Quid Amas?


 世の中に いづら我が身の ありてなし あはれとや言はむ あなうとや言はむ

「考える必要の有る事か!?」
 咆哮は身の内に響いて心地良い。此れを厭う者の気が知れない。
「今、てめえが何を感じてんのか考えてみろ!」
 身体を委縮させる筈の圧倒的な霊圧に、彼女の心は昂る。
「朽木のルキア! てめえの中に有るのは何だ!?」
「貴殿と同じものです! 更木剣八殿!」
 振り下ろす白刃と、迎え撃つ斬撃。雷光のように青い火花が走り、半瞬にも満たぬ拮抗が決した。
 弾き飛ばされたルキアを追って、剣八は地面を蹴る。宙空を移動する僅かな間に詰まる間合い。回避は左か右か、それとも後ろか――。否、ルキアは着地と同時に身を沈める。
「……!?」
 小柄な身体を接地する程低く構え、最低段から前へ跳ぶ。
「舞え――『袖白雪』」
 始解。そして、
「初めの舞 『月白』」
 大気が凍った。
 伏したルキアが視界から消えた瞬間、駆け昇る冷気が剣八を包む。氷結結界の中心で、巨躯の動きが数秒止まり、
「――……温ぃ!」
 爆発的な霊圧と剣圧が、氷柱を木端に破壊した。
 砕けた氷に周囲の空気が白く烟り、急速に冷えた大気が乱気流を巻き起こす。鋭く襲う氷片を、しかし剣八は避けもせずにルキアを探す。そして、隻眼が彼女を捉える前にそれは来た。
「破道の三十一・赤火砲!」
 背後からの鬼道。完全詠唱の一撃を、振り向きざまに翳した左の掌で迷わず受ける。目前で弾けた爆発光。その余波で、周囲に散った氷と冷気が一足跳びで沸騰する。
 白濁する視界。意図せず全身に纏わり付いた白い蒸気を払うように、剣八は気配の方へと切っ先を伸ばし、
「次の舞 『白漣』」
 真っ向から氷の波濤とぶつかった。
 押し寄せた波が、文字通りに大きく砕ける。半ばが高く舞い上がった波頭は、力任せに弾かれた事実を明瞭に示す。だが、全てでは無かった。
 剣撃が響く。
 高い位置からの一刀を、剣八は刀身で辛うじて受ける。右の手首を返した不自然な体勢で、刃はそのまま暫し噛み合う。二人の体格差、膂力の差を考えれば、それが有り得る筈も無い。だが、ルキアはそれを可能にさせた。
「面白ぇ手を使うじゃねえか……!」
 愉しげな剣八に、ルキアも嗤う。
「これでも動けるとは呆れた御仁だ!」
 今、剣八の身体は大部分が氷に鎖され、氷塊から露出した表皮の上まで氷が覆う。死覇装に至っては、布自体が凍結していた。揺蕩う蒸気が『白漣』の冷気で氷結し、それに絡め取られた剣八は攻撃の大半を身で受けた。単純な図式である。
 しかし、恐るべきは、頭部と右半身の一部を残して氷の中に捕われながら、尚も応戦出来るという事実。
 奇妙に澄んだ鈍い音に、ルキアは思わず身体を引いた。亀裂と同時に飛んだ氷が、黒い前髪をひやりと掠める。
 次の瞬間――ただの力任せで氷を砕き、ルキアの影を刃が割った。
「良い反応だぜ、朽木の!」
「更木殿こそ!」
 生意気に応じる。こうまで力で圧し切られて尚、ルキアは焦燥とは無縁だった。寧ろ、戦いの中に在るという現実と、紛う方無き強敵の存在に高揚する。
 一方の剣八は、鬱陶しげに、氷塊を死覇装の袖ごと引き千切った。全身を水と氷で重く濡らし、裂けた装束を纏った姿は、人外のものを思わせる。其れに向かってルキアは奔り、剣八も彼女へ向かって刀を翳す。
 再び打ち込まれ、そして難無く止まる一撃。だが白刃は、止められる事を望んでいた。
「参の舞――『白刀』」
 冷ややかな殺気が伝うように、白い刀身の更に先へと氷が刃を成して現れる。切っ先が向かう延長に有ったのは――、
「――……っ!」
 剣八の回避は、殆ど勘に近かった。
 血が舞い飛ぶ。首筋を斬り裂いた一撃は、ルキアが負わせた初めての太刀傷。だが、咽喉を貫き、動脈を裂こうかという刃から、剣八は半瞬の差で逃れていた。
 剣八が身体を横に開いた為に、僅かに緩んだ剣圧。間髪入れずに噛み合う刃を弾いて外し――ルキアの両眼が、剣八の隻眼とぶつかった。
 視線の絡まった其れは、獲物を間合いに捉えた獣の目。
「やるじゃねえか」
 言葉は果たして、口にされたのかどうか。瞳の奥からルキアの頭へ、相手の声がまともに響く。
「そうでなきゃあ面白くねえ」
 修羅の口が、獰猛な笑みの形を作る。
「次は」
「……!?」
「てめえの番だ」
 強烈な殺気と気配が間近に在った。予測を遙かに凌駕して、尋常で無く動きが疾い。
 死の吐息そのものの太刀風。
「――破道の三十三・蒼火墜っ!」
 詠唱破棄。咄嗟に、しかし容赦無く顔面に向けた鬼道は、攻撃を意図したものでは無かった。目晦ましと回避。軽捷さを生かして爆発の反動で後方に飛ぶ。
 敢えて追わずに、距離を取るルキアを見送った剣八は、首を軽く鳴らした。赤い血に、首筋に当てた掌が汚れる。
「ったく、可愛気がねえなァ。いい加減、俺にも斬らせろ」
「謹んでお断り申し上げます」
