Lost in Lust- III


「朽木さんっ!」
 水曜の朝。教室に入ったルキアを迎えたのは、笑顔だった。
「井上」
「おはよう! 調子はどう? 元気になった?」
「ああ。それに元々大した事は……って、あの、ちょっ…井…――っ!」
「良かったー! 心配してたんだよ!」
「コラコラ、ちょっと落ち付きなさいってば織姫。朽木さん、びっくりしてるじゃん」
 っていうか、軽く窒息しそうだから。アンタの乳で。
 ツッコミながら、さり気なくルキアを救出したのは有沢たつき。
「大丈夫? 朽木さん」
「あ、ああ……少し驚いただけだ」
「イヤ、ソレもあるんだけど」
「え……?」
「そうだよっ! 朽木さん、ホントに大丈夫? 結局昨日も休みだったし、金曜日から体調悪かったって黒崎君が言ってたし」
「あ、いや、その…それ程大げさなものでは無いのだ。それに、昨日も休むつもりは無かったのだが……」
「あー、皆に止められたんでしょ? 遊子ちゃんと親父さんが大騒ぎして大変だったって、一護が言ってたわよ」
「それに、黒崎君もずっと心配してたんだよ? 授業終わったらすぐ帰ってたし」
「そーそー。一護のヤツ、朽木さんが気ィ遣うからって、あたしらの見舞いも禁止してたしさ。お陰で浅野がウルサイったら無かったわよ。……まあ、誰もアイツを病人のトコに連れてくなんて迷惑な事しないけど」
 そんな風に、代わる代わる話し掛ける井上とたつきに、ルキアはやや困惑しながらも笑顔を向けた。彼女を囲むように集まって来る、いつもの女子メンバー。それを見て、他のクラスメートも声を掛ける。
 そうして、それを自分の席から見守る一人に、声が掛かった。
「朽木さん、元気になったんだね」
「そーだな」
「気の無い返事だなぁ。昨日と一昨日、ホームルーム終わったら一番に教室出て帰ってたのは誰だっけ?」
「……ウルセー。つーか、オマエもいちいちそんなとこまで見てんなよ」
「あれ? 否定はしないんだ」
「あのな、水色――」
「朽木さーん! 元気になったんですねっ!?」
「え? あ、ええと……」
「この浅野啓吾! 朽木さんが学校にいらっしゃるのを…――ごふっ!!」
「あーもう! うっさいっての、アンタはッ!」
 調子に乗ってルキアに飛び付こうとした啓吾は、たつきの拳で沈められる。
「……………浅野さーん。そんな所に伸びてると踏まれますよ?」
「敬語はイヤーッ!!」
 いつも通りの喧騒。賑やかな教室。交わされる挨拶も何処か明るい、晴れた朝。
 だからこそ、
「――…朽木…さん?」
 教室に足を踏み入れ、ルキアの姿を目にするなり、驚愕で呆然とした石田の姿に誰一人として気付かなかった。
 否――、
「…………」
 視線の端でその様子を捉え、無言を落とした一護を除いて。

