優しい時間に幸せを感じて− II


 堅く、小さく音を立てて置いたライターが、キャンドルの炎を照り返す。天井に埋め込まれた空調から流れる空気で、作る影が揺らめいた。
「やっぱ、そうなんだな。ルキアは」
 『光』だった。
「その、一護って奴の中から、俺を作った」
「違う。お前は、存在していた。私は呼んだだけだ」
「違わねぇ。閉じ籠められれば、出たいと思うのが本能だ。恐ろしいと感じるのが本能なんだ。多分『中に居た奴』は、それに忠実だっただけだと思うぜ?」
 俺は、知らない。だけど、解ってしまった。
「なあ。ソイツは、一護は、恐がってなかったか? 内側から喰い破られそうなのを感じて、懼れてたんじゃねえのか?」
 見開いた瞳を、視線を逸らさないよう捕まえる。
「そりゃ当然だよな。『何か』が中に居て、自分を壊そうとしてんだから。逃げたがってたとすれば、それは別の要因が絡んでる。一瞬でも表に浮かんで来れる程『何か』の方が強くなるくらいの」
「……そ、んな……では、あの日だから? あの日は、一護の母親の命日で……だが、だから、それならと思ったのだ。あれはお前だと」
 お前、と呼ぶ彼女が指すのは、俺の知らない他のモノだ。
「私は逢った。覚えている。一護の母親が亡くなった数日後だ。彼女は、一護を庇って、事故で亡くなった。私はその日偶然、奴の母親が亡くなった河原で、一護と会ったんだ。あれは一護だったが、『一護』では無かった」
 多分、その時の事を思い出しているのだろう。けど、彼女が見ているだろう光景は、俺には見えない。
「夕方で、空は一護の髪に似たオレンジ色だった。私が呼んでも、返事が無かった。気付かないのではなくて、興味が無いという顔で。何を訊いても、何かを教えても、只静かに立っていた。だから、『一護』ではないと思ったのだ。良く分からぬが、そうだと思った」
「それから、どうしたんだ?」
「戻れ、と言ったのだ。此処に居てはいけない。戻って、眠っていろと。眠れば、厭な事も忘れてしまうから。私はいつもそうしているから、大丈夫だと」
 静かにこちらを見返して、彼は意識を失った。起きた一護は『一護』で、意識を失くす前の事は忘れていた。そう言って、彼女は俺を見た。俺自身に、その名残を捜すように。
 俺は、首を振った。
「俺には、ソレが何かは解らねえ。けど、俺の中にその記憶は無い」
「――それ、では……『あれ』は、『お前』じゃない?」
「『俺』が初めて逢ったのは、今のルキアだ。お前に呼ばれて、応えたものが『俺』になった。そうだな……もしかすると、ソレが生まれたのは母親の事故ってのが原因かもな。現実から逃げたがってた『一護』の代わりに出てきたんだ。それが、一度眠って、何かの拍子に目を覚ました。閉じ籠められてる事に気付いて、出たいと思った。出る方法なんて解らねえから、壊そうとしたんだよ。そうして、ルキアに呼ばれたんだ」
 もう一度、繰り返す。
「ルキアに応えて、『俺』が生まれた。それとも、『俺』として生まれ直したのか。確かなのは、ルキアが『俺』を作ったって事だ」
「意味が…――」
「闇の中で光を照らせば、闇は消えて影が出来る。混沌の中に光が出来れば、同時に闇も分かたれる。そういう意味だ。原因でも、影響でもいい。とにかく、きっかけになったのはルキアだ。」
 話すうちに、確信が生まれる。
「結局、『黒崎一護』は壊れなかった。壊れる前に、ルキアが『中に居た奴』を外に出して、変わりに『一護』が中に入ったからだ。『一護』だって、感謝してると思うぜ? 自分が壊れて、周りも全部壊しちまうよりは、自分が消えた方が良いからな」
「では……一護、は?」
「呑み込まれたか、消えたのか、どっかで眠ってるだけなのは判らねえ。けど、はっきりしてんのは、今は『俺』が、黒崎一護だって事だ」
 『俺』は、俺の世界の王じゃなかった。闇か混沌から生まれたモノ。レークスじゃなく、ラルウァ。本来なら、何一つ手に入れられる存在じゃない。だけど、
「――ありがとな。ルキア」
 今は、違う。
 茫然とする彼女の傍らに膝をつき、頬に片手を添えた。
 自分自身が宙に浮いているような頼りなさよりは、どれだけ悪くとも現実に足が付いている方が良い。そして少なくとも、現実は俺にとっては悪くなかった。
「ルキアが居たから、俺が居る。存在する前に一護の中で消える事も、一護もろとも壊れる事も無かった」
 微かに震える唇に、キスを落とした。
