ他無かった姿そのままで、言葉が上手く紡げない。
「一護……」
「……ルキア」
 呼ぶ声が優しい。
「ルキア」
 名を繰り返して近付く様を、只見詰める。
「ルキア」
 だから――それは、呆気無かった。
「ルキア」
 有るか無しかの軽い衝撃。己の胸の中心が、黒い刀身を呑み込んでいく。
「ルキア」
 息が詰まって、僅かに呼気だけが口から零れた。
「ルキア」
 抵抗も無く貫かれ、鍔元が身体に押し当たる。気付いた時には、彼の腕の中に居た。
「…………」
「ルキア」
 耳元に、熱い吐息と声が掛かる。
「ルキア――……もう一度、始めに来た」
 懐かしく思ったのは、これがあの時と同じだから。
「ルキア」
 刀を握る彼の手に、自分のそれを重ねる。入れ替わった互いは、過去の鏡像。
「ルキア。今度は――…オマエが、こっちに来い」
 刃を通して注ぎ込まれ、似た霊質を媒介に染みていく異質。
 ――嗚呼……。
 意識が霞む。正気が遠退く。
「ルキア……」
 紫紺を見詰めた、何処までも静謐な茶色の双眸。
 それは、狂気を沈めた深淵に似ていた。


 手を伸ばしても届かない。だから、その先を求める為に刃を握る。
「……ルキア」
 刀身に絡んで鮮血が滴る。彼女の鼓動が刃を伝わり、柄を握った掌に響く。
「ルキア」
 来い。早く。
「ルキア」
 離れた地上で、屋根上を見上げて凍り付いた無数の人影。其処此処で、意味も分からず立ち騒ぐ気配。それらを無視して、じわりと刀に力を込めた。
「ルキア」
 早く。此方に来ればいい。
 待ったのは一瞬か、それとも遙かに長い時間だろうか。
「ルキ……――」
 大きく、一定だった鼓動が突然揺れた。
「ぁ―――……っ!」
 声にならない叫びを上げ、吹き上がる霊圧。
 勢い良く抜いた切っ先。傷口から零れるのは赤では無い。刺突を受けた胸の中心が、ごぼりと白く穴を開けた。
「ルキア……」
『っっぁあァアアァァアアアァア―――……ッ!!』
 叫び。延々と続くような、苦悶と歓喜の歪んだ発露。
 その意味を、多分俺は知っている。
「ルキア……ッ!」
 胸の穴。吐き出され、歪に形作られていく白い仮面。
 気付けば、自分は嗤っていた。
「ルキア、ルキア……ルキア……ッ」
 それしか言葉を知らないように、咽喉から溢れるのは一つの名前。
 ――ルキアが、同じになっていく。
 その事実に、苦しむ様すら歓喜を呼ぶ。
「ルキア!」
「―――――……ッ!」
 不意に、悲鳴がぷつりと切れた。一瞬の空白。そして、半ばが仮面に覆われた顔の、完全に黒く染まった眼球が俺を捉えた。
 青く散る火花。
 漆黒の刃と純白のソレが悲鳴を上げて強く噛み合う。
 纏わり付いた霊圧が白の刀身を伝って氷を広げ、それを曳き砕いて黒い刃を素早く外す。続く打ち込みを捌いて返すと、弾かれた勢いをそのままに、彼女はふわりと距離を取った。
 闇色の双眸が、俺の存在を映している。
「来いよ、ルキア。遊びの相手は俺がしてやる」
 内在闘争の限界時間など関係無い。何日だろうが相手してやる。
 ――だから、
「戻って来いよ? 遊び疲れて、俺がオマエを殺す前に」
 返答は、翻る白刃。
 色の異なる刃が交わされるたび、奇妙な高揚が身体を捉える。ぶつかる刃。互いの皮膚を掠める切っ先。至近でぶつかる二色の霊圧。触れる全てが、互いを見えない色で染め上げる。
「ルキアッ!」
 自分の口から調子の外れた哄笑が上がる。暴走したルキアの霊圧と、ストッパーを外した俺の霊圧。
 屋根が吹き飛び、瓦が割れる。梁と柱が木端に砕けて、爆発する霊圧に乗って四方に飛んだ。
 周囲の悲鳴も叫びも全てが遠い。双方が映しているのは互いだけ。
 いや、互いだけ――の筈だった。
「吼えろ――『蛇尾丸』ッ!」
 唐突に横から割り込んだのは、今更のように良く知る霊圧。
「恋次――ッ!」
 厚みのある刃を弾き、赤い髪の男を睨む。
「ッの、野郎……っ」
「一護っ! てめえ、一体何してやがんだ! ルキアを…――」
