Under the Azure- II


「随分掛かったな……戻るぞ、一護」
「……ああ」
 漸く、虚の気配が消えた。身体じゃなく気疲れのせいで乱れた息を整える俺の横で、ルキアが始解を解いた斬魄刀を鞘に納めた。
「石田にも手間を掛けたな」
「別に。こちらが勝手にやってる事さ。あれだけの数の虚にうろつかれると、鬱陶しくて仕方ないからね」
「そうか……井上や茶渡にも心配を掛けておらねば良いのだが」
「彼らには僕から連絡しておくよ。多分、虚の気配が消えたのも分かってるとは思うけどね」
「ああ。悪いが頼むぞ」
「いや、君も尸魂界へ報告しなきゃならないんだろう? 雑魚に混じって大虚も居たからね。随分小さかったけど、気配からすると」
「ああ。恐らくはアジューカスだ。まだ虚圏も落ち着いておらぬらしい。仕方の無い事ではあるが」
「……そうだね」
 俺の入り込む隙が無い、戦ってる最中にもそんな事を考えられんのか、と思うような会話。自分が戦ってる相手がどうとか、その後何をしなきゃならないとか、この場に居ない他の連中の事とか。考えるのは全部後回しで、取り敢えず動くのが先の俺とは違う。
 ルキアも石田も、何だかんだで冷静で、少し離れた場所から周りを見てる。俺とは違うレベルで物を見てるのが分かる。その感じが似てる気がして。
 そんな風には出来ないと、自分で分かってるから嫌だった。
「――…一護?」
「悪ぃけど、先、帰っててくれ」
 背を向けた俺を、訝しげな声が追って来る。
「何だ。用でもあるのか?」
「身体動かして来るだけだ。最近、あんま長時間戦って無かったからな」
 体力はともかく、勘が鈍ってる気はした。強い奴に勝てたからって、戦いはそれだけじゃない。
 だけど、それも今は理由でしかなかった。
 逃げだと自分で分かってるのに、振り向きもせずにそこを離れた。


 少し離れた街灯に照らされた桜。
 住宅地の中にあるせいか、それとも追い払われたのか。花見と称して騒ぐ迷惑な連中は居ない。
 夜更けに近付く時刻。やけに静かな公園で、離れた場所から桜を見ていた。
 満開のまま、咲き続ける桜。
 気紛れな春の天気に散らされる姿しか覚えが無いから、随分妙な気分になる。学校帰りに花見をしようと、ジュースと菓子の各自持参を勝手に決めていた啓吾。今夜は晴れだから、明日の放課後も大丈夫だろうと呆れながらも言ってたのは、たつきか水色。
 あの場に居た誰も、行かないとは言わなかった。
 ルキアも、虚がどうとか死神の仕事がどうとか、そんな事は言わなかった。
 だからって、確かじゃ無い。翌日もその場に居る事を否定しないルキアにも、素直に安心出来ない俺が居る。
 そう感じた自分に、俺が一番驚いていた。
 近いと思ってた存在が、必ずしもそうじゃないのかと危ぶんだから。根拠も無く信じていた事が、どれも驚くほど曖昧だった事に気付く。
 俺達の中で、俺達の世界で、一番確かじゃないのは誰なのか。当たり前に知っていた事を、考えて初めて実感した。
 風も無いのに、花弁が幾つかひらりと落ちる。
 ――散ればいい。
 多分、あいつらは残念がるだろうけど。散ってしまって、叶え切れなかった約束を惜しいと思えば、ルキアはここに居てくれるんじゃないかという気がした。
 そんな理由で、居てくれる筈も無いのに。
 当然のようにウチに居て。ウチの家族の中に居て。学校通って授業受けて、友達作ったり遊んだり。まるで同じようにしてても、やっぱりルキアは人間じゃ無い。
 それを誰より知ってるのがルキアで。気付いてても、誰かの前で口にすべきじゃないと思えば何も言わないのが石田。ルキアも、逆の立場になればきっとそうする。
 そう、確かにアイツらは、少しだけ近い。
 だからルキアは、他の奴には決して言わない事を言った。他の誰でも無く、俺ですら無くて――石田に。
 ――多分……だから、不安になったんだ。
 俺に教えて欲しい事を、ルキアは俺には言ってくれないんじゃないか、って。
 石田になら言うかもしれない。けど、ルキアが頼めば、石田はきっと誰にも言わない。そうして、俺が知りようも無い所で、何かが決まってしまうかもしれない。
 それが具体的に何だとか、そんな事は問題じゃない。
 ただ、嫌だと思った。その先に在るものが、無性に恐ろしい気がした。
 ――…俺は……、
「一護」
 掛かった声に、はっとした。
「そろそろ戻らねば。明日の授業に差し支えるぞ」
「ルキア……」
 いつ来たのか。そもそも家には戻らなかったのか。死覇装のままの彼女。
「何だ。どうかしたのか?」
「イヤ、別に……帰ろうぜ?」
 訝しげなルキアの視線を、さり気なく躱す。散る気配の無い桜を一瞥して、身を翻した彼女を追った。
 ――ルキア。
 口に出さないから届かない。そうして訊けない事を、その背中に問い掛ける。
 ――いつまで、オマエはここに居るんだ?

