Glow of Dawn


 世界が、淡く染まっていた。
 早朝。静謐に張り詰めた空気の中。鳥や街が起き出す直前の沈黙に色が注す。夜明けの先触れは、
「紫色だ……一護」
「……ああ。初めて見た」
 凄ぇ。ぽつりと落ちたありきたりな言葉が、素直な感嘆を表していた。
 廃ビル。建築途中で放棄されてどれ程経つのか、窓ガラスも内装らしきものも何も無いコンクリートの塊。塀とフェンスと鎖で閉鎖された周辺と、それにも関わらず落書きに埋め尽くされた壁。ゴミが散乱し、人為的な破壊の跡が散見する内部。分かり易く、心霊スポットという名の遊び場と化した場所。
 しかし――そこは既に、人も霊も虚も一掃された、奇妙に穏やかな空間に変わっていた。
 そして、等間隔に穿たれた四角い穴から射し込む色。部屋になる筈だった空間から、窓になる筈だった場所を通して見る外界。
「曙、って言うのか?」
「ああ。……季節は違うが、思い出すな」
 あけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
「……雲、どころじゃねぇだろ」
 古文の授業で暗記させられた文章を諳じるルキアに、一護は答えた。
「全部だ」
 空も街も木々も空気も。薄い明かりに浮かんだ世界の全てが、けぶるように紫色に染まっている。
 それは、一瞬が通り過ぎるにつれて融けていく束の間の時間。
 瞬きするのも惜しんで見詰めていたルキアの手。宙に浮いていた指先が、ふと、異なる温度に触れた。
 汗が引いて、大気に少し冷えた肌の感触。現実に、意識が引き戻る。
「あ、っと――…すまぬ一護。傷は…――?」
「ああ、大丈夫だぜ。治ってる」
 胡坐をかいたまま、片脱ぎして露わになった肩と腕の辺りを確かめるようにして、答えを返す。
「つーか、観音寺の時も思ったけど、やっぱ建物の中ってのはやり辛ぇな」
 廃ビルだからって、派手に壊す訳にもいかねぇし。
 ぼやく一護に、ルキアは治癒鬼道を使っていた右手を下ろして苦笑する。
「まあ、貴様の場合、斬魄刀がその大きさだからな」
 二人が代行証と伝令神機に起こされたのは、真夜中よりも闇が深い時刻。原因は、廃墟での季節外れの肝試し、という傍迷惑な行為に騒ぎ出した自縛霊と浮遊霊。餌の匂いに引き寄せられた虚。
 虚とはいえ、二人にとっては何と言う事の無い敵。の筈だったのだが――建物の中、しかも人間や整霊という足手纏いの多い現場は相手の実力以上に厄介だった。
 お陰で、しぶとく逃げ回る虚を何とか倒し、事の発端を作った連中に記憶置換をかけ、魂送を終わらせる――という仕事に普段に数倍する時間をかけ、おまけに全てを終わらせた後、無駄に掠り傷を負ったお互いを見付ける羽目になったのだが。
「ルキア。オマエ、自分の怪我は大丈夫なのか?」
「生憎、私は怪我と言っても擦り傷程度だ。レベルから言えば貴様の方が重症だったな」
 無駄に霊圧だけは巨大な癖に。
 からかう口調に、眉間の皺が深くなる。
「うるせぇよ。――そもそも、危険だから近くに人間や整が居るトコで全力出すなって言ったのはオマエだろうが」
「まあ、努力したのは認めてやるが、霊圧を抑え過ぎて苦戦しているのではまだまだだ」
「だからなぁ、霊圧制御とかそういうのは苦手だって言ってんだろ」
「たわけ。そういつまでも『苦手』で終わらせられると――」
「あーもう、ウルセー」
 いささか強引に遮ると、一護は片手を伸ばしてルキアを引き寄せる。抗議を受けるより先に、その身体を抱き込んだ。
「っ、一護……!」
「何だよ?」
「治療が終わったのだから着物を直せ。風邪を引くぞ」
「別に、引かねぇって。あったかいし、オマエが」
 前屈みに抱き締めて、戯れ付くように黒髪に頬を寄せる。くすぐったそうな笑い声が上がって、少し離した視線が絡んだ。
 躊躇う沈黙。
 一息だけ、迷いと言うより踏み切るタイミングを計るかのような時間が落ちて――それから、後から考えれば笑えるくらいにぎこちなく、互いの唇が重なった。
 世界を染めた紫色はいつしか青い大気に融けて、白い光が東の空を照らし出す。
 夜明け。
 一つ一つを確かめるようにして始まった。そんな朝。

