Lost in Lust


 ――っ…ルキア…――ッ
 奥底から吐き出すような掠れた叫びが遠くで響く。
 呼吸も儘ならない激しさと、弾けるような感覚に、彼女の意識が闇に落ちた。

    ※

 砕けて散った意識が、寄り集まって形を戻す。そう言い成すのが相応しい感覚に、ふと彼女は吐息を零す。
 そうして水底から引き上げられたように、ゆっくりと繰り返される呼吸。薄く開いた瞼の隙間から、眩しさを感じない明るさを感じた。瞳に映し、視覚を通じて脳内で形作る前に認識したのは、白と青。
 ――此処、は……
 あの場所だ。と、思考に被るように確信が来た。
 ふわりと浮いた身体が静かに空間に受け止められるように、温度と湿度に慣らされていくように、五感全てが次第に明確になっていく。
 ひとつひとつが己の中で繋がって、ルキアは深く息を吐いた。
 ――来たのか、私は。
 意外では無かった。だが、何処か安堵した自分を奇妙に思う。そうして、もう一つの違和感に気が付いた。
『……よう』
 掛けられた声が、遠い。
 そのままの姿勢で転じた視線の先に、座った男。何処までも落ち込んで行くような挟間を隔てて、隣のビルの上に座る。これまで常に近くに居た分、置かれた距離が果てしない。
 ――何故……?
 単純な疑問。身を起こして尋ねようとし、力の抜け切った身体に気が付いた。苦労して力を込め、右手を自分の視界に入れて、それだけの動作が酷く疲れる。横たわった壁面の上に腕を放り出し、彼女は今更のように思い出した。
 手首の脈の上から広がるように残った欝血痕。元の色より鮮やかに上塗りされた赤。
 ――……そうだ。一護……、
 あの子供の、所為だ。
 噛み付くような愛撫と、執拗な攻め。貪り尽くすように繰り返して、飽きる事を知らない。箍が外れたように、持て余した感情全てを行為に変える。所有を主張するかのように印を残す。――他に術を知らないように。
 何度も呼ばれた己の名が、響きを伴い頭の中で蘇った。視線も声音も、全てが彼女を束縛するように絡み付く。
 自分に向けられるそれが、嬉しいのか、それとも悲しいのか判らなかった。
 只、見下ろす瞳の中に時折浮かぶ切なげな光に、心が揺れる。だから、その手を離す事も、拒絶する事も出来ない。
 気だるさの中で苦労して頭を動かし、死覇装を身に纏った自身の姿をちらりと見遣る。乱れの無い黒い着物。その下で、痛みに近い熱だけが、皮膚を焦がして残っていた。
『……物足りねェか?』
「何がだ」
『さあな。だが、足りねェって顔してるぜ?』
 揶揄するような口調。その、意図して視界から追い出した男が、飽きずに己を見詰めているのを肌で感じる。
 だが、彼女に近付く気配は無い。
「莫迦げた、事を……」
 物足りないのでは無い。――只、何処か満たされないだけ。
「……貴様は、何故此処にいる?」
『妙な事を訊くな、アンタは』
 ルキアが敢えて変えた話の先。男は思いの他素直に乗って来る。
『俺が此処に居る事がそんなに可笑しいか?』
「――では、一護に何をした」
『何も』
「答えろ」
『何をだ? 言っとくが、俺は嘘は言って無ぇ』
「ならば……」
『アレが一護だ』
 一足飛びに、答えだけが放り出された。
「………っ、何……」
『アンタをそうしたのが、一護だ。正真正銘のな。――良かったじゃねェか』
「…っだ、が……」
 全くの無関係の筈が無い。何故なら、一護は知っていた。否、確信していた。彼女と、この男の――少なくとも、自分以外の誰かとの関係を。
「貴様が…あれは――」
『ルキア』
 言葉を断つように、名が呼ばれる。
『アンタは、それを訊きに来たのか?』
「……――知らぬ」
 何故か、が、解らない。此処に来れた自分と、変わらず此処に居る男が、自然なのか不自然なのかという事も。
 落ちた沈黙。時が止まったように動きの無い空間。
 皮膚を灼いたまま、消えない熱。変わらず、只々向けられ続ける視線。
 ――……っ、
 思わず、ルキアは唇を噛んだ。
「……来い」
 無言で返す男へ、双眸を向ける。
「此方に、来い」
『………いいぜ?』
 嗤って、立ち上がった男の白い死覇装が、今更のような風に揺れた。

