Double Dream


 ふと上げた視線を外に向けると、ガラスに映った自分の顔が目に入った。
 最近切ったばかりのオレンジの髪。はっきりとは分からないが、薄茶色の両目。いや、もしかしたら、虹彩の色はもっと薄かったかもしれない。
 思わず不明瞭な鏡面に目を凝らし、馬鹿馬鹿しくなって数秒で止めた。運ばれて来たばかりのコーヒーを、ブラックのまま口に含む。
 鏡に限らず、ガラスや何かに映った自分を見て、驚く事は減ったと思う。
 見慣れたのもあるが、要は元に戻って来たからだ。色が。
 オレンジの髪にブラウンの目。ふざけた色だが、それが俺、黒崎一護の本来の色。なのにそれが、あの三ヶ月の間に豹変していた。起きて最初に鏡を見た時の衝撃は、忘れられそうも無い。完全に色の抜けた白い髪とやたらと色の薄い肌。元々色素は薄かったが、あれは幾ら何でも抜け過ぎだった。一瞬、自分が全くの別人になってしまったのかと疑ったくらいだ。下手なホラーより怖過ぎる。
 今年の六月から九月にかけての約三ヶ月。いや、それ以前から俺の身に起こっていた事も含めた全てが、普通なら有り得ないような事だった。だから逆に、軽度の記憶障害になって、三ヶ月間自分に関する一切の記憶を失くしていた、という尤もらしい話に落ち付いた。事実は違うが、そっちの方がこちらとしても都合が良い。そういう事にでもしなければ他の人間に説明が付かないし、第一、本当の事を言ったら病院送りにされそうだ。
 何故って――…。
「――…一護」
 掛けられた声は、予想通りの人間のもの。
「すまぬ。待たせたな」
「…イヤ、別に……」
 時間から少し遅れて現れた相手。俺は、言葉少なに席を勧める。走って来たのか、僅かに乱れた髪を撫で付けながら、彼女はテーブルの向かい側に腰を下ろした。
 彼女。朽木ルキア。
 俺が柄にも無くこんな場所――普段は来ないエリアに有る喫茶店で待ち合わせた相手は、中学時代のクラスメート。大雑把な枠で括れば、餓鬼の頃からの知り合い。今年の五月に数年振りで再会した女。そして『俺』が記憶を無くすまでの家主で、記憶を取り戻すまでの期間はある意味保護者。
 そして、『俺』の知らないうちに出来ていた俺のコイビト。
 ……どういう事かは俺も知りたい。寧ろ誰か教えてくれ。
「あー…何か頼むか?」
「では……ロイヤルミルクティを」
 ドリンクメニューを一瞥して、即決する。ぐだぐだと悩まれるよりは遙かにいい。いい筈なのだが、
 ――妙に気まずいのは俺だけか?
 何だか相手を直視出来ずに、店員を呼んで注文をする事で意識を外す。短い遣り取りが終わって仕方なく正面を向くと、今度は向こうが窓の外へと視線を外していた。
「…………」
 イヤ、どうしろっつーんだ、俺に。この状況を。
 確実に、前はこんな感じじゃなかった。俺が色々切羽詰まった理由から家出して、ルキアと偶然再会して、事情を知ったルキアが、どういう訳だか持たされてた自分のビルの部屋を貸してくれて、そこで一ヶ月近く独りで暮らしてた頃はこんなんじゃなかった。勿論、ルキアとは恋人なんて関係でも無かったが。
 それがある時、『俺』の記憶が一旦途切れて、次に戻った時には恋人同士になっていた。イキナリだ。突然だ。そこに至る過程も何もあったもんじゃない。
 ――…つーか、無理だろ。
 普通、大事なのはそこだ。そりゃ、恋人になってからの事は言うまでも無く重要だが。それでも、そういう関係になるまでの諸々も含めて恋愛ってのは成り立ってんじゃないのか。別に恋愛経験が豊富な訳でも無いから一概には言えないが、そういう気がする。
 なのに、俺とルキアにはそれが無い。
 俺が忘れてるとかじゃなく、ルキアがどうこうしたという訳でも無い。本気で俺達二人の間には、その過程が存在していなかった。
 何故なら――『アイツ』が居たから。
「……一護」
 ややあって、クリスマスカラーに彩られた外の景色から視線を剥がし、今更のようにルキアが口を開いた。
「それで……最近は、どうなのだ」
「何が?」
「いや――貴様の家、というか家族の事だ」
「前と、ってか、昔とそんな変わってねえよ。帰って最初に色々説教されたけど、結局そんだけ。元々、アイツらも髪の色とか大して気にして無かったし、最近はこの通りで元に戻って来たからな」
「そうか。それは良かった」
「…――『アイツ』も、元気だぜ? 大抵は中で寝てるけど」
「そう、か……」
 ほんの僅かに表情が変わったのは、多分、注文したミルクティが運ばれて来た所為だけじゃない。
 丁寧に置かれたティーカップ。店の雰囲気そのままに、静かに離れて行く店員が去るのを待って、俺は何とか話題を続けた。
「なあ、『アイツ』の名前、何てんだ? 訊いても教えてくれねえんだけど」
「本人が言わぬ事を私が勝手に教えて良い訳が無いだろう」
 両手でカップを包むようにしながら、ルキアはきっぱりと言った。
「……二人だけの秘密ってヤツか?」
「さあな」
 素っ気無いというより、事務的だ。俺が言った科白も、からかいなのか嫌味なのか自分で判らなくなる。
 それ以上の会話を続けようも無く、そろそろ温くなり始めてきたコーヒーを少しだけ啜った。ソーサーに下ろしたカップの中の、揺れる液体をじっと眺める。
 だから、と胸中に声を落とした。
 ――……俺とルキアが会ってどうしろってんだよ。テメエが出てくりゃいいじゃねえか。ルキアが逢いたがってんのはオマエだろ?