 軽口で返し、彼女は流石に呼吸を整えた。正眼に構えた斬魄刀。その先で、構えも取らずに立った相手の姿が不意に揺らめく。
 其れはまさしく、一瞬だった。
 瞬き程の間に、相手が消える。近付くでは無く、出現したかのような唐突さで、剣八の姿が眼前に在った。
 ルキアの全身を浮遊感が捉える。刃がぶつかる感覚など、己を吹き飛ばす圧力の前には有って無い。
 打ち合いに競り負け、まともに斬り飛ばされたのだと自覚したのは、地面を跳ねるように吹き飛んで、無様に地面に転がった後だった。
「やっと、てめえを斬れたぜ」
「そのようですね。浅く、ですが」
 憎まれ口を叩きながら、ルキアは素早く身体を跳ね上げる。斬られたのは右腕から胸にかけて。皮肉な事に、剣圧に抗し切れなかった為、受けた太刀傷も深くない。
「心配すんな。次はちゃんと斬ってやる」
「出来るものなら」
 軽い挑発に、剣八は愉しげな表情のまま斬魄刀を振り上げた。
「縛道の四・這縄!」
 地面を蹴って襲う殺気に対して、所詮は小細工。だが、着地の寸前、足先を絡め取られ、僅かに斬撃のバランスが崩れる。
 斬り下ろした一撃が深く地面に食い込んで、無防備になった剣八の咽喉元。左から、ルキアは斬魄刀を叩き込んだ。
 返り血が、ルキアの頬を赤く濡らす。
「………っ」
 左手に握り込まれた白い刀。皮膚と肉を断つ鋭利な刃を躊躇無く掴んで、剣八は嗤う。
「く…っそ…――」
 咄嗟に両手を柄から外して身体を引いた。が、躱し切れない。逆袈裟に斬り上げられ、今度こそ刃毀れの激しい刀身が身体を抉る。ルキアは思わず身を折って、
「破道の一・衝!」
 詠唱破棄の、しかも初歩の鬼道。しかし、至近から眼球を狙われて平然と出来る者はそう居ない。思わず避けた剣八の手から袖白雪をもぎ取って、ルキアは再び距離を取った。
 僅かに血の混じった咳を零し、それでもルキアは笑う。
 格段に重くなった身体で愛刀を構え、乱れた霊圧が動きと共に収まって、静かな殺気が昇り立つ。
 正対する殺気を心地良く浴びて、今更のように剣八は問うた。
「朽木の。てめえ、戦いは好きか?」
「好きですよ」
 自身の流す血に濡れて、ルキアは一層凄絶に嗤う。
「戦いが。強さが。そして、私を戦いに没頭させてくれる相手が好きです……!」
 そう、愛しむものが在る世の中に、憂き事などは悩むに足りぬ。
「良い答えだ!」
 ルキアに、その血笑を鏡面させたような笑みが応えた。そうして続くは、さながら睦言。
「全て、その身体で受けてみろ――!」
 瞬間。異なる二つの霊圧が、真っ向からぶつかった。
 刹那の拮抗――大気ですら拒絶する一閃が、雪白の刀身に吸い込まれる。
 死覇装に、白い肌に、身体の内に、刃が深く這入り込む。
 僅かに開いた唇から、呼気と共に血が溢れ出る。身体は赤く血を纏い、そうして全てを抱き締めて、ルキアの身体が頽れた。
「――これで終いか?」
 問いに対する応えは無い。だが、ややあって、彼女の口から声が零れた。
「更木……殿」
 誘うように、倒れ伏したルキアの視線が動く。曳かれるように剣八が近付くと、口の端に僅かに残る笑みが尚も呼ぶ。折れて短い刀を握ったままの、軽い身体を仰向けてやると、血の気の失せた左手が手首を捕えた。
 紫眼に絡む金色の眼。心から満足したように、ルキアの泥と血に塗れた秀麗な貌に、一等綺麗な笑みが浮かんだ。
「――……『白刀』」
 其れは、呆気無い程軽い衝撃。
「てめえ……」
 己を突き通した刃を背から生やして、剣八は嗤いながらルキアを睨んだ。見返す両眼は、紫眼金睛。油断の出来ぬ黄金の瞳。
 不安定な手元で目算を外したか、それとも此れは計算か。透明な刀身を吸い込んだのは左肩の内側。だが、僅かに逸れれば肺と――心臓。
「私は、自分だけ敗けるのが、好きでは無いのです」
「上等じゃねえか」
 怒りでは無く、純粋な驚嘆から笑みが深まる。
「お褒め頂き、光栄です」
 微笑を浮かべて応えると、そこでルキアの腕から力が抜けた。氷刃が砕けて刀が転がる。無意識に、落ちた右手が愛刀を捜して地面を彷徨う。だが、柄に指が触れるより早く、ふわりと身体が宙に浮いた。
「更木殿……?」
 胡坐をかき、華奢な身体を膝の上に抱き上げて、剣八は彼女をじっと見詰める。まじまじと見返すルキアに向かい、愉快そうな声が降る。
「朽木のルキア。てめえが居れば、退屈せずに済みそうだ」
「私も、同感ですよ――」
 己と相手の返り血で、互いに赤く染め合いながら、死神二人は愉しげに嗤う。静かな風が低く奔って、血の匂いを吹き上げる。

 甘い匂いに酔ったように、剣八はルキアの唇に喰い付いた――。






Quid Amas? : What do you love?
* quid = what  * amas: amo = love, like (ラテン語)


作中引用歌:『古今和歌集』雑歌下 読み人しらず



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