Never Again- II


 ――…ルキア……ッ

「…――っ!?」
 刃を受け流した瞬間、厭な気配を感じて飛び退る。
 一瞬置いて、つい今しがた自分が居た空間を、氷柱が空へと駆け上がった。
「『月白』か……――どうやら本当に、『私』自身のようだな」
 白銀の氷原。薄青の空。刷いたように掠れた雲。白い刀を構える私の前で、砕けた氷片を背景にして立つ白い人影。白い死覇装。薄墨色の髪。漆黒の刀。
 私から、色を落として、無い色を入れた、形ばかりは同じモノ。黒い眼球と強い琥珀の瞳がその正体を教えていた。
 内なる虚。
「話には聞いていたが……とすると、矢張り私は虚化したのか。――と言うより、している最中なのか?」
 奇妙に落ち付いている己が居て、それを興味深く眺める自身が居た。
 目前の事より、意識が此方に落ちる寸前の光景が瞼に浮かぶ。自分を見つめた、恐ろしい程深く、静かな瞳。焼き付くような視線。懐かしい声に繰り返された名前。
 ――……一護。
 嬉しいと、思ってしまった。私に、思う資格は無いというのに。
 僅かに注意を逸らした私を、同じ形をした相手が無感動に見遣った。
『――良いの?』
「何がだ?」
 訊く私に、彼女は右手に握った黒い斬魄刀を無造作に翻す。同形の其れを両手で構える私に対し、まるで重さの見えない動き。
『気、抜くと――……死ぬよ?』
 彼女が、立てた切っ先で白い地面を軽く突き、
「――……!?」
 前に向かって跳ね上げる。
『次の舞――…』
「……――『白漣』っ!」
 一拍遅れて、同じ技を辛うじてぶつける。極自然な一連の動きは、『私』よりも能力の発動までのブランクが遥かに少ない。同じ舞でも、順序立てて型を作る重々しさと、呼吸のように確実な軽やかさとの違いのような。
「っ……!?」
 重い。放った霊圧が、相手の技を相殺出来ないままじりじりと戻る。
 ――押される……!
 思った瞬間、視界が黒を伴う白に埋められた。
「…――く、そ……っ」
 一瞬飛んだ意識を引き寄せる。雪の上に這った身体を起こし、僅かに離れた刀を握り直す。
 柄の飾りが鳴って、音へ向けた視線の先から白い影がやって来た。
『軽いね』
 放るように言葉を寄越す。
『型をなぞって、力が伴うと思ってる?』
「どういう、意味だ」
『私が強い。貴女は弱い』
 遊ぶように声を出し、冷ややかな笑みで切っ先を向ける。
『諦めて? 消えれば終わって、楽だから』
「貴様……『私』の癖に、随分と性格が違うようだな」
『だって、私は貴女で、貴女じゃない』
「では、何者だ?」
『何者でも無い。だから――』
「………!」
 完全な予感。
『貴女を――消す』
 咄嗟に、起こし切れない身体で横へ転がった。
 ――……莫迦な、『白刀』!?
 自分の額が在った箇所を貫くように、気配が凍る。一瞬後に透明な刃が出現し、再び砕けた。
「貴、様……」
 『白刀』は、刀身を伸ばす技では無く、氷で刀身を創り出す技。だから通常、折れた刀身を補う為か、余程の近距離でなければ発動させない。否、普通はそうとしか使えない。刀身を先に足しただけでは扱い辛くなるだけ。刀身の出現と同時に敵を貫く場合、刀の反りと敵までの距離を考え、目標を定めて発動させなければ意味が無いのだ。戦いの最中、一瞬で其処まで計算出来る余裕は無い。だから使わないし、使えない――普通なら。
『ああ……惜しい』
「この、距離で……」
 呟き、唇を噛む私に、気付いたように瞬いた。
『そうか。貴女は、出来ないんだ』
「一つ、訊きたい」
 どの方向にも回避出来るように膝を立て、笑う相手を睨む。
「私を消して、如何する?」
『手に入れる』
 刀を軽く放るようにして、柄の飾り布を持つ。
『手放したもの全て』
「手放した……」
『後悔してる?』
「何?」
 返されるのは、問いに近くも遠くも無い答え。
『決して戻らないから後悔する。後で惜しむくらいなら手放さなければ良かったのに。今更望むくらいなら、あの時手に入れれば良かったのに。――貴女は、そうしなかった』
「それは……一護を、か?」
『自分の事でしょ? 貴女がそう思うならそう。思わなければ違う』
 布の柄に近い部分を握り、地面から僅かに上で刀身を揺らす。
『そして、あの人は来た。朽木ルキアを手に入れる為に――全て棄てて』
 意図が分からないまま、宙を嬲る切っ先を注視する。そんな私を気にも留めないように、彼女は言葉を投げ続ける。
『貴女が、彼に棄てさせた。貴方は死神の自分から、何も棄てられなかった。それは、その先を受け入れる力も気概も無いから。なのに、彼にだけ棄てさせるのは狡い。――と、思わない?』
「結局、何が言いたいのだ!?」
『答えを返さない人が、答えだけを求める。それも狡い』
「っ…私は……――」
『彼の想いに、結局答えを返さなかった。逃げて、全て世界の所為にした。だから彼は世界を憎む。――良かったね?』
 揶揄するように、核心を突く。
『貴女自身が、憎まれなくて』
「………っ!」
 黒い刃が、中空を舞った。
 飛来する其れを、翳した白刃で受け――受け切れずに飛ばされる。
「っぐ……ッ!」
 受け身を取り損ね、強かに身体を打って息が詰まった。