     ※

 気付けば、空が色を持っていた。
「あー…朝だな」
 東の方に薄明かりを見付けて、自然、うんざりするような口調になる。また寝不足かよ、とぼやくと、冷静さと不機嫌さの間のような声が横から応じた。
「文句を言うな。そもそも、勝手に付いて来たのは貴様だろう」
 寝ていろと言った筈だぞ、私は。
「大体、幾ら複数出現したと言っても、あんな雑魚虚ごときに二人も死神は要らぬ」
「仕方ねえだろ。目ぇ覚めちまったんだし――つーか、今何時だ?」
「……五時前かそこらだろうな」
「げ、マジかよ。明るくなんの早過ぎるっつーの」
「たわけか貴様は。夏だぞ、今は」
「そりゃそうだけどな。微妙に損した気分になんだよ。それに――」
 言い掛けて、唐突に思い出したように声が途切れた。
 言葉を交わしながら、街並みの上を飛ぶようにして家路を辿っていた死覇装の二人。訝しげに視線を寄越したルキアに、一護は口の中で声を転がすように口籠る。
「あ……」
「何なのだ、一体?」
「――…イヤ、一回あっただろ。心霊スポットみたいな廃ビルで、何かやたらと虚退治に手間取った時……」
「え? ああ……」
 そう言えば、と頷く。
「確か――冬、だったか? 半年程前の」
「……ああ」
 あれは、冬。戦いが終わって、最初に巡って来た季節。雪が少ない代わりに温度が低く、昼間が騒がしい代わりに夜明け前が酷く静かだった時期。
「あん時だけ、だったな。あーいうの」
 淡く紫に全てが包まれて、それも一瞬ごとに色を変えていく。そんな朝は、他に無かった。
「そうだったな」
 ふわりと舞って、下界が大きく眼下に広がる。
「――それで、今は普通過ぎてつまらぬという訳か?」
「別に。そういうんじゃ無ぇけど」
 変わり映えが無い訳では無い。日々はそれぞれ違っていて、同じ数だけ朝も違う。
 ただ、
「こうしてんのを当然だと思ってて、いいのかって思ったんだよ」
「……え?」
「あー、畜生ッ!」
 唐突に声を上げて、一護は傍らを飛んでいたルキアに手を伸ばした。
「ちょっ、いち……っ!?」
 強く抱き締められたと思えば、そのまま二人揃って自由落下状態になる。突然の事態に焦るルキアの耳に、風を切る音に混じった声が聞こえた。
「オマエと居んのが、普通になり過ぎるのが嫌っつーか。当たり前って思っちまったら、何か俺がバチ当たりみてぇな気がしたんだよ!」
 呆気に取られて抗議を忘れたルキアは、落下速度がふわりと鈍り、普段の重力が戻って来る感覚をぼんやりと掴む。彼女を抱いたまま、何処かのビルの上に転がった一護は、東から空の半ばまでに達した白い余光を見上げた。
「――……だから、」
 当たり前のように来る朝。気付けば明けているような夜。
 あの朝のように何かが特別だったら、ふと気付いて、何も思わず過ぎてしまった日々の多さに驚く事は無いのに。
「時々忘れそうになる自分が、嫌なんだよ……」
 息を吐いて、腕を緩めた。
 一護の死覇装の上を滑るように、ルキアの身体が半分だけ屋上のコンクリートの上に移る。彼女の頭が乗ったままの胸が、呼吸のたびに上下する。
 僅かな間、沈黙が流れて、そこに深い吐息が掛かった。
「……良いではないか、普通で」
 え、と呟く彼の声を、ルキアは死覇装の布地を軽く握って抑える。一護、と呼んだ。
「貴様にとって当たり前の存在になれた方が、私は嬉しい」
「ルキ…――」
「居て当たり前。というのは、何よりも特別な存在だろう?」
 ならば、
「そちらの方が、私は良いよ」
「…――そう、か?」
「ああ」
 頷く気配。一護は知らず、微かに笑った。静かで強い声に、眩暈がする。
「オマエ……俺にとって居て当たり前って事はな。俺の傍に居るって事だぞ?」
「そうだな」
「離す気無ぇぞ? 言っとくけど」
「望む所だ」

 転がったまま見上げる空が、色と明度を増していく。
「朝だな」
「おう」
「鳥が鳴いておるぞ」
「そーだな」
「実は結構恥ずかしい奴だな、貴様」
「……ウルセー、忘れろ」

 日が昇る。朝が来る。
 軽やかな笑い声が、静かに風に流れていった。











「イチルキ」「原作沿い」「甘い」「夜明け」のキーワードリクエストで書いてみました。…え…甘いですよねコレ???
という訳で、イチルキ不足の某様に捧げます(って、もう既に復活したとかしてないとか聞きますが…)
ちなみに某様がどなたなのかは、引用してる歌見れば分かります(笑)



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