Never Again- III


 何も見えない。何も、聞こえない。
 自分の黒と、ルキアの白。ぶつかった二つの衝撃に包まれた瞬間、周りから全てが消えた。
 感覚が無い。手を伸ばしたつもりなのに、意識だけが其処に行く。何も感じない。自分の腕が分からない。いや、自分の身体が何処に在るのかも。
 暗くて、明るい。熱く、冷たい。混じり合って、纏わり付くような、溶け出すような何か。それも皮膚の感覚では無く、神経がそう錯覚しているだけかもしれない。
 刹那の瞬間を永遠に感じるとしたら、こんな風なんだろうか。
 ぼんやりと、思った。
 時が進むのを躊躇うのは、きっと進めば壊れてしまうから。壊さなくては手に入らなくて、壊してしまえばこの手に残らない。それが分かっているから、その挟間で緩慢に揺蕩う。
 ――ルキア。
 時を戻しても、在るのは彼女が居ない日々。更に戻っても、彼女をいつか手放す為の日々。
 そして、時を進めた先に、壊された彼女が居るとしたら。例え無事でも、俺に、その目を向けてくれなかったら。
 ルキアを失うなら、そんな世界は見たくない。そんな時は、来なくていい。
 温度と明度が全て混ざった、温い薄明かり。
 ――嗚呼、そうか……。
 ゆるゆると、気付いた。
 ――俺は、怖いんだ。
 だから、此処に居たいんだ。
 如何すればいいのか、分からなかった。失くしてしまって、もう一度取り戻したくて。邪魔なものを棄てて、何をしてでも手に入れると決めたのに――、
 それでも怖れて、迷っている。
 ――だって、ルキアだから。
 ルキアが居なければ、全てのものが意味を失う。それを、俺は知っている。ルキアが居なくなったあの時から、止まり続けた世界に思い知らされた。
 いつの間にか不可欠になった存在。だから尚更全てが怖い。だから、
 せめて、彼女が存在している時間の中に。紫紺色が俺を見詰めたあの瞬間に、
 ――このまま、ずっと……。
『―――…………、』
 不意に何処かで、それが聞こえた。
『――…、……ご』
 音が、繰り返す。
『いち…、…一、ご……』
 響きが、声を成していく。
「――…護、一…、…――」
 懐かしい、言葉。
 呼んでいる。誰かが。
 ――……俺、を。
 俺の名を、呼んでいる。
『………ッ』
 ぐらりと、意識が揺れた。
 急速に戻って行く感覚。端から、其処へと掬い上げられる。
「一護」
 望んだ声。抱き締められる温度。
「――……お前に、逢いたかった」
 響いた言葉。
「一護――……」
 世界が、光を取り戻す。
「あ、」
 仮面が、融けた。


