Double Dream- IV


「何だよ。もう戻ったのか?」
「まあな……」
 視線だけこちらに向けたソイツに短く答える。別に追及するでも何か言うでも無く、あっさりと俺を視界から追い出した『白い俺』に、いつもと違う雰囲気を感じて疑問が湧いた。
「…――つーか、中から見てたんじゃねぇのか?」
「寝てた」
「はあ?」
 意味の分からない理由に、俺は眉を顰める。
 いつもは大抵、表に居た時の『俺』の記憶を勝手に覗かれている。『俺』が表に居た時、黒崎一護が誰に会ってどういう話をしたのか、それを知っておかないと困るからってのがその理由。一応、覗く記憶も外出中や家で家族と居る時のものが主で、基本的に他人と関わっている時に限定してはいるらしい。しかし記憶の共有と言えば聞こえはいいが、俺にとってはプライバシーの侵害だ。余り気分の良いモンじゃない。
 なのに、止めろと言っても聞く耳なんて持たなかったコイツが、何だって今日に限って見て無ぇんだ。
 疑問を深めつつ、探るように言葉を継いだ。
「テメエのリクエスト通り、ルキアと会って来てやったぜ」
「そりゃ何よりだな」
「……何だよ。それだけか?」
「『俺』としちゃ、『テメエ』がルキアを離すなんて莫迦な気を起こさねえならソレで良いんだよ。それとも『お前』は、自分が何処で何したとか、わざわざ言い触らす趣味でもあんのか?」
「んなモン無ぇけど」
「そんならとっとと表に戻るんだな」
「――意外だな。気にならねえのか?」
 敢えて踏み込んだ『俺』の科白に、『ソイツ』は言葉を投げる様に答えた。
「気が向いたら勝手に覗く。『俺』のする事にどうこう言ってんじゃ無ぇ」
 身体を共有してるもう一つの意識。ソレが表に居る間の記憶を覗くって事を、『俺』は未だにやった事が無い。多分こうすれば出来る、という感覚みたいなものは分かるが、正直言って『コイツ』が表に居る時の記憶は見たくなかった。『コイツ』が表に出るって事は、つまり九割方ルキアが関わってるって事だ。
 『俺』じゃない自分に笑い掛けてるルキアだとか、ソレ以外の事とか。そんな光景を見てどうしろってんだ。
 そこまで考えて、何となく気付いた。
 ――つまり、『コイツ』もそうって事か?
 ルキアが『俺』とどんな話をして、『俺』の前でどんな表情をしてたのか。気になって仕方が無いけど、見たくない。そういう事だろうか。
「オマエ……」
「何だよ」
「普通なトコもあんじゃねえか」
「はぁ?」
 そう、意味が分からないという顔をする『ソイツ』へ、
「妬いてんだろ。『俺』とルキアの事」
 言ってのけた科白に、返って来たのは無言。俺は構わず言葉を続ける。
「『俺』は、正直言ってルキアの事は諦めようかと思ってた。つーか、半分諦めたつもりだった。だから、『テメエ』にルキアと会ってる時間を譲ってやってたんだけどな」
 一拍置いた間に、『アイツ』の眼が険しさを増す。ソレに向かって宣言した。
「やっぱ、止めることにした。ルキアを諦めんのも、ルキアの恋人のフリで終わるってのもな。当然、『テメエ』に譲る気も無ぇ」
「……ルキアは『俺』のだ」
「どうだかな」
 余裕ぶるのは八割方演技。それでも、隙を見せる訳にはいかない。
「『オマエ』とルキアの間に何が在るかなんて、そんなモン『俺』は知らねえし、見たって多分分からねえ。けど」
 だけど、
「忘れんなよ?」
 ゆっくりと立ち上がった『ソイツ』に、言った。
「『俺』とルキアの間にも、『俺』達の間にしか無いものが有るんだよ」

    ※

 行きたい処。そう言って、ルキアが俺を連れて行ったのは、見覚えの有る場所だった。
 幾つもの路線が接続する駅。都心とまでは言えないが、空座よりは遙かに人も建物の密度も高いそこの、駅前広場と繋がった公園。正確には、木が植えられてベンチがある程度だが、それでも駅独特の喧騒から僅かに外れた場所。
「なあ……ここって……」
「久々に来たが、半年以上経ったというのに余り変わっておらぬな」
 懐かしいであろう? と、振り向きもせずに問うたルキアの声に、俺は無言で応えた。
 そう、確かに、懐かしいと言えるかもしれない。その時と今との間には、時間や距離よりも大きなものが隔たっているから。そして何より、
「……オマエと偶然会ったのって、あのベンチの辺りだったっけな」
 そこは、家を出た俺が、行く当ても行きたい場所も無いまま、座り込んでいた場所だった。

