優しい手に安心して眠って


 空は暗い。僅かに明度を含んで暗いまま、変化が薄い。雨は降ったり止んだりで、流石に飽きる。
 気紛れに戻って、より一層更地になった先に出来た穴の底の小さな淵を確認する。
 何も変わらない。
 ――何が足りない?
 分からない。
 もっと壊せばいいのか。もっと空を乱せばいいのか。それとも別の事なのか。
 既に、何がやりたかったのか良く分からなくなっている。
 此処から出たい。この世界を消したい。全て、俺のものにしてやりたい。
 ――だが、どうすればいい?
 消されて行く事への焦燥感。失くしている気がするのに、何を失っているのかが判らない。
 座って、放り出した指の先に、淵に溜まった水が触れた。
 温いような、冷たいような、熱いような、感覚。
 温度を無くした感触が、指を這い上がって手に絡む。
 ――……眠い。

    ※

「――起きていたのか、ラーヴァ」
 普段でも十分大きな目を更に見開いて、部屋に入って来た彼女は俺を見詰めた。
「まだ明るいから、寝ているのかと……」
「日は落ちてんだろ」
「いつもは寝ている」
「目が覚めた」
「……そうか。というか、もしや夜行性では無かったのか? てっきりネオンの光が強くなってから起きるのかと思っていたが」
「随分現代的な夜行性動物だな」
「まあ、こうなると違う種類の動物かもしれんが。……それより、何か食べるか?」
「んじゃ、お前」
「――……ベタ過ぎて寒いぞ、それは。というか言ってて恥ずかしくないか貴様」
「別に? 単に本気で言ったんだけど」
「言うな」
「じゃあ、何て言えばいい?」
「取り敢えず、作って来たから普通に食事をしろ」
「……了解」
 決まってんだったら、何でわざわざ最初に訊いたんだろうか。若干疑問に思いながら、俺はソファに座る彼女の隣に納まった。
 食事をして、適当に本を読んで話をする。大抵そんな感じで、時々少し違う日常。積み上がった雑誌を下から引き抜いたら、そのまま雪崩を起こして厭に綺麗に床に並んだ。
「いい加減に捨てた方が良さそうだな」
「けど、まだ全部読んで無え」
「だから読み終わった物は別にしておけ。……この雑誌、発刊が四年前だな」
「なあ。何でコレ、間の三号分が飛んでんだ?」
「知らん。ゴミ置き場に棄ててあったのを束ごと持って来ただけだ」
「……道理で間にエロ本が挟まってんだな」
「な、本当か?」
「イヤ、嘘だけど」
 真顔で言うと、手にしたファンシー雑貨の雑誌で頭を叩かれた。
 取り敢えず片付けるつもりか、彼女が床に広がった雑誌の方に行こうとする。俺は、読み終わった雑誌をテーブルに放ってその手を引き留めた。
「ルークス」
「何だ?」
「そう言えばさ」
 言いながら、ごろりとベッドの上に横倒しになる。
「お前、恋人、ってか彼氏は居ないよな?」
「……物凄く今更過ぎる質問だな。いや、寧ろそれは最初に確認しておくべき事だと思うのだが」
「いいだろ別に。なあ? どっち?」
 指の先を掴んだままで問い掛ける。物凄く微妙な表情で、彼女は口を開いた。
「私が、恋人とやらを二人も同時に持てる程、器用な性格をしていると思うのか?」
「じゃあ、一人は居るのかよ?」
 絡めた指に力を込めると、呆気に取られたような顔の後、唐突に頭痛を覚えたみたいな表情をする。
「……待て。ちょっと待て、貴様」
「何」
「一体自分を私の何だと思っている」
 真面目な顔で問い直され、俺は簡単に思考を回転させた。随分漠然とした質問だ、と思いながら。そして暫く沈思した後、再び見上げる。
「……何、って……――何だ?」
 何故か、彼女は額を押さえてその場に座り込んだ。
「ルークス、大丈夫か?」
「ああ……いや、まあ、別に何でも……」
「なあ。答え、何?」
「いい。今の質問は忘れろ。何でも無い」
「何で」
「何でもいいからとにかく忘れろ。というか、盛大に虚しい気分になるからそれ以上訊くな」
「じゃあ、ソレは置いとくから、俺の質問は?」
「居ない。一人も居ない。居た事も無い」
 不必要に強調して断言し、彼女は明後日の方向を向いて呟いた。
「……貴様が物凄く変わっている奴だという事を忘れていた」
 凄く理不尽で失礼な事を言われてると思うのは気のせいだろうか。だが、とにかく彼女の機嫌が宜しくないのは明らかで、一応、最初から遣り取りを考え直してみる。
 漸く一つ、思い付いた。
「なあ、もしかして……俺がルークスの恋人?」
「知らん」
「じゃ、恋人の定義は?」
「……何でそんな理論的な話になる」
「解んねえから」
「辞書を引け。そこらに転がっているだろう。幾らでも」
「――コイビト。恋しく思う相手。……恋しいってどんなだ?」
「だから私に訊くな」
 八割方投げやりになっている彼女がこっちを全く見てくれなくなったから、仕方無く身体を起こした。
「ルークス」
「ルキアだ。私は」
「……ルキア」
 後ろから抱き付いて、そのまま引き倒した。
「だから、恋人って言葉に、ルキアが俺のもので、俺がルキアのものだって意味が有んなら、俺はルキアの恋人がいい。そういう意味が無ぇなら、別のものがいい」
「――……難しい話だな」
「何が」
「そういう意味の言葉が思い付かない」
「無いのか?」
「かもな」
「けど、単純な意味だろ」
「それなら、単純なものほど複雑なんだろう」
「良く、解らねぇ。複雑な事を考えんのは好きだけど」
「ああ……ラーヴァは単純そうに見えて、以外とそうだな」
 褒めてるのか。それとも貶してるんだろうか。
 寝転んだまま、彼女の首筋に顔を埋めた。
「なあ、ルキア。――お前は、俺のもの?」
「判らぬ」
「どうして?」
「……では、お前のものというのは、私がどうなる事なのだ?」
「知らねぇ」
 と言うより、
「解ってた筈なのに、解らなくなった」
 違う。解ってると思い込んでたのか。
「――だから、どうしていいのか解らねぇんだ」
 応えの代わりの困ったような沈黙に、抱き締める腕に力を込める。
 ああ、そうだ。もう一つ。
「起きてルークスが居なかったの、初めてだった」
「ラーヴァが早く起きたからだろう。私はいつも通りだったぞ」
「……けど、厭だった」
「そうか。では、明日はもっと早く来るよ」
 柔らかく息を吐いて、髪を撫でる手が優しかった。

 彼女の傍でしか安心出来ない俺は、きっと、彼女が見えない場所では呼吸すら苦しい。だから、
「ルキア……」
 何を失くしてもいい。彼女が傍に居るなら。

 色の無い髪を漉く手を握り込んで、唇にキスをした。












単純な一方で複雑な白一護。原作で「本能」云々について延々語ってたので…。
「王と騎馬」に「王と臣下の違いは、騎手と名馬の違い=騎手は名馬と同じくらい速く走る必要は無い」(某小説の宮廷画家談)を思い出した。


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