Insulsa Perdimus


 本性に於いて戦いを嗜む。

 骨より更に白い面。血雨を降らせて裂けて砕ける。散って果てるは月夜の中の黒溜り。
 白絹舞って白刃返る。黒衣を纏った雪花の肌。闇夜の髪と紫眼金睛。
 温い大気の雨上がり。雲が緩く動いて月影を霞める。夜闇に星を沈めて月が照る。
 甘く噎せる血臭は、夜気を侵して肺を焦がす。身体の内から染み付く程に浸し切り、そうして零す吐息は甘い。
 己に向かう悪意が霧散して、静かに止まった一連の動作。その場に独り立つ影に、笑みを浮かべた声が掛かる。
「狂い咲きってヤツか? 朽木のご令嬢よ」
「――……何か御用ですか? 更木殿」
 洒落た揶揄に、乏しい抑揚がゆったり返った。


 白く濡れた香気がゆるりと流れる。暗い緑の葉の中で、浮かぶ花弁は梔子の花。握り潰す勢いで毟り取られて、残った枝葉が不愉快に揺れる。
 鞘に納めた刀を抱いて、座った女に花が散った。
 髪を伝ってはらりと落ちる梔子の花。降らせる相手を見上げる瞳は只深淵。燐光を思わせた金睛は、紫紺の奥に隠れている。
 傍らに立ち、花を毟って女の上で放つ男。
 意図の見えない行為を傍観する紫の虹彩と、其れを見下ろす隻眼の金色。
「何をしておられるのです」
「こいつが邪魔だ」
 花の香りが。女を見下ろすように咲く白が。
 だが、的外れな返答で分かる筈も無く、女は首を傾げて視線を戻した。
「で、アレは何だ? 朽木の」
「更木殿。出来れば、何を指した問いなのか、きちんと言っては頂けませんか?」
「分からねえか?」
 花を落とし尽くした男が問い返し、死覇装の肩に花弁を乗せた女は静かに瞬く。
「……単なる、一時の気狂いですよ」
「戯言は他の野郎に言いやがれ」
「難儀な御人だ……」
 見透かす言葉に、しかし少しの困惑も見せず、彼女は片手を軽く払った。肩口から、花の残骸が地面に落ちる。
「――俺と戦え」
 脈絡も何も無い言葉だった。溜息を吐いて、冗談混じりで応じようと開いた口は、唐突な浮遊感に塞がれる。
「生憎、こいつは真面目な話だ。違うとは言わせねえぞ」
「何の、」
「てめえの狩り場にゃ心当たりがある」
 最初に突き付けられた核心に、初めて女の表情が冷えた。
「俺の他にも虚狩りをしてる野郎が居るのは知ってんだよ。霊圧の残滓を探るなんてェ面倒な真似は出来ねえがな、あんだけ痕跡見てりゃ狩り場を移動させた所で厭でも分かる。アレはお前だ。――逢えて嬉しいぜ。朽木のルキア」
「……バレてしまいましたか。更木の剣八殿」
 微苦笑を浮かべると、ルキアは己の胸倉を掴んで強引に引き上げた剣八の右手に手を伸ばす。
「上手く、猫を被っていたつもりだったのですが」
「誤魔化されるかよ。そんなモンで」
「そのようですね」
 漸く解放された着物の合わせを整えて、彼女は残念そうに肩を竦めた。
「それで、私に貴殿と戦えとおっしゃるのか。只の平隊員に、十一番隊の隊長殿と?」
「てめえも好きなんだろ? 戦いが」
「……否定出来ないのが残念ですよ」
「遠慮すんなよ。愉しめば良いだけの事だろうが」
「まあ、それもそうですね。では――」
 一時の沈黙。
「いずれ、ゆっくりとお相手致しましょう」
 落ち着いた声音に、剣八の殺気が静かに弾けた。
「逃げる気か?」
「まさか」
 抜き放たれ、紙一重の距離で首筋を撫でる刃に、ルキアは臆する事無く身を晒す。
「性急過ぎる殿方は嫌われますよ。更木殿」
「生憎、これが俺の性だ。――気に入らねえか?」
「いいえ」
「そんなら」
「ですから、待って頂きたいと申し上げているのです」
 剣呑な視線に、微笑ってみせる。
「言うでしょう? 男を待たせるのは佳い女、と」
「…………ハッ、随分いい性格してるじゃねえか」
 飢えた獣の笑みを浮かべ、剣八はルキアの首から刀を外す。――と、唐突に細い肩を片手で掴み、斬魄刀をルキアの胸元に突き付けた。
 白い肌を斬り裂いて、軽く食い込む刃の先から、赤い雫が滴り落ちる。抉るように切っ先を回し、無言の瞳を覗き込む。
「その性格に免じて、今夜だけは見逃してやる。だが、いいか。忘れるんじゃねえぞ?」
「貴殿も大概、良い性格でいらっしゃる」
 答えの代わりに呟いて、ルキアは離れる剣八に向かって斬魄刀を鞘走らせる。――が、
「更木殿。霊圧を抑えて頂きたい、というのは無理な話でしょうね」
 己と違い、肌の上で呆気なく止まる刃を、残念そうに彼女は見遣った。
「始解すりゃ斬れるかもしれねえぞ」
「いえ。それよりもっと良い事を思い付きました」
 拘り無く納刀すると、ルキアはそのまま隊長羽織に右手を伸ばす。白い布に指を掛けて、唐突にそれを強く引いた。
「おい――?」
 不審混じりの声。眉を顰めて前へと傾いだ相手の顔を、ルキアは白い両手で素早く捕える。爪先立って距離を狭め、勢いのままに口付けた。
 喰らい付く唇。
 驚愕は、ほんの一拍だった。行為の意味を理解すると、剣八は空いた左手をルキアの頭に軽く添える。
 荒々しい交情。吐息も残さず貪りながら、幾度もそれを繰り返す――。
 満足気なルキアが唇を離すまで、二つの影は重なり続けた。
 離れる一瞬。二対の金の瞳が交錯する。
 紫眼金睛――紫紺の光彩、黄金の瞳。
 眇める金眼が見詰める先で、金睛は紫紺の中に静かに沈む。
「更木殿も、どうぞ約束をお忘れ無く――」
 邪気無く見上げるルキアの奥底に、己と同じ色を認め、剣八は笑みを深くした。


 踏み躙られた梔子が、泥に塗れて白く香る。
 それは、じわりじわりと、十六夜月が染みる夜。






Insulsa Perdimus: We destroy the bores.
*insulsa: insulsus = boring (boringness)  *perdimus: perdo = destroy, ruin (ラテン語)




inserted by FC2 system