    ※

 伝令神機。それと分かる電子音が響いて、ルキアは教科書から顔を上げた。
 霊力の無い者には聞こえない、特殊な音を認識した数人だけが、それぞれの席から彼女にちらりと視線を寄越す。ほんの僅かだけ頷くようにして、ルキアは素早く立ち上がった。
 適当に理由を付けて授業を抜け出す。授業中ならば、廊下でも何処でも人目に付かない場所で義魂丸を飲み、チャッピーの入った義骸を教室に帰せばそれで良い。傍から見れば、少しトイレに行って来たという程度の事。常に義骸のまま行動しなければならなかった頃と違い、出席をどうこう言われる事も無い。
 それでも念の為、屋上へ続く階段の踊り場まで行って、ルキアは義魂丸を飲み込んだ。
 ――…………っ!?
 勢い余って、ぐらりと大きく揺れた身体を支えるように踏み止まる。体勢を整えて振り向くと、彼女の義骸に入ったチャッピーが立ち上がる所だった。
「……ルキア様?」
「あ、いや……チャッピー、後は頼むぞ」
「了解しましたぴょん」
 答えるチャッピーを置いて、素早く外へ飛び出す。虚の気配はそれ程遠くない。だが、民家の屋根を蹴って移動しながら、彼女は僅かな違和感を感じていた。
 ――身体が……軽い?
 動き易いというよりも、妙にふわりとした感覚がある。義骸から抜ける瞬間には、感じた事の無い抵抗があった。
 ――今は、内魄固定剤(ソーマフィクサー)も使っておらぬ筈だが……。
 痛いというのではなく、重かった。なのに、抜けてしまえば酷く軽い。義骸に問題があるのか、それとも霊体の方がどうかしたとでも言うのだろうか。
「……早く片付けて、義骸に戻ろう」
 場合によっては浦原に診て貰わなければと考えながら、彼女は進む先を見据えた。
 屋根上に舞い降り、鞘を払って愛刀を翳す。地上に立った虚が振り向くよりも早く、背後から頭部目掛けて振り下ろす――が、
「――…!」
 届く寸前、尾に阻まれる。堅い鱗に刃が滑る感覚に、素早く刀を引いて距離を取った。同時に、自分目掛けて大きく振り回される長い尾を見切って避け、
「……またか……!」
 至近に出現した新たな気配に、軽く舌打ちした。
 人通りが少ないとは言え、場所は住宅街。戦いを長引かせては思わぬ被害が出かねない。そう、一瞬に満たない間に判断し、ルキアは刀を閃かせた。
「舞え――」
 解号。呼び声に応えて斬魄刀が姿を変える。
「…――『袖白雪』」
 痛い程澄んだ冷気にか、それとも白い気配にか、大気の震えが波紋のように広がった。


 普通の人間には聞こえない軽い音を立てて、手近なビルの屋上へと着地する。解放状態を解いた斬魄刀は既に鞘の中。呆気無く終わった虚退治と魂送に気が抜けて、ルキアは無意識に溜息を吐いた。時折、やけに強い虚も出現するが、大方は雑魚。大抵は、終わった後の時間の使い方に苦労する。
「まだ、授業を抜け出してから二十分かそこらだな」
 普段ならば授業終了まで適当に周囲を回って時間を潰す事もあるのだが、何故かそのままでいる事に落ち付かない。僅かに迷って、彼女は真っ直ぐに学校へ戻ろうと決めた。
 そうであるのが当然のように、剥き出しのコンクリートに覆われた屋上。だが、身を翻そうと一歩目を踏み出した瞬間、視界がぶれた。
「…………え?」
 位置が、低い。掌がざらざらとした感触を伝えて、同じ感触が脚の下にも在る。のろのろと視線を彷徨わせて、漸く彼女は自分の状態に気が付いた。
「あ……」
 座り込む。否、力が抜けたように、へたり込んでいた。
 ――何、だ?
 先程までは、妙に軽かった。そして今も、身体が重い訳では無い。寧ろ、どちらかと言えば軽い。支える必要が無いくらい、己の体重を感じない。逆に聴覚が不明瞭で、聞こえる音が波打つように、そして緩やかに強弱を繰り返す。
 ――これは、一体……、
 おおよそ、初めての感覚。だが、彼女の戸惑いが不審に変わるより先に――それが来た。
 唐突に、陽射しを隠して影が落ちる。鼓膜が、いきなり跳ね上がった音量を至近に捉える。反射で上げた瞳に映ったもの。
「な……っ」
 虚。一匹や二匹どころか、数えられる範疇を超えた無数の敵。囲むように、何対あるのかも不分明な目が、残らず彼女の姿を映している。
「何、故……」
 近付く敵に気付かなかった。愕然とし、今更のように気付く。
 鬼道と斬魄刀を当然のように扱っていた筈の身体の異変。意志と神経が遊離したかのような自分自身。――動かない、身体。

 耳障りな声と共に、殺気が襲いかかった。











相変わらずR-15ではない回(…)


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