Belluam Prendo


 丈の短い草の向こうに、女の姿が浮かんでいる。
 背を向けるルキアを何とはなしに眺めながら、剣八は彼女に裂かれた首筋に手を当てた。貫かれた肩口も其処も、血止め薬で既に止血は済んでいる。放っておいても大丈夫だろうと、常識外の体力と霊力の持ち主は呑気に思った。
 再び、意識を女に移す。
 彼女の姿が中途半端に明瞭なのは、掌から発している淡い光のせいだろう。
「オイ」
「何でしょうか?」
 即効性の血止め薬で応急処置をし、更に治癒鬼道を施しながら、ルキアは振り向きもせずに問うた。
「まだ終わんねえのか」
「あれだけ盛大に斬っておいて、よくもそんな事が言えますね」
「応急処置はしてやっただろ」
「傷口に薬を塗るだけなら誰でも出来ます」
 一刀両断されて、剣八は口を噤んだ。実際に刀を振り回すならともかく、口先で云々というのは得意ではない。
 手持ち無沙汰に届く範囲の雑草を引き千切る。青臭い匂いを振り撒いて、放り出した葉が軽く飛んだ。早くも沈む気配を見せる半月が、西の空で雲を照らしている。
「オイ」
「言っておきますが、まだ終わっていませんよ」
 その口調には、取り付く島も無い。
「暇だ」
「それなら、隊舎に戻ったら如何です?」
 厭味でも何でもなく、単にそう思ったから言っているのだと知っている。この女は、自分の本性をを知っている者に対しては全てに於いて正直だった。そして、帰って欲しいのか、と訊く言葉遊びのような遣り取りも、この二人には無い。
「戻ってもやる事が無ぇ」
「では、風呂に入って寝て下さい」
「生憎、まだ眠くならねえ」
「仕事をせずに午睡ばかりしているからでしょう」
「何だ。良く知ってるな」
「十一番隊長殿の午睡中は、副隊長殿が暇を持て余していらっしゃいますから」
「ああ……」
 それでか、と軽く納得して、他愛の無い遣り取りが終わる。再び、無造作に毟られた草の葉が地面に落ちた。
「オイ……」
「終わりましたよ」
 何度目かの呼び掛けに、あっさりと返された言葉。受け止め、思考を一巡りさせて、剣八はおもむろに手を伸ばした。
「――更木殿」
 紫紺の瞳を半眼にして、呆れ混じりに女が睨む。
「何だ?」
 気の入っていない応じ方をしつつ、彼は其れを見下ろした。
 後ろから腕を掴まれ、仰向けに引き倒された死神。小柄な身体に、身を乗り出した男の大きな影が落ちかかる。
 そのまま、細い首筋の後ろに掌を添えて、猫でも扱うように文字通り手許まで引き摺った。
「更木殿。私を一体何だとお思いですか」
「朽木のルキアだろ」
「――で、此れは何です?」
「ああ……」
 真面目に答える気は、在ったのか如何か。
 頭を持ち上げ、身を屈める。互いの吐息が近付いた瞬間、
「――……!」
 するりと、ルキアが逃げた。
「オイ」
 不機嫌に追い掛ける剣八の手を、ルキアは溜息混じりに掴んで軽く押す。
「私を殺す気ですか」
「さっきまで人を殺す気だったヤツが何言ってやがる」
「当然でしょう。更木殿の場合、殺す気でやらないと私の方が危ないではないですか」
 しかも、実際に殺されかけた。
「命が幾つ有っても足りぬとはこの事です」
「どの口でそんな図々しい事抜かしやがる」
 間髪入れずに突き放す。悩まし気に溜め息など吐いてみせる様子も、本性を知る者が見れば単なる揶揄だ。そもそも、「手合わせ」のつもりでは通用しないと知るや、即座に意識を「殺し合い」に移せる女はそう居ない。
「……まあ、男でもそうザラには居ねぇがな」
「何の話ですか」
「てめえが面白ぇ女だって事だ」
「お褒め頂き大変恐縮ですが、折角ならもう少し希少価値を主張出来る形容を付けて頂きたいものですね」
「そんなモン、俺が知るか」
 上等な駆け引きなど、戦いの中ですらしない。正直な言動は、露骨だと蔑まれるか、いっそ気持ちが良いと好まれるか。
「私は、嫌いではありませんが……」
「何の話だ」
 反射のような台詞。答えを求める訳ではない声を聞きながら、ルキアはふわりと立ち上がる。胡坐をかいて座った相手より、視線の高さを少しばかり高くした。
「更木殿の事です」
 見下ろしながら、普段通りの声音。一瞬、表情の選択に困ったような相手を、ルキアは愉しげに見る。
 そうして――応じようと開きかけた口を素早く塞いだ。
 軽い口付け。短い交情。離れ際に、薄い下唇を噛んでちらりと嗤う。
「――…では、帰りましょうか」
「……やっぱりだな」
「は?」
「てめえは」
 獣の牙をするりと躱し、恐れもせずに手を伸べる。血に飢えた獣に、平然として喰らい付く。
「朽木の。やっぱり、てめえは面白ぇ女だ」
「……そうですか」
 有難う御座います。と、浮かべた笑みを月影が照らす。
 ざわりと風に、草葉が鳴った。







Belluam Prendo:I catch a beast.
* belluam: bellua = beast  * prendo = catch (ラテン語)



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