Lust for Life
白い闇が、意識に落ちた。
目を開けると、色の無いうねり。
風が、吹いている。
褪せた色の霊圧が巻き上がり、虚ろに黒い空を霞める。亀裂の入った其処此処が、自らの重みに耐え兼ね、悲鳴を上げる。軋んで、呆気無く崩落していく様が、酷く緩慢に瞳に映った。
クリアな視界。些細な音まで聴こえ過ぎて全てが曖昧に響く鼓膜。足元に転がる塊。俺を見ている何か。
叫んでいるのか呟いているのか、分からないそれらを――俺は一瞥して忘れた。意味の無いものには全て、見た端から黒く霧が掛かる。
また、風が吹く。
俺――…そう、『俺』は、何かを探して視線を巡らせる。あちこちで立ち上る無数の霊圧。強いもの、弱いもの。酷く強い幾つかには、叩き潰したいという気が浮かび、それでも絶えず衝動のように突き上がるものが全てを消し去る。
――何処だ?
思って、気付く。そうだ、『俺』は探しているのだ。何かを。
――アイツは……
居る筈だ。『俺』が探しているのだから。
――『俺』、は……
いつしか黒く塗り潰された世界。陰影で形作られた中。
感覚を手繰るように動かした目が、見下ろした先のある一点でふと止まる。
白い霊圧。
その中に、光が見えた。
衝動。踏み締めていた場所を蹴って、それに向かう。
反動で崩落していく床。霊圧の端に何かが掛かって、それを弾き飛ばしたような気がしたが、そんな事はどうでも良かった。
眼球の中。瞳の奥で、光から形を成していく姿。
黒い髪。象牙色の肌。紫紺の双眸。黒い着物。白い刀。
驚愕に、立ち尽くす彼女。
『……ルキア』
そうだ。ルキア。『俺』が探してたのは、コイツ。
『ルキア』
奥から、何かが駆け上がる。どうしようも無い程の渇望。
飢えている。渇いている。空いた所を埋めるモノが必要で、それは唯一以外の他のモノでは埋まらない。
焦燥に、心が軋む。
埋めなければ。手に入れなければ、『俺』は、
――失くしてしまう。
何かを……否、他でも無い彼女を。
居なければ、駄目なのに。必要なのに。
早く。早く。早く。
失くす前に、消える前に、他の誰かのモノになる前に、
――『俺』のモノに。
手を伸ばす。
彼女の、僅かに見開いた両眼。零した吐息。
髪の毛も、爪も、皮膚も、眼球も、臓腑も、血の一滴まで、ルキアを形作る全て。
魂も含めた、ルキアそのものが――欲しい。
奥で、何かが悲鳴を上げる。
『ルキア……』
心が、痛い。耐えられない。だから、
――『俺』はオマエを、手に入れる。
そして、
「一護……――ッ」
――心を、失くさなければ。
※
駆け上った霊圧。
その異質さと、確かに在る慣れ親しんだ気配。弾かれたように、空の挟間をルキアは見上げた。
「一護……!?」
崩れていく白い建物。異変が起こったとしか思えない、唐突な気配。
何かが、起こっている。一護の身に。
――行かなければ……――
反射的に思い――急く気持ちを咄嗟に抑えた。
彼を信じて、彼に託した。だからこそ、他でも無い自分が、彼の助けにならなくてはいけない。
彼の許へ行くならば、引き受けた敵の始末は此処で付ける。
「退け……ッ!」
目前に立ち塞がる敵に向かい、白い刃を翻す。
氷の霊圧。圧し掛かるように敵の巨体を呑み込んで、押し潰した瞬間に一気に固まる。
だが、
「――………!」
小さな亀裂。続く異音と共に裂ける氷。奥の一点に、収束していく力。
――虚閃!
剥がれ落ちていく氷の向こうで、勝ち誇った声が上がった。距離を置こうとするも、完全に射程内に入っている自分の姿を敵の目に見る。そして――、
瞬間。音と色の全てが、意識の外に飛ばされた。
「っ……!」
風。
吹き返しのように戻って来る聴覚と視覚。再構成されて行くそれらを、追い掛けるように認識する。
両手両足の感覚に違和感は無い。右手には、慣れた斬魄刀の感触と重さ。引いていく耳鳴りに意識を落ち着かせ、怪我の無い自身を意外に思いながら、咄嗟に左腕で庇った両眼をゆっくりと開くと、
――………!
其処は、様子が一変していた。
広がる景色。晴れていく視界の先。大きく抉られたその場所。何かの残骸が、破片と砂に混じって今更のように落ちていく。
その中心で、ゆっくりと立ち上がったモノが居た。
白い身体。黒く模様の浮かんだ白い仮面。
明らかな虚に、見覚えは無い。只、今その瞬間まで其処に居た敵を押し潰し、轢き砕いた霊圧の禍々しさの奥に、眼窩の奥の金色の瞳に。
答えが、見えた。
「い、ち……――」
『るきあ』
離れた場所から伸ばされる手。
それに続く衝撃は、酷く呆気無かった。
「…――ルキア!!」
「朽木……っ!」
仲間の声に、我に返る。
「――……え?」
掠れた自分の声が、耳に入る。見える景色が、変わっている。ひび割れた青空。視界の端に、オレンジと白。
「あ……――」
痛みが、肩口から全身の神経に押し寄せた。
みしりと骨が軋む。肉に喰い込んで行く牙が、感覚を奪う。
両手で抑え込まれ、抱き込められて――喰われている。
「いち、……っ」
他でも無い自分の身体が、彼に。
呼んだ名に、抱き締めるように回された腕に力が込められた。理由は知らない。
「一、護……ッ!」
――駄目だ。
止めなければ。傷付いてしまう。
あの目が、光を失くしてしまう。
――光が、消えてしまう。
「ぐっ……!」
咄嗟に、斬魄刀を右手で探った。指先に当たった抜き身の刀身を、迷わず握る。引き千切られそうな感覚の中で、掌を裂いた刃の感触など無いに等しい。己の身体の痛みよりも、その先に在る彼の痛みの方が余程怖い。
――……一護!