 風が駆ける。粉塵を払い、押し潰されたように壊滅した箇所を顕わにする。
 静から動へと移る間の、暫しの空白。
 遠巻きにする人影。沈黙の中から喧騒が戻り始めた。
「……朽木隊長……」
 瓦礫を押し退けて立ち上がった自らの隣に立った人物を、恋次は見遣る。自隊の隊長の無表情な顔には、殊更何の感情も浮かんでいなかった。恐らくは、表面だけ。
「無事、みたいっスね……。どっちも」
 見える事実を述べて、暗に、どうするのかを問うてみる。契約を破って勝手に死神の力を解放し、あまつさえ尸魂界へ不法に侵入した一護を無罪放免にする程、上は甘くない。下が温情を願った処で、体面という面倒なものが邪魔をする。そして本人の意思はともかく、一旦虚化してしまったルキアの事も。
 白昼、衆人環視の中で行われた騒ぎは、自分達がどうにか出来る範疇を超えていた。だが、
「これを一護が狙ってやったとすりゃ、俺らはアイツを甘く見過ぎてたって事になりますね」
 一護がルキアを求める想いの強さも、それごと受け入れるルキアの想いも、自分達は見誤っていた。
「………残った道は二つ、だな」
「はい」
 此処で捕らわれ、裁かれるか。それとも逃げるか。
 例え表面だけだったとしても、ルキアが平穏に生きる場所は此方の世界から失われた。一護が奪った。そしてルキアは、それすら許容する。
 苦い思いで拳を握り締める恋次へ、遠慮がちな声が掛かった。
「恋次さ――あ、いえ、阿散井副隊長」
「理吉か」
「あの……朽木隊長に、十三番隊・浮竹隊長からのご伝言です。先程、偶然お会いして承りました。申し上げても……」
「構わぬ。何事だ?」
「あ、はい」
 滅多に顔を合わせる機会も無い隊長を前に、理吉は緊張で背筋を伸ばしながら、出来る限り落ち着いて声を発した。
「空座町駐在の十三番隊所属隊士からの緊急報告で、先程――現世で黒崎一護の死亡が確認されたそうです」
「オイ、待て。どういう意味だ?」
「あの、つまり、遺体が発見されたそうです。義骸などでは無く、本人の肉体である事は間違い無い。状況からして転落死。自殺の可能性が高いとの事。只、魂魄の所在が知れない。この件に関し、早急に指示を乞う。との内容だったそうで…――って、恋次さん!?」
 唐突に身を翻した恋次の只ならぬ様子に、理吉が慌てる。止めたのは、冷静極まる声だった。
「恋次。何処へ行く」
「……一護を、あの馬鹿をぶん殴りに行きます」
「殴る程度で済むなら、このような騒ぎにはなっておらぬ」
「っけど、隊長! あの野郎は……」
 全て棄てて来た。それが、家族や仲間の思いをどれだけ踏み躙る行為だと思っているのか。
「一発、いや、殴り倒してやらなきゃ気が済まねえ!」
「だからこそだ。周りを見ず、己の欲望だけで動く。そのような輩は、虚以外の何物でも無い。奴を死神と見なす事は出来ぬ。そうである以上、副隊長である貴様が無暗に動くな」
「けどよ、朽木隊長! それに、ルキアは……」
「あの男と共に居るつもりならば、最早、我が朽木家の者とは見なさぬ。その道を選ばぬならば、いずれ上から身の処し方が通告されるだろう。私はその判断に従うのみだ」
「隊長ッ!」
「れ、恋次さんっ、落ち付いて下さい!」
 抑えようとする理吉を振り解くようにして自分に掴み掛かる恋次を、白哉は静かな目で見遣った。
「私は事実を述べているだけだ」
「分かってます! 分かってんだけどよ、隊長……っ!」
「――貴様……理吉、と言ったか?」
「え? あ、はいっ!」
「隊舎裏の穿界門を開ける手配をしろ。座軸は定めず、開くだけだ」
「…………え?」
「何、を……」
 意外な指示に、受けた理吉も聞いた恋次も動きを止める。白哉は、緩んだ恋次の手を払い除け、死覇装を整えた。
「何度も言わせるな。穿界門を開けろ」
「え、あ…――はいっ、只今!」
 慌てて走り去る理吉を見ようともせずに、白哉は再び遠方の惨状に目を向ける。そのままで、口を開いた。
「恋次。直に黒崎一護の討伐命令が出る筈だ。六番隊からは貴様を出す。部隊を編成するならば好きなだけ連れて行け」
「隊…――」
「そのまま罪に服すと言うのなら捕縛しろ。飽くまで逃げると言うならば……」
「!……っ隊長、それは……っ」
 切られた科白の先を読んで、恋次は声を呑んだ。
 座軸を定めず、強制的に開いた穿界門。それは、言わば出口の無い亜空間。逃げ込まれれば、確かに追う事は出来ない。だが、それは同時に、入った者の命運も閉ざす事になる。
 運が良ければ、何処かの空間に出るだろう。断界に送り込まれたとしても、力が在れば生き残れるかもしれない。だが、それは想像でしかない。
 それでも、
「我らに出来るのは、それだけだ」
「…………はい」
 二対の視線の先を、無数の影が駆け抜ける。廃墟の中心に立つ二人に向かうのは、隠密機動。
「行け。他の隊には遅れるな」
「隊長……」
 遠目に、黒い影がそれを跳ね退け、小柄なもう一人と共に瞬歩で消える。
「申し訳ありませんでした」
「……何の事だ」
「いえ…――ありがとうございます」
 一礼し、赤い髪の男もその場を辞した。
 喧騒が渦巻く中で、一人立つ白哉の羽織の裾が翻る。
「――あれに、一生拭えぬ後悔はさせぬ。というのは……お前との約束に叶うだろうか――…緋真」
 呟く声は、風だけが聞いた。











……終わらない(…)
冒頭はイチ→ルキでルキ→イチ。中盤以降は白哉と恋次が出張る回。さり気なく、理吉が居ると便利だと判明。
で、いつまで続くんだろう…(←予定では今回で終わる筈だった)



inserted by FC2 system