March Hare


 ふわりと、香りが鼻腔をくすぐった。
 思わず伸ばした手が彼女の腕を捕まえて、気付いて、迷って、そのまま引いた。
「……なあ」
 抱き寄せた、と見えそうな距離。
「何だ?」
 近い、と暗に視線で彼女に言われた。一瞬同意をしかけて、思い直してきっぱり無視する。
「ルキア」
「だから何だと訊いている」
「オマエ、お香みたいな匂いがすんだけど」
「…………気付いたのには褒めてやるが、これは香水だ」
「あー……」
 当たらずとも遠からず。
「けど、家出る時は付けて無かっただろ」
「さっき入った店のテスターで付けた」
「そういや見てたな」
 色も形も様々な香水瓶。前に、こっちの物は匂いがキツイと言ってたから、珍しいとは思ってた。
「気に入ったの有ったのか?」
「付けたらどんな香りになるのか確かめただけだ」
「オマエ、苦手かと思ってたけど」
「露骨に甘ったるい匂いは好きでは無いな。クラスの女子が使っているような柑橘系の香りは好きだが」
 爽やかで、嫌味が無くて、若々しい感じがするだろう?
 何の意図か、同意を求めて来る。
「……つーか、アイツら香水付けてんのか?」
「放課後とかな。あと、休日に集まった時に付けて来る者は居るぞ」
「へえ……。ああ、そういや、水色は持ってたっけな」
 どんなのだったか忘れたが、確かにアレも爽やかな香りだった気がする。とは言え、水色の場合、行き過ぎない、ちょっと落ち着いた感じの物を選ぶ辺りが流石だが。
「で、オマエはそういう爽やかなのは付けなかったのか?」
「似合わぬだろう?」
「そうでも無ぇと思うけど……」
「と言うか、そういう話をしている時に、皆から私は大人っぽい物を付けた方が似合うと言われてな」
「あー、成程」
 確かに、ルキアは何だかんだで雰囲気が落ち着いている。大人っぽいというか、実際に物凄い年上なのだから当然だが。
「で、何付けたんだ?」
「さあ……海外ブランドで、横文字の名前が付いていたのは覚えているが」
 幾ら何でも範囲が広過ぎだ。
「覚えとけよ。どうせなら」
「自分に合わぬ物を覚えた所で仕方あるまい」
「…――って、待て。いつ俺がそんな事言ったよ」
「お香がどうのと言ったではないか。香りの説明には、ダークチョコレートとかウォッカとか書いてあったぞ」
「……ああ、道理で」
 妙に納得した俺に、不審な視線を向けて来る。
「何がだ」
「イヤ……っつーか、別に合って無いとは言ってねえだろ。香水とかって、付ける奴の肌で匂いが変わるって言うし」
「だから、」
「凄ぇ似合ってる。――と、思うけど。俺は」
 キャラじゃねえよなぁ、と思いながらも滅多に言わない科白を言ってみる。
 案の定、ルキアは俺を見上げたままで固まった。そこまで意外か。
「そういう……東洋系の香りっつーか、どっか落ち着いた大人っぽい香りってのか? そういうの、結構オマエに合うんじゃねえの?」
 ここまで来ると、乗りかかった船というか、毒を食らわば皿までというか。とにかく開き直ってくる。家族含めた知り合いには、絶対に聞かれたくない。
 そもそも、
 ――…ココ、一応、往来の端だしなぁ。
 思いながら、小柄なルキアを柱の影に隠すように、さり気なく立ち位置を変えてみた。
 新しく出来た大型のショッピングモール。休日で人も多いこんな場所に来た理由は、ルキアが雑誌で、此処の甘味処の白玉抹茶パフェを発見したから。だけど、通路の両側に揃っている多様なショップの所為で何度も足止めを食らい、未だに目的地には辿り着けていない。
 おまけに、
「俺、用事が出来たんだけど」
「は? いきなり何――…っ」
 先手必勝。
 暫くの無言。それから、僅かに離して見たルキアの顔は、完全に表情の変化が止まっていた。
「……キスしたからって驚き過ぎだろ、オマエ」
「き、貴様、此処を何処だと……」
「あー、まあ、見えてねえから」
「そういう問題か!?」
「イヤ、だってな。オマエ」
 完全に気付いていない彼女に、親切にも答えを教えてやる。
「チョコとか、酒とか、それはもう狙ってるだろ」
 その香水。
「何の話……というか、そういう匂いではないと言ったではないか貴様が」
「そりゃまあ、言ったけど」
「だったら何の関係がある!?」
「だから、つまり……要素?」
 よりによって俺の好きなものとか、人を酔わせるものとか。
「そういうのを、オマエが付けてる時点でアウトなんだよ。コッチは」
 っつー訳で、
「帰るぞ」
「…………は?」
 腕を引き、勝手に歩き始める俺に、ルキアは間抜けな声を上げた。
「っ、ちょっと待て貴様。帰るとはどういう事だ!?」
「そのままだけど」
「で、では、一人で帰れば良かろう。私は…――」
「駄目」
 唐突に立ち止まって、僅かに身を屈める。
「なっ、何、だ……?」
「だって、続き出来ねえだろ」
 一人だと。
 真面目に言った俺の科白に、ルキアは無言のままで数段階に表情を変える。それを黙って見守っていると、とうとう最後に、ルキアは言葉を溜息と共に吐きだした。
「餓鬼め……」
「そりゃどーも」
「莫迦者。褒めておらぬわ」
「いいだろ別に。事実だし」
「……それで、パフェはどうする気だ貴様」
「白玉だったら作ってやるよ。抹茶アイス添えて。ついでに黒蜜かけてやるから」
「言っておくが、あの店の白玉抹茶パフェを諦めた訳では無いからな」
「じゃ、今度来る時に行けばいいだろ」
「今度とはいつだ」
「近いうちに」
「………珍しいな」
「だって買うモン有るしな」
「買う物?」
 怪訝そうなルキアの手を、軽く引いて通路を歩く。
「その香水」
「――………と言うか、貴様が嵌ってどうする」
「ウルセー」
 だって、一度だけ、で終わらせるには勿体無い。――だから、
「次から、寝る時だけ付けろよ?」
「不穏極まる要求だな」
「そりゃまあ、春だし」
「どんな理由だ」
 露骨に呆れて、だけど手を振り解く事は決して無い。

 人の出払った家。コートを脱いだルキアから漂う香り。それを、今度こそ逃さないよう手を伸ばした。











頑張って甘くしてみた…! 成功してるかは分かりませんが(…)
先日更新した一万打記念小説が余りにも…だったので、反省して再挑戦しました。
サイト一万打、どうも有難うございました!
(作品のフリー配布は終了致しました)



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