優しい時間に幸せを感じて− III


 早朝の太陽が、南向きの窓から射し込んでいる。
 俺の住んでいる最上階の、一つ下のフロア。拝借したマスターキーで開けた部屋は、上と似たような大きさだった。一見した違いは、デスクとかイスとか、何処かの会社の備品のような物が埃避けのシートを被せて並んでいる事。ビルの構造からして、以前はレンタルオフィスだったのか。使わなくなった備品が、取り敢えず空いた所に入れられているという印象だった。
 その辺りのシートの下を覗き込んで回り、見付けたのは奥のデスクの下に綺麗に並べて置かれた段ボール。手近に在った箱の蓋を開け、目に入ったスポーツバッグを探る。余り期待していた訳では無かったが、底の方から見付けた定期入れを開いて、俺は思わず笑った。
「……ビンゴ」
 黒崎一護。
 期限の切れた定期券。其処に印字された名前は、この身体の持ち主のもの。
「二十歳。通学定期って事は、大学生か」
 つまり、留年か浪人でもしてない限り、ルキアも大学生という事になる。短大か専門ならまた別だが、自分でビル持ってるようなお嬢だからそれは無さそうだ。――という、予想。要するに、俺はそういう事すら知ろうともしなかった。良くも知らずに平気でいられたものだと、我ながら驚く。
「流石に財布は無ぇか……」
 鍵が掛かってるとはいえ、ルキアだって、他人の身分証や現金をこんな場所に放置する真似はしないだろう。定期券が残ってたのは、持ち主の方が使う必要が無くなって仕舞い込んでたせいだ。そして、ルキアがこんな場所に荷物を置いてたのは、俺に『一護』の物を使わせないように、だろうか。俺とアイツのどちらに気を遣ってたのか。多分、本人にも判らないだろうけど。
 一通り段ボールをかき回し、もう一度定期入れを見直した所で、もう一つカード状の物の存在に気が付いた。
「――……ああ、成程。流石に似てるな」
 カード式の学生証。写真に写ってる人間は、当然ながら俺にそっくりだった。尤も、俺の方が髪は長いし、全体の色素は抜けている。
「ってか、本気で髪の毛オレンジなのか」
 完全に脱色した髪色の俺が言う科白ではないが、ふざけた色だ、と思ってしまう。
「染めりゃいけるか? まあ、自然にこうなったって言っても嘘じゃねぇけど」
 だが、後天性のそういう病気や症状が有っただろうか。言い訳に困りそうだが、いざとなったら医者に判断を押し付ければいいか。と、かなりどうでも良い事を考えながら、大学と所属を確認する。
「オイオイ……医学部かよ」
 それがどうこうという以前に、考えに無かった。意外だ、というのが正直な感想。自分で言うのも何だが、喧嘩を吹っ掛けられ易そうな外見をしている自覚がある。頭の中身には無関係だが、人間は一般的に外見に左右されるものだ。
 見直すと、三ヶ月の定期の期限が七月初め。俺がルキアに逢ったのが六月。少なくとも前期の途中から休学してる計算になる。大学によっては後期が始まっているかもしれない。というか、もしかしてルキアも休学中なのか。半分は夏休みに被っているとはいえ、夜は完全に此処に入り浸りだった。ついでに言えば、余り眠らせてない。
 それ以上目ぼしい物が見付かりそうになかったので、定期入れだけ抜き取って蓋を閉める。他の段ボールには衣類。食器。丁寧に納められた中身を何となく確認していると、ふとある物が目に留まった。
 黒いマグカップ。持ち上げて、違和感に気付いた。プラスチック製だ。
「割らねぇように、か」
 それとも、割って怪我をしないように、だろうか。
 だが、地味な色合いの、デザイン性のあるプラスチック製の食器類。敢えて揃えてあるそれらに、違和感が募った。客が訪れる筈の無い隠れ家で、食器のデザインに気を遣う必要があるだろうか。本気で何かを壊さないように、とだけ思うなら、紙製の使い捨てでも問題は無い。なのに、荒んだ生活を思わせないよう気遣うような。
「ルキアの為か?」
 あの部屋を訪れる唯一の人間。多分、本当の事を告げたアイツに、居場所を与えてくれた人間。唐突に訪れる彼女を、少しでも心配させないように。
 それに――と、思い出す。目に付かないよう、隠すようにしてシンク下の奥に押し込まれていた陶製のマグカップ。ルキアと揃いのデザインの、色違い。そういえば、誰が買って来たのかは聞いてない。自然と、住んでいた男の方だと思っていたが、もしかしたら彼女の方だったのか。
 いつの間にか使わなくなった。と、彼女は言った。詰まり、それ以前は使っていたという事。そのカップを使わなくなった。使わず、捨てもせずに、只、シンクの下に隠すようにした。
 多分、それを自分が見付けないように。壊さないように。
 苦笑ともつかないものが、自然と零れた。
「ソレが、テメエの優しさか? それとも――好きだったのか? ルキアの事が」
 多分、本当の事は誰も知らない。俺にも、関係無い。
「――悪いな、『一護』」
 お前のものは、『俺』が貰う。
 アイツの名残を元に戻して、段ボールの蓋を閉めた。

    ※

 青空が、目に痛い。
 随分久し振りに見た色に、酔ってしまいそうな気がした。
 ――……何処だ? 此処。
 似た光景は知っている。ついさっきまで、自分が居た場所にそっくりだ。只、鮮明過ぎて違和感がある。青も白も、こんなに攻撃的な色だっただろうか。
 それとも、可笑しいのは俺の方なのか。
 解らなくなって、片手で瞼を押さえた。そうして目を開けても、何も変わらない。
 いや、一つだけ。
 ――何、だ?
 ビルに嵌め込まれたガラスに、映っているモノがある。背筋を這い上がるような戦慄を覚えて、咄嗟に動く。――と、ソレも動いた。否。
 鮮やかな光の下。ビルの内と外の明暗で、ガラスの表面が鏡のようになっているのだと漸く気付く。
 ――映ってるのは、俺だ。
 以前の場所では、まるで気が付かなかった。何故なのか、改めて考えると、まるで解らない。
 奇妙な感覚を抱えながら、殆ど無意識に其処へ近付く。映る姿が徐々に大きくなって、やがてはっきりと見えた。
 少し立った髪。余り良いとは言えない目付きと、完全に無意識に出来ている眉間の皺。
 ――あれ?
 僅かな、違和感。
 ――これが、『俺』だった?
 奇妙に不安定な感覚の端を掴もうと、じっとその姿を眺めて――唐突に気付いた。
「…………っ!」
 咄嗟に、力任せに斬り付ける。呆気無くガラスは割れて、周囲の壁ごと吹き飛んだ。
 だが、視覚から消えても、脳裏に焼き付いた姿は消えない。
「あれは……俺は……『俺』は……」
 混乱する。
 ガラスに映っていた自分。間違いようも無い、オレンジ色の髪。ブラウンの目。
「俺、は――……っ!」

 ――何故、こんな場所に居る――……?













という訳で、一護登場。…イヤ、一話目から居た事は居たんですが。
…今更ですが、余り御題の題名と内容が合って無いですスミマセン(…)


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