 心の中で、奥の方へと問い掛ける。暫くそのまま、己の中で淵を覗き込むような感覚を探ってみたが、時々なら成功する簡単な意思疎通すら全く成立しなかった。敢えて無視されているのかもしれない。
 こっそりと溜息を吐くと、正面のルキアは、意識的になのか何なのかロイヤルミルクティにのみ集中している。表面に張った牛乳の膜を取るのに、そこまで神経遣う必要があるのか果てしなく謎だ。
「なあ……」
 微妙な雰囲気。余所余所しい空気が、望んで出来たものでは無いのは分かっている。だが、
「……今日はもう、『アイツ』と代わるか?」
 思い切って言ってみた俺の提案に、ルキアは驚いたように顔を上げた。
「『アイツ』、どうせ今も起きてるだろうし。今日の約束だって、取り付けたのは向こうだし。だから、な……」
 そう、『アイツ』。俺の中に居る『誰か』。あの、色の抜けた白い髪も色素の薄い肌も『俺』じゃなくて『アイツ』の色。『俺』と同じ形をした、色も性格も全く違う、もう一人の『俺』。要は独立した別の人格。
 三ヶ月の間、黒崎一護は記憶を失ってた訳じゃない。『俺』が眠って、代わりに『アイツ』が外に出ていた。そしてルキアは、俺達以外で唯一その事を知っている。
 恋人同士だったのは、俺の姿をした『アイツ』とルキア。
 『俺』が居なくなって、黒崎一護が記憶を失くしていたとされてる期間、世話をしていたのはルキアだった。そもそも、家出して半分隠れるように暮らしてた俺の居場所を知っていたのは、ある意味で家主のルキアだけ。第一、殆ど使われてないオフィスビルの最上階なんて、ルキアが言わない限りは滅多な事では見付からない。実際の所、『俺』が元に戻るまで黒崎一護は延々と行方不明だった。
 どういうつもりでルキアが俺の存在を隠していたのか、訊いた事は無い。それでも多分、『アイツ』が居たから。万が一にも『アイツ』を消されないように、と思ってたんだろう。
 だから可笑しな話、本来の人格である筈の『俺』が、二人を邪魔してるって事になる。
「――俺、ちょっと寝たように見えるかもしんねえけど。単に素早く入れ替わるってのに、慣れてねえだけだから」
 そう言って、俺は背凭れに寄り掛かり――、
「止めておけ。どうせ出て来ぬ」
 目を閉じようとした瞬間、ルキアの声に止められた。
「……何でだよ?」
「何故も何も、今日の……デートを計画したのは『奴』だ。一旦そうと決めた以上は、貴様が行った処で追い返されるのが落ちだな」
 断言する口調の中には、『俺』には無いものがあった。多分それは、「理解」とかそういう類のもの。
「…――良く分かってんだな、『アイツ』の事」
「別に、そうでも無いと思うが」
「分かってんだろ。俺よりは。大体、俺なんて『アイツ』の考えが未だに理解出来ねえよ」
 姿が同じで、尚且つ同じ所に居るとは言え、考えなんかまるで見えない。ルキアの事が好きなのだけは良く分かるが、それにしたって理解不能だ。
 そもそも、
 ――好きな女に、他の男とも付き合えとか……普通言えるか?