「――っ…ぁ」
 鮮やかに色付いた皮膚を、青い舌先がなぞる。時折、緩く吸い上げるだけの緩慢な愛撫。これまでとは違う、焦れる程の仕草に、それでも彼女から零れた息は熱かった。
 冷たい感触。静かで執拗な、緩やかに与えられる感覚全てが、残った熱を肌の奥深くへと沈めていく。融かされ、染み込んでいく熱。
 皮膚の上に与えられた熱に押し付けられて重かった身体が、じわりじわりと解けていく。
 軽くなった腕を上げ、ルキアは胸元に在る白銀の髪を漉いた。己に向いた琥珀の色を捕らえたまま、半身を僅かに起こして頬に指を滑らせる。
 口内に軽く押し込まれた指をやんわりと噛んで、薄紅色の爪の先に舌を絡めながら男が嗤った。
『厭らしい女だなァ、アンタ』
「……それが如何した」
 細い指を呑み込むようにしゃぶり付くのを、薄く笑って彼女は見遣る。
「悪いか?」
 唐突に引き抜いたルキアの指先から唾液が糸を引いて滴って、遠ざかるそれを追い掛けるように白い手が掴んだ。眇めた双眸と紫紺のそれの視線が絡む。
『イヤ…――悪く無ぇ』
「ならば、黙っていろ」
 唇を寄せて、舌先で舐めて、緩く食んで、次第に口付けが深くなる。
 欲しい者を受け入れて感じた罪悪感と、それを曖昧にしていくモノ。遊ぶような、探り合うような行為を分け合って、意味も掴めず溺れていく。
 一護と、その内なる虚である、この男。奇妙に対照的な二つが、絡むようにして彼女を侵食する。それを、ルキアは頭の隅でぼんやり思った。

    ※

 夕暮れの明かりが、カーテンを透かして入り込む。
 眠気を押して開けた目で、ベッド脇のカーテンの色と部屋の形を認識した。
 ――此処は……、
「目、醒めたか?」
 至近から掛けられた声。視線を動かす間もなく、視界の端にオレンジ色が現れた。
「――…一護」
 ゆっくりと呟いて、ふと身体に僅かな重さを感じる。見れば、彼はベッドの傍らに座り、横になった己を抱くように片腕を回していた。
「一護……」
「悪ぃ」
「………?」
 唐突な謝罪。訝しげな視線を向けたルキアの頬に手を当てて、真上からブラウンの両目が視線を落とす。
「――手加減、出来なかった」
 ゴメン、と繰り返す声に、僅かにルキアは微笑んだ。
「大丈夫だ……」
「本当か?」
「ああ、大した事は無い」
 答える彼女に、一護は微かな安堵を見せる。
「そういや、親父達、六時頃に帰ってくるって連絡あったから」
「そうか……」
「オマエ、食事出来なかっただろ。今、食べれんなら持って来るけど」
「……いや、下で食べるよ」
「無理すんな」
「無理など…――」
 言い掛けて、不意に瞳の奥の不安定な光に気付く。
「私も少し、シャワーを浴びたいのだ。そのついでだから、な?」
「そっか……」
 納得したように身を引いた一護の後に、ゆっくりとルキアは身体を起こした。大きなシャツを一枚を着せられただけの姿で、冷たい床に足を下ろして立ち上がる。
 途端に、後ろから抱きすくめられた。
「っ、一護…どうし――」
「ルキア。月曜、学校休めよ」
「え……」
「オマエ、本調子じゃねぇだろ?」
「いや…だが、明日は……」
「明日と明後日、ゆっくりしときゃ大丈夫だって、ウチの連中にも言っとくから」
 耳朶に触れる程近くで囁かれる言葉。
「だから――…何処にも行くな」
 ――………!
「一、護」
 それは果たして、いつまでを指して言ったのか。
「……な? ルキア」
「…分、かった」
 彼女が頷くと、苦しいほどきつく巻き付いていた腕が解かれる。そのまま、後ろに振り向かせるように肩が引かれて、目の焦点も合わぬ内にキスが落ちた。
 深くは無い。それでも、咬み付くような乱暴なキスが繰り返される。ゆっくりと距離を置いてから、やっと絡んだ視線が静かに外れた。
 無言のまま部屋を出て、着替えだけ取ったルキアが階下に降りる時。それでも、肩には一護の腕が回されたまま。
 リビングのドアの前で、彼女に添えた手を外す瞬間、低い声が囁いた。
「今夜。部屋で待ってる」
 何をとか、誰をとも言わない。
 だが、ドアの向こうに消えていく姿を見送って、ルキアは確信以上のものを感じていた。
 彼は、いつまででも待っている。彼女が来るまで、ずっと。
 ――……狡い、な……。
 どちらが、では無く。只、ルキアはそう思った。











…スミマセン…(←取り敢えず謝っておく(をい)
と言う訳で、懲りずにやりましたR-15。一応、続いていく方向です。それ以前にほぼシリーズ化してないか(…)
ちなみにこれ、某様との秘密企画の一貫です。秘密企画なので詳細は秘密です(待)
半年後くらいには公表できると思います。えーっと、多分(…)



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