 感じ始めていた、違和感の正体。
 傍に居たい。
 石田じゃなく、他の誰かじゃなく、俺を頼って欲しい。
 ルキアと俺の間に、もっと確かなものが欲しい。

 俺達が逢ったのは偶然で、こうしているのは奇跡に近い。そう思うから心が焦る。
 曖昧なものを信じるには俺達の絆は強過ぎて。ただ奇跡を願うには、ルキアの存在は大き過ぎた。
 なのに――何一つ伝えられないまま日は過ぎる。
 あの日に散ってくれなかった桜が落ち切った後、向こうに続く扉の先に消えていくルキアを、俺は結局見送るしか無かった。
 井上やチャドと一緒に居た石田が、一瞬だけ俺に向けた視線には、わざと気付かなかったフリをして。


    ※


 進んでいるのは自分自身。逃げて行く訳でも無い日々を追い掛けるように駆け抜けて。きっと振り返れば刹那でしかない時間を永遠に感じていた。
 限り無く交わされる約束は、それが必ずしも果たされないとは考える事も無く。いつか来る別れの予感は実感からは程遠い。
 毎日飽きるほど顔を合わせて、それが日常で。それが当たり前だと思っていた。
 子供と言われるのは嫌な癖に、大人でも無い事を知っている。中途半端で、だからきっと、必死にも淡白にもがむしゃらにも自暴自棄にもなれて。だからこそ可能性を大きく持っていて、それにすら気付かない。
 ――イヤ、自分の意識の届く範囲の事しか満足に見れなくて、それで十分やっていけたから気付かなかった。
 そういう歳だったって言えば、それだけなんだろう。
 ルキアはきっと、どれも分かっていたのにあの場所に居た。人を餓鬼とか言う癖に、未熟さとか青さを笑った事は無くて。今を考えるだけで精一杯で、一年先の事すら曖昧な俺達の傍で、一人、その遥か先を見ていた。
 だけど、あの頃の俺はそうじゃなかった。ルキアを引き止める事だけを考えていて、前に進む為に何かをしようとは思わなかった。そうして何も言えなくなった。
 俺達が、離れなきゃならなかったのは多分その所為。
 今、当時よりも背は伸びた。きっと顔付きも少し変わってる。声も、浮かべる表情も、あの頃とは違うかもしれない。
 なのに、霊力の問題なのか、死神としての姿の方は大して昔と変わって無い。
 良くも悪くも人は変わる。だけど、変わるのが悪いとは誰も言えない。変わらないのが悪いとも、言えない。
 した約束と、しなかった約束。言えた言葉と、言えなかった言葉。
 沢山有った。意味が有ったものも、無かったものも、意味を失くしたものも、得たものも。
 その全てが必要だったとは言わない。だけど、全てが在ったから今が在る。
 新緑の枝が映える青。散り切った桜の後。春と初夏の間の季節。
 やけに久し振りに袖を通した気がする死覇装。暫く握ってないなりに、振るう感覚をあっさりと取り戻した斬魄刀の感触。
 そして、
「…――よお」
 砕けた虚の白い残滓の向こうに、何度も思った、たった一人。
「随分、見掛けなかったじゃねえか」
「……ああ」
 頷いて、笑みと呼ぶには微かな表情を浮かべて、
「久し振りだな――…一護」
 ルキアが、俺の名を呼んだ。
 懐かしい響き。聞けなかった何百日かそれ以上、その声を待っていた事を思い知る。
「来るのが遅ぇよ、馬鹿野郎」
 眉間に皺を寄せ、昔のように、昔とは少し違う表情で彼女に告げた。
「忘れちまうかと思っただろうか」
「……そうか」
「オマエの事、忘れちまうのかって。いつオマエの事を忘れんのかって――何度も思うくらい、いっつも思い出してた」
「そうか……」
「――…帰るぞ、ルキア」
 言ってやろうと構えてた事が全て、顔を見た途端にどうでも良くなる。
「皆、オマエに会いたがってんだ」
 俺の中が昔の感覚に引き戻されて、それが少しも不自然じゃ無い。――そして、
「……ああ、そうだな」
 答えたルキアも、きっとそうだ。
「行くぞ」
 宙を蹴ると、肌に慣れた霊圧が、すぐ後ろを追って来る。
 俺とルキアが離れた時。結局、最後まで俺達は――また会おう、とか。逢いたい、とか。そんな事は言わなかった。
 あの時後悔していたそれを、今では、少し違った思いで見つめている。
 出会った事は、偶然かもしれない。だけど、全てがそうじゃない。考え過ぎて分からなくなっていた答えは、思っていたより単純だった。
 記憶の中とは少し変わった景色を眼下に進むと、速度を上げたルキアが俺の隣に並ぶ。
 そうして二人、ほんの一瞬視線を絡めて、静かに外す。それだけで思う。
 ――戻って来た。
 きっと、何度離れても、俺達の絆が途切れる事は無い。
 根拠も無いのに、無謀だったあの頃のように強く思った。

 逢えたから。まだ、終わりじゃない。
 だから――俺達はまた、何度でも始められる。











一護とルキアは、何度離れてもまた会うものなんだと思ってます。特に根拠も無く(笑)
……で、実は「石田とルキアの関係に嫉妬する一護」は切っ掛けで、最終的に話のメインは違うというオチなんですが、果たしてこれはリクエスト内容に合っているのか(…)
と言うか、申し訳ありません……やっぱり二つを別作品として書くべきだったかもしれない…。



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