Double Dream- VII


 風も無いのに、空が鳴った気がした。
 立ち上がった『ソイツ』の目。俺よりも色の薄い琥珀色を気圧され無いよう睨み付け、出来るだけ落ち付いたフリで言葉を続ける。
「だからって別に、『テメエ』にどうこうしろとは言わねえよ。これまで通りだ。普段は『俺』が表に居て、『オマエ』と時々入れ替わる。妙なマネしなきゃ邪魔はしない。――…ただな」
 一つだけ、
「あんま、安心しねぇ方がいいって事だ」
「……へえ?」
 揶揄するように、口の端が上がる。一瞬走った殺気にも似た空気が消えた代わりに、妙に静かな緊張感が俺を包んだ。表に出ている事が多いのは『俺』の方でも、何故かこの場では『コイツ』よりも優位に立っている気がしない。
 自然、反発するように、口調と科白が強くなる。
「ルキアが、いつまでも自分だけ見てると思うなよ?」
 だが、半ば挑発するような俺への反応は冷ややかだった。
「つまり『テメエ』は、今んとこルキアは『俺』のだって認める訳だ」
「……っ、それは…――」
「ま、取り敢えず、漸くその気になったってんならいいんじゃねえのか?」
 意外にも、あっさりと言う『ソイツ』。構えていた分、その反応に気が抜ける。落ち付いた歩調でこちらに向かってくる相手に、さり気なく返した。
「何だよ。随分落ち着いてんな」
「元々、ルキアと付き合えってのを言い出したのは『俺』だ。理由が何だろうが、『テメー』がルキアを離さねぇ気になったんなら、それで十分目的に叶ってるんでな」
「って事は、『俺』がルキアを取ってもいいのか?」
「――…『一護』」
 俺の横を通り過ぎる直前で止まった足。
「何度言ったら『テメエ』は分かる? 『俺』はルキアを離さねぇ。例え何があってもだ。そして、その為には何だってする。――…だから、『俺』は此処に居るんだ」
 低い声と、横薙ぎに斬り裂くような強い視線を俺に寄越し、そのまま『ソイツ』は歩み去る。
 僅かに怯んだ自分に気付いて、俺は咄嗟に振り返った。
「おい、テメエ!」
 立ち止まる気配も、反応する様子も無い後姿に腹が立つ。何か、と言葉を探して、出て来た疑問を深く考えもせずに口に出した。
「つーか、いい加減に名前ぐらい教えやがれ!」
「厭だね。『俺』の名を呼んでいいのはルキアだけだ。他の連中に教えてやるようなモンは持って無ぇよ」
 肩越しに、間髪入れずに投げられた言葉。意味を咀嚼し、呆気に取られた俺を『ソイツ』はとっとと置いていく。
「……っの、ヤロ……!」
 我に返って思わず――何となく敗けた気分になった自分自身と、遠ざかって行く『ソイツ』の両方に、悪態を吐いた。