    ※

 その日。少し気温の高い五月の半ば。
 雑踏と喧騒から少し離れたベンチに、俺は座っていた。
 隣には、大きなスポーツバッグと、ほぼ常温になってしまったミネラルウォーターのペットボトル。
 膝の上に投げ出し、組んだ両手を固く握って、時折、身体の奥で響くざわめきに似た何かの気配を押し込める。こめかみの辺りが焼け付くような気がするが、それでも気を抜くのが恐ろしかった。
 繰り返し思い出すのは、一つの光景。
 叩き壊したデスクライト。ひっくり返って、フローリングの床に傷とへこみを付けた椅子。辞書や教科書や、机の周りに在った筈のあらゆる物が無秩序に散った部屋。それをやったのは、『俺』じゃない俺自身。
 自分の何処に、そんな力が有ったのか。意識が飛んだほんの一瞬から戻った瞬間、寒気がした。
 それまでも、何度か意識が不明瞭になる時はあった。だがそれは、本当に一秒かそこらの短い時間。自分で違和感を感じても、敢えて気にしなければ普段と変わりなかった。いや、自分がその事に慣れてしまうくらい、長い間その感覚と付き合っていた気がする。
 原因なら、分かっていた。ガキの頃の、あの最悪の出来事が起こってから暫くの間。何度か似たような感覚に陥って、自分でも分からない時間の記憶が抜け落ちていた事があったから。多分、いつの間にか無くなっていた症状がまた出て来た。最初はそのくらいに思っていた。またいつの間にか消えるだろうと、根拠も無く。――なのに、
 消えるどころか頻繁になった。そして、酷くなっていった。急激に。
 多分、アレが自分の部屋で、アレが起こったのが独りの時で、壊したのが物だったのは単なる偶然。他の場所で、他に誰かが居て、そしてもし――……、
「…………っ」
 人を、誰かを、助けるんじゃなかったのか。俺は。
 今まで、そのつもりでやってきた。一護、って名前の意味を知って、なのに護りたかった人を護れなくて。それでもやっぱり誰かを護りたいと、助けたいと思ったから――決めて、ここまでずっとやってきたのに。
 ――……もう、無理じゃねえか。
 何かを無意識に、無秩序に傷付けてしまうような人間に、誰かを助けるなんて事が出来る訳が無い。自分の意識もコントロール出来ない人間に、誰かの命を預かる資格は無い。
 あの瞬間、意識を失くした俺が壊したのは、自分の部屋と――自分の未来。
 そして、突然の物音に心配して、階下から声を掛けた妹に誤魔化しの返事をしながら、俺は絶望的な思いで立っていた。奥で俺の隙を狙うようにざわめく何かを抑えて、ただ一つの事を思いながら。
 ――俺はもう、この場所には居られない……。
 見付からないよう壊した物を処分して、荷物を纏めて家を出た。電車を乗り継いで、意味も無く辿り着いたのはこの場所。人は溢れるくらい居る癖に、誰も周りの人間を見ていない。だから逆に安心する。
 これから何処に行くのか。どうするのか。そんな事は決めて無かった。第一、自分に何かが出来るとも思えない。
 時間が緩慢に移ろう。視線を落とし、地面に落ちる影が動く様を見抜こうとするように睨み付けて。その実、何も見ていなかった俺の前に、躊躇いがちな影が射したのはそんな時。
 ゆっくりと上げた視界に、小柄なシルエットが浮かぶ。真昼の太陽を背にした人影が、貴様…、と呟きながら近付いて来た。
「……もしや、一護か? 黒崎医院の」
「オマエ……」
 くちきるきあ、と、一風変わった響きの名前は、口にした途端に現実味を帯びた。

 すぐ目の前にやって来た彼女は、相変わらずのオレンジ頭だな、と中学時代の記憶そのままの口調で失礼な事を言い放つ。俺の横に置かれたバッグを見て、軽く尋ねた。
「何だ。旅行か?」
「家出して来た」
「……は?」
 俺の顔をまじまじと見遣るルキアから、逃れる様に視線を外した。が、そのまま相手からの反応が無いので、仕方なく戻す。反応をし損ねて止まっている彼女に、不機嫌に問い掛けた。
「おい、聞いてんのか?」
「あ、ああ……というか、何故だ?」
「巻き込みたく無ぇから」
「意味が解らぬ」
 分かって堪るか、と内心返し、そっぽを向く。
「テメエには関係無ぇよ」
「……それもそうだな」
 ルキアは、肩を竦めてあっさり頷いた。
「処で、好奇心から訊くのだが、住む場所はあるのか? 普通に学生が部屋を借りようとするなら、保証人として保護者の署名と捺印が必要だぞ」
「当てが無ぇからこんなトコいんだよ」
「……貴様、よくそれで家出する気になったな。行き当たりばったりなのにも程があるぞ」
「うるせぇ。考えてる時間が無かったんだ」
 嘘では無いが、具体的な事は一切言わない。だからいずれ、呆れて何処かへ行くだろうと思っていた。中学卒業直後の簡易同窓会以来、名前と噂は聞いても会う事が無かった相手と、これ以上関わる機会があるとは思えない。
 思えなかったってのに、
「…――まあ、私に当てが無い事も無いな。……貸してやろうか?」
「何を」
「住みかに決まっておるだろう」
 何やら考えた後に出て来たルキアの科白に、俺は唖然とした。
 返答に窮し、間抜けな顔をして見上げる俺を放って、ルキアはさっさと身を翻す。
 一体、それは何故だったのか。
「付いて来い」
 そう、ルキアが肩越しに投げた言葉に引き摺られて、俺は立ち上がっていた。












開き直りました(=短く纏めるのを諦めた)
実は過去編(?)として白一護が現れるまでのエピソードを書こうかどうしようか迷ってます。
まあ、回想シーンとして小出しでもいいんですが…(←それより先にリクエストを消化しろ)
あ、そう言えば第三話の終盤を書き直してるので、改訂版を読んでいない方はそちらもどうぞ…!(遅)



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