 ――此奴は……。
 飾り布を長く持ち、刀自体を投げる。単純にそれだけの事。そして、柄の巻き布を持ち、大刀を振り回していたのは一護だった。だが、私自身がそう使おうなどとは考えた事も無かった。何故なら、
 ――刀は、そのように使う武器では無い。
 しかし、そう当然のように信じていた自分は、己の斬魄刀を使えていた事になるのだろうか。
 呆然とする私に、彼女は、
『否定したい? でも、事実でしょ?』
 涼しげな顔で、平然と先程の会話を続けてみせる。
『気付かなかったとしたら、それ自体が罪。気付かない振りをしてたなら、狡猾なだけ。否定しても事実は消えない』
 戸惑う私を見て、楽しんでいるのか。
『相反するどちらかを選ぶ時、どちらかを選んだ振りをして、棄てた方にも何かを残す。それが貴女』
 私自身を暴いて、嘲弄しているのか。
『だから中途半端。力も無いのにそうやって、結局持ち切れずに零していく。そうして何も手に入らない』
 風を切る音。翻る刃。
『消えてくれる?』
 黒い飾り布の根元を持ち、戯れのように刀身を回す。刃先から飛ぶ、冷たい殺気。
『主の貴女がそうだと、堪らないの。袖白雪みたいに、黙って従う方も従う方。貴女が居る限り、結局は何も変わらない。そして、軟弱で愚かな主は、巻き込むだけ巻き込んで、結局自身も滅びるだけ。詰まり、存在する意味が無い。だから…――』
「――次の舞……っ」
『私が、消す』
「――……『白漣』っ!」
 放たれる黒刀。迎える白い波濤。
 抵抗は、感じなかった。
「…………っ」
 指の先で砕け消える白い斬魄刀。身体から生えた、黒い柄。既視感を覚え、ややあって、実際に在った事だと思い至る。
 漆黒が形作った斬魄刀。振るう相手の手から離れたそれが、否応無く彼の事を呼び起こした。
 抵抗も出来ない程に呆気無く貫かれた氷の波が、ゆっくりと砕ける。向こう側から現れる己の写し身。その姿を瞳に映し、別の場所を見る。
 ――……一、護……。
 あの、静かな目。狂いそうな激情を秘めた双眸を見て、感じたのは――紛れも無い喜びだった。
 ――だって、ずっと、逢いたかった。
 消えたくなるほど寂しくて。心を凍てつかせて、自分を誤魔化さなければ耐えられないくらい、悲しかった。幸せを願っているのに、忘れて欲しく無くて。置いて行った癖に、只待っていた。
 ――…嗚呼、そうか。
 漸く、解った。
「私は――臆病で、我儘で、欲深なのだ」
 刃を半ば以上呑み込んだ身体。腹の部分に深く埋まった刀。それを見下ろす。
「何かを棄てる事も、棄てさせる事も怖かった。それでも望んで、願って――だから、嬉しかった。一護が私の許に来た事が。他でも無い私が、一護に全てを棄てさせた事が」
『……いいの? 喜んでいて。彼自身だって、理由なんて解ってない。愛かもしれないし、憎しみかもしれない。確かなのは、狂ってるというだけ』
「だが、それでも…――」
 ひりつく咽喉の奥から、吐き出した。
「殺されても、憎まれても、蔑まれても、それが私に向かう一護の想いならばそれで良い。その想いの中には、私だけが居るからな」
 見上げると、見詰める相手の瞳の中で、己が笑んだ。
「何であれ、一護の全てを受け止めるのは、私だ。貴様では無い。そして、他の何者にも――譲ってなどやるものか…――!」
 己から突き出た刀身を掴み、一気に引き抜く。
『――……!?』
 初めて、動揺を浮かべた相手。私が握った箇所から、黒い色が音を立てて抜けていく。
「案ずるな。貴様は、消えぬよ」
 刀身を回して、白い柄を握った。
「貴様も、私の一部。そうだろう?」
 そう、此れは私の一部。私が見なかったもの、気付かなかったもの、隠したかったもの、それらの全て。
「この先も、私はきっと迷うだろうな。最善の選択など、存在しないのだから」
 いつだって、『もしも』の先は無数に有る。どれが正しいかなど、誰に分からない。望む事など、道に立つ者によって全て違う。
「だからせめて、己で決めた事だけは、後悔の無いようやり通す」
 白刃を翳し、そうして、鋭く一閃させた。
『なっ……!』
 刀身から、湾曲した刃を成して波濤が飛ぶ。
「……すまぬな」
『………っ!』
 地を裂く刃を辛うじて避けた影。その肩に、左手を乗せる。
「貴様に…――」
 胸を貫く感触は、思ったよりも軽かった。
「敗ける訳には、いかない」
『…っなら、私に隙を与えないよう――…精々、気を付けて』
「――…ああ」
 端から、散るように砕ける相手。
 消えた訳では無く、存在が見えなくなっていくだけ。きっと、私自身が弱まれば現れる。次は、容易く呑み込まれるかもしれない。
 それでも、
「一護の傍に居るのは――最期まで、私自身だ」
 例え、先に最期を迎えるのがどちらでも。その終わりが何であっても。互いがどうなっていたとしても。その瞬間まで、只、私は『私』でいよう。

 静かに立つ私に皮肉気な笑みを残して、白い影が消えた。











終わらなかった…ので、次回に続きます(…)
捏造だらけですが、書いてる方は楽しい。



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