    ※

 暫く待ってみても、返って来るのはひたすら無言。聞いた一言に呆気に取られているルキアを、俺は半ば呆れながら見下ろした。
「つーかオマエ、知ってたんじゃねえのか?」
「あ、いや、知ってはいたのだが……その……」
「何だよ?」
「実感が無かったというか……本気だとは思わなかったというか」
「オイ」
「す、すまぬ……」
「イヤ、謝んねぇでもいいけど」
 つーか、この状況で謝られるのは微妙だ。
「――で、ルキア」
「……何だ」
「幾らオマエでも、直接言ったんだから分かったよな?」
「え…――あ、その、一応…は」
「一応かよ」
「だ、――そ、そんな事を、言われてもだな……」
「つーか、そんなどもるな! こっちが恥ずかしくなんだろうが!」
「は、恥ずかしくなるくらいならば言うな!」
「言わなきゃ分かんねーだろうが、テメエは! ってか、分かって無かっただろうが実際」
「う、五月蠅い! 仕方が無いであろう! 他の者から聞いただけで、そんな重要な事を信じられるか!」
「だったら、流石にもう信じたよな?」
「そっ……それは、まあ……」
「じゃあ、いい」
「……な、何がだ?」
「だから、俺が本気だってのをオマエが解ってりゃいいんだよ。取り敢えず」
 この調子だと果てしなく先が長そうだが、焦っても仕方が無いので妥協する。俺が不利なのは承知の上だし、だからと言って諦めるのは性に合わない。
 そう思って、『アイツ』はどこまで分かってやってんのかと疑問に思った。俺にルキア以外を選ばせる気が全く無いのだけは嫌ってほど理解させられた。で、その俺にルキアを取られる心配ってのはしてないんだろうか。
 ――つーか、『アイツ』の思考回路は謎過ぎんだよ。
 考えるほど訳が分からなくなりそうだったので、答えを探すのを早々に諦める。少しは理解したような気もするが、やっぱり大部分は謎。というか理解不能だ。そもそもが、向こうも俺に相互理解なんて代物を求めて無い。
 ――ま、ルキア個人の事に関してだけは話が合うかもな。
 当然、話す気は無いが。多分、お互いに。
「……って事だからな、ルキア」
 デートするぞ。
 言い放った俺に、今度はルキアが呆れたように返した。
「つかぬ事を訊くが、元々、これはデートとやらでは無かったのか?」
「どっちかっつーと、オマエは単に俺と一緒に出掛けてるだけのつもりで、俺とデートしてるつもりじゃなかっただろうが」
「大して違わぬ」
「オマエな」
「たわけ。好きだと言われて、はいそうですかと直ぐに気持ちを切り替えられる訳が無かろう」
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
 自然と眉間に皺を寄せて不機嫌になる俺に、ルキアは、少なくとも可愛いという枠からは外れた、ついでに昔から見慣れた表情を向けた。
 つまりは、不敵な笑みを浮かべて――、
「まあ、精々努力する事だな。私に愛想尽かされぬように。ついでに、出来ればそういう類の好意を持たれるように」
「っテメエ……」
 さっきまで狼狽えてた鈍感な女はどこ行きやがった。つーか、さっきの今で、その偉そうな態度と口調と科白はどっか間違ってんだろうが。
 一瞬のうちにそれだけ思ったのを見抜いたのか、ルキアは僅かに眉を顰めてみせる。
「貴様、まさかとは思うが、私が恋愛事に関して初心で繊細な乙女だと誤解してはおらぬだろうな?」
「イヤ、さすがにそこまで無謀な夢は見て無ぇよ」
 鈍感だとは思ってたが。つーかそもそも、乙女って何だ。
 反射的にツッコミを返すが、無視される。続けて出そうとした声は、肩を竦めたルキアの表情に押し留められた。
「まあ、自分で言うのも何だが、私が結構碌でも無い女だという自覚はある。貴様の知っている事と知らない事も含めてな。――だが、」
 一瞬だけ落ちた自嘲の後に俺を見た、真っ直ぐな瞳。
「こんな私でも、半端な覚悟で『奴』を選んではおらぬよ」
「……――『俺』じゃ、駄目って事か?」
「別に。『貴様』次第で多少の変化はあるかもしれぬと言っておるのだ。先の事全てが私に分かる筈など無いし、そもそも、一年前の自分に今の状況を教えてやったとしても、間違い無く、在り得ぬと笑い飛ばされるだけなのだからな」
「そりゃ、まあな」
 確かに、一年前は今の自分の状況は勿論の事、ルキアにこんな感情を持ってるなんて想像すらしなかった。イヤ、それ以前に、俺の中のルキアは単なる中学時代のクラスメートってだけで、そこから何か変化させる気なんて全く無かった。更に言えば、彼女の存在自体が、俺の中では完結した過去のものに等しかった。
 なのに――それがもう、『俺』の居る世界まで全て変わって、今の俺にとってルキアの存在は決して切り離せないものになっている。
 遠くの方で、一日中飽きもせずに流れ続けるクリスマスソングが、人のざわめきと混じり合っていた。変わっていないようでいて、その実、やはり止まらず進んでいる時間。
 葉を落とした木々。常緑樹の緑の濃さ。陽射しの強さも、風の感触も、再会したばかりの時とはまるで違う。
 それを感じながら、我ながら寛大な――というか、有り得ないと思いつつ応じた。
「つまりオマエは、仮に『俺』を好きになっても『アイツ』を好きでいる事に変わりはねぇって事だな?」
「今の私の意思としてはな」
「……分かったよ。上等じゃねえか」
「そうか?」
「ああ」
 俺が置かれてるのはとんでもない状況で、何の因果か俺が好きになったのも相当とんでもない女。つまり――完全に諦めるか、開き直るかのどちらかだ。そして、俺に諦める気は全く無い。
「――だからな。もう一度言っとく」
 選んだのは、普通の人間なら取らないだろう道。けどそれが、俺がその道を選ばない理由にはならなかったってだけだった。
 向けた声は、大きくは無い。ただ、彼女が聞き逃す事だけは許さないよう、はっきりと言葉を紡ぎ出す。
「いいか、ルキア。――オマエを好きなのは『アイツ』だけじゃねえって、覚えとけ」
 僅かな間。

 それから、紫紺色の双眸が俺を捕えて――考慮しておこう、と口元が笑った。





  <fin.>











という訳で、リクエストの「一護と白一護のライバル宣言+ルキア」でした!
…覚えてる方がどれだけいらっしゃるかは謎ですが…(をい)
というか、一歩前進するのに七話(400字詰め原稿用紙で120枚近く)費やすとかって……果てしないな、一護(…)



inserted by FC2 system