 言える筈が無い。少なくとも俺には無理だ。なのに『アイツ』はそう言って、しかもこうして、他の男との「デート」までセッティングしている。
 確かに、黒崎一護って人間が『俺』と『アイツ』である以上、好きになる相手が同じだったらそりゃ都合はいいだろう。だけど、前提としてルキアは『俺』と『アイツ』の存在を知っている。ルキアにとって『俺達』は、一見して姿が同じだけの別人だ。だからこうして『俺』が相手で戸惑ってんだろう。
 『俺』と『アイツ』の両方が、黒崎一護として朽木ルキアと付き合う。
 『アイツ』の説得と、ある意味で脅迫に押し切られて、その三角関係が前提のとんでもない提案に同意した『俺』だが、下心ってヤツが全く無かった訳じゃない。それでも、実際の状況というのはまた別だ。正直な所、半分後悔し始めている。
 理由は一つ。
 『俺』も、好きだったのだ。ルキアの事が。
 別に昔からずっとという訳じゃない。正直、中学の頃はつるんでた仲間の一人ってだけで、特別どうとは思ってなかった。
 だけど、家出した俺の事情を聞いて部屋を貸してくれて、俺の問題を知ってて普通に接してくれて、下らない話で笑ったり、敢えて見せはしないけど自分の家の事で何処となく寂しげにしてたルキアの事を――あの、記憶が途切れるまでの一ヶ月足らずの間で、大切にしたいと思うようになっていた。
 とは言え、それが好きという意味だと自覚したのは『俺』が表に戻ってから。しかも気付いた理由は、中で『アイツ』に訊かれたから。
 好きだったんだろ。と、当たり前のように確認された。何でバレたのかは未だに謎だ。逆に向こうには、何で気付かなかったのかが解らねえと言われたが。
 ――…ってか、いっそ永遠に気付かなかった方が良かったよ。
 密かに好きだった女が、自分の別人格と付き合っている。しかも対外的には俺という人間として。つーか、中身は別人だが身体は同じだ。要は俺の知らない間に、俺の身体でイロイロされている事になる。イヤ、寧ろイロイロやってんのか。
 ……何の嫌がらせだ、オイ。
 好きでも無い相手とそうなってるのも微妙だが、実際好きな相手とそうなってんのは……何と言うか、空しいにも程がある。
「――なあ、思ってたんだけどさ」
 考えるのが面倒になって、思い切って訊く。
「こういうの、嫌じゃねえのか? オマエ」
 わざわざ訊いて、それでどうにか出来る訳でも無い。だが一方で、ハッキリ言われた方がマシという気分にもなっていた。本音を言えば、ここで引導渡されるだろうと思っていたのだ。
 ――なのに、
「それは確かに、二人と付き合うというのは正直複雑だが……それでも、黒崎一護という人間だけ知っていて、『あ奴』や『貴様』の存在を知らないよりはずっと良いよ。私は」
 ルキアの答えは、俺の予想を超えていた。
「そういう……モンか?」
「飽くまで私の場合だがな」
 静かに笑う。妙に格好良いというか、きっぱりしているというか。それよりアレか、男らしいのか。悩んでる自分が敗けた気がして複雑だが。
「――…じゃあ、『アイツ』に代わらねえんならどうすんだ? 今日」
「先程から考えていたのだがな。矢張り、いきなりデートと思うから駄目なのだ。普通に友人同士で遊びに行く、という感覚でいれば良い。それとて嘘では無いし、男女の友人が二人で遊んでいる状況自体がデートと言えなくも無いからな」
「……そりゃまあ、そうだけど」
 やっぱ女のクセに男らしいな、コイツ。イヤ、一応知ってはいたが。
「あー…そんじゃあ、そういう事で……行くか?」
「ああ」
「っつーか、勝手に立てられた予定じゃ映画行くんだったよな。しかも純愛物ってヤツ」
 勘弁してくれ、と状況も考えずに呟くと、何故か同意が起こる。
「私もあの手の恋愛映画は好きでは無くてな。実はかなり疑問だったのだ。他にも、何だかやたらと堅苦しそうなレストランやら、カップルの溢れてそうな有名どころのイルミネーションスポットやら……恐らく『奴』自身も行きたがらぬ場所のような気がするのだが」
「もしかして、嫌がらせか?」
「……有り得るな」
「……………」
 自分でセッティングしといて一体『アイツ』は何なんだ。そもそも、俺達の仲を促進させたいのか邪魔したいのかどっちだよ。
「なあ、これは飽くまで事前の予定なのだから、無視しても構わぬのではないか?」
「そーだな」
 つーか、出来る限り無視したい。
「じゃあ、まあ、適当に歩きながら考えればいいだろ」
 言って、立ち上がりながらテーブルに置かれた伝票を取り上げる。
「一護。私も……」
「いいって別に、こんくらい。デートなんだろ。一応」
 何から何までルキア優勢では、何となく沽券に関わる気がする。
 ルキアをドアの所で待たせ、そこらのチェーン店よりも高く設定された料金の会計を済ませて外に出た。
 薄曇りの空の下で、華やかなデコレーションが煌めいている。
 ――クリスマス、ね……。
 取り敢えず、そういう恋人同士のイベントを楽しむという状況の遥か手前に居る俺達は、先程よりは自然な会話を交わしながら目的も無く歩き始めた。












リクエストの「一護と白一護のライバル宣言(+ルキア)」という訳で、All You Wanted 番外編。本編終了後でクリスマス前(時季外れにも程がある)
…続きます(←最近続き過ぎ)



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