「俺は、お前のものだ。そして、お前は俺のものだ。他の奴には渡さねえ」
「ラーヴァ……」
「一護だ。俺は」
「違う! お前は……一護は……!」
 振り解かれた自分の手と、何かを否定したいような彼女の瞳を見比べる。立ち上がって、俺は静かに窓へ歩み寄った。
「――……いいのか?」
 窓を押し開け、ガラスに凭れる。高層とは言えなくとも結構な階数の此処は、転落防止の為か、窓は少ししか開かない。よっぽどの子供か、小動物でもなければ飛び降りるのはまず無理だ。それでも、俺の行動に、彼女は僅かに顔色を変える。
「別に飛び降りるんじゃなくても、首を吊っても、動脈切っても良いんだぜ? 何かの薬でも、其処に積んでる雑誌に火を点けたって良いかもな。外行きゃ、車も電車も走ってる」
「ラーヴァ。何を……」
「俺の意思一つで、黒崎一護は本当にこの世から居なくなる。中身が別でも、身体は同じだからな」
 ガラスを、拳で軽く叩いてみせる。
「いい加減に解れよ、ルキア。俺はお前の声に応える為に生まれたんだ。だから俺は、お前のものだ。お前に必要とされないなら、俺は存在する意味が無い」
「違う! 私は、そんなつもりで呼んだのでは無い! ただ、知りたかったのだ。あんなに静かな目をしていたのに、何故そんなに苦しんでいるのか。何故、一護を苦しめるのか。私は……っ」
「知ってる。だから、コレは俺の意思だ。ルキア。お前、いつも言ってただろ? 自分の意思を持て、って。俺の望みは、ルキアが俺の傍に居る事だ」
 正体は分かった。目的は知っている。だから迷う事も、躊躇う事も無い。
「ルキアが居ないなら、こんな世界は必要無い」
 いや、何も聞かなくとも、俺にとっての選択肢は変わらなかった。
「どうする?」
 只、確信に変わっただけだ。
「決めるのはルキアだ」
 硬直したまま立ち尽くす彼女に、言い募る。
「理由はどうあれ、自分が『一護』を表から消したって自覚は有るんだろ? なのに、どういうつもりで俺と一緒に居たんだ? 何かの道楽? 罪滅ぼしのつもりだった?」
 手を伸ばした。
「逃げるなよ、ルキア。『俺』が厭なら拒否すれば良かった。最初から、病院にでも放り込めば良かったんだ。関わらなきゃ、『俺』はこうなってなかったと思うぜ?」
 それが罪悪感でも良い。ルキアを縛る鎖になるなら、何だって利用する。
「ずっと傍に居るって言ったよな。アレが俺を宥める為の嘘でも、居なくなるなって言った俺の言葉は本当だって、解ってるか?」
 置いて行かれるくらいなら、失うくらいなら。
「ルキア」
「……ラーヴァ……ッ」
 掠れた声が、『俺』を呼んだ。
「私は――最初は、直ぐに元に戻るのだろうと思った。一護は、誰にも何も知らせたがらなかった。だから、少しの間ならば私が世話をすればいいと思ったのだ。けれど、『一護』に戻る気配は無くて。そのうち、お前と居ると落ち付けるようになって。……私には、居場所が無かったから」
 ふと、彼女は泣いているのだ、と思った。涙は流していなくとも。
「私が、傍に居て欲しかったのだ。いつも、来る度に不安だった。お前が居なくなっているのではないかと思って。このままではいけないと解っていても、ずっとこのままがいいと。私は、」
 窓を離れて、彼女の傍に立った。
「私は、嬉しかった」
 掌で、艶やかな黒髪を撫でる。
「私を必要としてくれて、嬉しかったのだ」
「ルキア」
「――…もう、判らぬ。私は、どうすればいいのか……」
「選べばいい。『俺』を」
 そうすれば、俺は何だってする。
「ルキア……」
 囁く声に、無言が返る。只、細い腕が俺の身体に回った。
 ふと、いつもの感覚が蘇る。俺が抱き締めている筈なのに、彼女に抱き締められているような。彼女に、護られているような。
「ルキア――……」
 好きだ、とか、愛してる、とか。そんな言葉では足りない。
「俺は、お前を離さねえ」
「……っ」
 何かを迷っているのなら、迷う暇を与えなければいい。他の事を、考える暇など与えずに。幸せだと、錯覚でもいいから感じさせて。
 ――俺から、離れられないようにしてやる。
 優し過ぎる彼女を腕の中に閉じ込めて、決して逃げないように抱き締めた。













何と言うか…切実に文才が欲しいです(…)
もう少しすっきりと纏まらないものか…。


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