白い刃で白い胸を突いた瞬間、僅かに彼の動きが止まった。
重い感触。僅かに、刺した刃を押し込める。包む身体が微かに震えて、抑える力が弱まった瞬間、鍔まで一気に貫いた。
『……………!!』
吠える声は、音にならずに虚空を震わす。
手に絡む感触は、己の血だろうか。それとも、彼の霊圧だろうか。
どちらでも良かった。只、自分が彼を傷付けている今が、彼を傷付けてしまうかもしれない未来が、苦しかった。
――すまぬ。
全ての切っ掛けは自分。
分かっているから、他の誰が赦しても、私は自分を赦せない。
――だから、こんな戦いで死なせない。
私を、貴様が悲しむ理由にさせたりもしない。
どれ程後悔しても、過去は何一つ戻せないから。だからせめて、
「一護…――」
悲しまないように。苦しまないように。己を責めたりしないように。その瞳が、曇らないように。
――私は貴様を、護るよ。
霞む痛みと視界の代わりに感覚だけを研ぎ澄ませ、掻き集めた霊圧全てを、斬魄刀に注ぎ込む。
白く、光が奔った。
※
狭窄した意識が、広がり始める。
視覚に色が戻って、音が意味を持ち始め、散り散りになっていた感覚がひとつひとつ合わさっていく。
消えていく殻。最後に剥がれ落ちた仮面。砕け消えた音が、一護の意識を現実の中に放り出した。
意味も無く青い、偽物の空。何処か濁った白い砂。周囲に在る無数の霊圧は、仲間。
そして、
「ルキ、ア……?」
「――……漸く、起きたか。一護」
片膝立ちで、地面に突き立てた斬魄刀に寄り掛かり、それでもいつものように彼女は笑った。その姿に、絶句する。
新たな出血は、左肩の傷口を覆った氷が止めていた。それでも、吸い込んだ血に濡れた死覇装。砂の上に散った血痕。
「オ、マエ……それ――」
「案ずるな。大した事は、無い」
「な、」
――何処が、だよ。
白い頬には、血色が無い。抑えているのだろうが、それでも微かに震える唇。言葉を発するたびに明らかな、呼吸の乱れ。
一連の光景が、一護の脳裏に蘇る。
何かを、探していた。探して、見付けたと思った。見付けて、失くしたくないと思った。失くしたくなくて、手に入れようとした。
自分にとって、唯一の何か。
――………っ!?
「ル……――」
「一護ッ!」
駄目だと、名を叫んで、ルキアは手に力を込めた。始解の解けた斬魄刀を支えに、崩れ落ちそうな身体で耐える。
ここで自分が倒れたら、きっと彼は己を責める。自失から醒め、不安定に揺れる瞳が曇ってしまう。
それは駄目だと、ルキアは圧し掛かる重みを払って、遠退きそうな意識を手繰り寄せた。
「……たわけ」
彼女が浮かべた笑みに、一護の顔に悲痛が浮かぶ。
「ルキ……」
「何という、顔をしておるのだ……莫迦者」
脂汗が伝う。握る手が震える。それでも、まだだと己を叱咤する。
「この程度で、私は死なぬよ」
精一杯、冗談めかして聞こえるように声音を飾った。
「貴様のような、手の掛かる餓鬼が居るからな」
「ルキア!」
「朽木さん!」
茫然と座ったままの一護とルキアの間に声が割り込む。ルキアの元に真っ先に駆け寄ったのは、赤い髪の男。しかし、続いて現れた背の高い女と、小柄な少年に気付いて場を譲る。
地面に伏す事を拒否する彼女に、止むなく身を起させたまま治療を開始する彼ら。
いつの間にか、治療の邪魔にならぬ程度の距離を置いて、見知った顔が周囲を取り巻いている事に一護は気付いた。そして、もう一つ。
誰も、自分を見ない。
咎める訳では無い。咎める訳にはいかないと、そう思いつつも戸惑いが漂う。口に出して良いものか、思いあぐねて目を逸らす――。
強烈に、孤独を感じた。
「…………ッ」
当然だろうと自嘲して、それでも酷く寒さを覚える。その場から、一人切り取られたかのような違和感。
――何、だよ。
言いたい事があるならハッキリ言えよ。責めるんなら責めりゃいいだろ。見てたんじゃねぇのか、全部。
ぐるぐると廻る思考。自分自身に吐き気を覚えて顔を伏せ、ふと感じた視線に目を上げた。
紫紺色。
真っ直ぐ自分を見詰める瞳に、呼吸を忘れる。
――……ルキア。
何も言わない彼女の目には、確かに自分が映っている。それを、一護は強烈な安堵感と共に自覚した。
――嗚呼……、
深く、息を吐く。
果たして自分が、泣きたいのか、笑いたいのか判らなかった。きっと、彼女はそんなつもりでは無い筈なのに、それにひたすら縋ってしまう自分が居る。
今、一つだけ。どうしようも無く分かった事。
――俺はまた、ルキアを――…離せなくなる。
チャット課題『ダークなイチルキ』(虚一護×ルキア)。…共通課題の『氷』がどっかに行っとる…(をい)
あと、戦闘シーン入れるとか言ってた癖に余り入れられませんでした。寧ろ、後日加筆修正の可能性大です。スミマセン…時間が無かった…