「ウルセェ!」
 言葉を遮る。例え過去の仲間だろうと関係無い。この場に割り込む相手は全て、無粋な闖入者というだけの事。
「オイ、い…――」
「邪魔すんじゃ、ねぇ―――……ッ!!」
 月牙、天衝。
 黒い月影。大地ですら割るソレで、刃節ごと刀身を叩き切る。恋次の姿を砂煙の向こうに弾き飛ばし、傍らから迫ったルキアの氷刃を身を捻って流して躱す。そうして、月牙の余波で建造物が砕け散るのを背中越しに感じ――、
「――…『狒牙絶咬』ッ!」
 粉塵の向こうからの叫び。砕けた刃が、それこそ最期の力を爆発させるように舞い上がる。
「クソ……ッ」
 舌打ちして、斬月を翳した。アイツは、止めたがっている。状況の意味が解らないなりに、それでも俺とルキアが戦う現実を、壊そうとしていた。
「止めろ、一護っ!」
「っ……ホントに、仲間思いのイイ奴だよ。テメエはな……ッ!」
 俺だって、信じていた。アレが自身だったと信じられない程、自分の全てを信じていた。――結局、一番欲しいものは手に入らなかったのに。
「一護! ルキア!」
「退け、恋次ッ! 俺は…――」
 解れとは言わない。だけど、気付けよ。
 オマエらの居るこの世界は、俺に全てを与えるフリをして、最後に唯一を奪っていった。だから――、
「これ以上、諦めて堪るかッ!!」
 あの時、俺の在るべき世界は残らず全て奪われた。抜け殻に依る魂ほど、無意味で空虚なものは無い。
 纏った霊圧を巻き上げて、無数の刀刃を撥ね除ける。地面に叩き付けた力の余波を受け、恋次は吹き飛ばされて落ちて行く。
 見送る視界の端で、刃が光った。
「ルキア……!」
 鈍い残響。俺が叩き落とし損ねた刃の一片。偶然彼女に向かったソレを、強引に弾いた音の名残。
 その、ほんの一瞬、外された視線。
「ルキアッ!!」
 恋次を、では無く、攻撃を仕掛けた誰かを……であったとしても――、
「……俺以外の奴に、注意向けんじゃねえッ!!」
 咄嗟の怒りに任せて振り下ろした切っ先。肩口を捕らえ、深く抉るように斬り下ろす。
「――…っ!?」
 半ば斬り落とされた細腕の裂け目。皮膚の下から噴き出す何か。俺を喰らおうと顎を大きく開けるのは、虚化と侵食を顕著に示す奇怪なモノ。生き物なのかも分からない、白いソレを消し飛ばすように斬り捨てる。
 そうして、大きく距離を取れば、腕から鎧に似た白い硬皮に包まれ始める彼女の姿。
 明確に進む外側の虚化。内在闘争の様子など、所詮外からは伺えない。
 少しずつ、確実に変容する彼女を見て思う。もしもこのまま、ルキアが完全な虚になってしまったら……。
 ――…別に、いいじゃねえか……それでも。
 やけに冷静に、嗤う自分が其処に居た。
「なあ……ルキア」
 例えば、死ぬのも生きるのも。いつか壊れるのも消えるのも。
「どれでも良い。どんな道でも、オマエと一緒なら悪くねぇ」
 ――ソレを、解ってるか?
「ルキア」
 原型を留めず破砕された周囲。
 瓦礫の上に立つ彼女の気配は、痛みを覚えるほど冴え冴えと澄んでいた。何処までも限りなく透き通り、静けさのうちに殺し尽くすかのように恐ろしく。
「ルキア」
 虚無を思わせる眼窩と、其処に浮かぶ瞳。
「……来いよ」
 軽く、片手を翳す。
「ルキア――…ッ!」
 爪で掻き切るように虚空を割って、己の白と黒の仮面を呼んだ。
 初めて、この力を手にした時。不安と覚悟と渇望が在って、それでも俺は俺だった。あの時と違って俺は独りで。だけど強くて、狡猾で。そして、あの時とは比べ物にならない程、ルキアの存在を求めている。
 ――全てを、取り戻す為に。

 白と黒。二つの力の衝撃が、互いに染まり、混じり合うようにぶつかった。











Lost Soul と Sound of Silence の続き。…次回に続きます。


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