終わりを望みながら、続くことを願っていたあの日は終わる− V


 沈んでいく。
 暗闇。包み込んで、覆い隠すような。全てを溶かし込んだような。何処か懐かしい居心地の良さ。
 だけど――光が、無い。
 夜に絡め取られて、堕ち込んで行くような。果て無く浮かんで行くような。ふわりとした感覚の中で、声が聞こえた。
 願うように。誘うように。信じるように。呼ぶように。
「消えるな……」
 知り過ぎる程、知ってる声。酷く曖昧になった五感か、それ以外の感覚で聞き取った言葉に、勝手だなと、少し笑う。
 けど、光の欠片が見えた気がして。闇の中に在るそれに安心した。
 酷く安心して……――最後に、『俺』の周りで、全てが融けて行くのを感じた。

    ※

 冬。検査入院だとか何だかで、結局後期も棒に振る形になった俺は、当然ながら既に留年が決まっていた。それ以前に、前期の途中で無断で消えたから当然だ。
 完全に色が抜けていた髪は、鮮やかなオレンジになった。目は元々のブラウンから少し薄くなっている。肌の色は……まあ、日焼けもしたし、普通になった。原因は色々と候補は出たものの、確定せずに結局『不明』。人間社会には便利な言葉が有る。ついでに、ストレスが原因の軽度の記憶障害だとか何とか言われたが、後遺症も無いし、日常生活にも問題無いと言い渡されて無罪放免になった。別に罪を犯していた訳じゃないが、あれだけ色々調べられれば、そうも言いたくなる。
 そうして退院し、家族や友人から乱暴な歓迎と説教を喰らい、大学の手続きを終わらせて――と忙しない日を過ごし、漸く一息吐くと、春までぽっかりと暇な時間が出来ていた。詰まり、俺が外に出て何処に行っても問題の無い日が。
「……つーか、幾ら何でも外出禁止は無いだろ」
 餓鬼か、俺は。ちなみにめでたく外出許可は下りたが、門限は夜七時。家の連中によっぽど信用が無いのか、もしくはまた居なくなるんじゃないかと心配なのか。多分、あの家族の場合は後者だろうが。
「ま、良い事……なんだろうな」
 当然だとか、逆に鬱陶しいではなく、そう思えるようになっていた。
 ルキアがどうしているかは、余り教えて貰えなかった。家の連中は何度も会ったらしいが、俺は一度も会っていない。けど、知りたい事は最低限調べた。ルキアが前期終わりから休学していた事。独り暮らししていたマンションから実家に戻った事。実家の場所。
 それ以外にも、知った事がある。少し複雑な家族関係。家族というより、その一族の人間と折り合いが良くなかった事。
 だから、知人とはいえ行く当ての無い人間を拾ってみたりする酔狂をしたんだろうか。
 結局俺は自分の事で精一杯で、必ずしもルキアの事を良く知っていた訳じゃ無かった。それを、落ち付いてから漸く悟った。そして気付いた時には、俺にルキアと逢って言葉を交わす機会は残されていなかった。
 逢って礼を言いたいとか、謝りたいとかいう申し出は丁重に断られた。確かに、家出した挙句に記憶障害で数か月も人様の世話になっていたという俺も、訳有りだからといって医者にも見せずにいたルキアも、客観的に見ればかなり問題がある。結局はどっちもどっちなので、双方で話し合い、特に問題にしない事には決めたらしい。多分、これ以上ややこしい事にはしたくないというのが本音だろう。主に先方の。
 ちなみに話し合いから当事者二人は除外されている。だから当然、本気で『あの日』以来、俺はルキアと逢っていない。
 だけど、
「……大人しく、引き下がってられるかよ」
 向こうの家の都合など知らない。ルキアが厭だと言うなら考えなくも無いが、それだって此方の話を聞いてからにして欲しい。そもそも、俺は諦める気が無い。
 だから、こうして今、待っている。
 駅の出口。広場と呼べなくも無い場所で、其処此処に居るのは待ち合わせの人間。やってきて、待って、合流するのがひっきりなしに繰り返される。やや離れた場所で、俺も出口から吐き出される人の流れを注視していた。
 周囲の人間と違うのは、俺が待ってるのを相手は全く知らない事。
 昼を過ぎた時点で、太陽の明るさが夕方を思わせる気がする今の時期。五時を回ると、嫌がらせの様に一気に暗くなる。その寸前の薄明かり。それを透かして、俺の視界に一人の人間が浮かび上がった。
 颯爽と、だけど周囲を拒絶するような空気を纏って現れる。何処かに視線を泳がす事も無く、一直線に目的地の方向へ向かう様子に、他人が付け入る隙は無い。小柄で凛とした、知らずに目を引く美人なのに、男どもが見送るだけなのは多分その所為。
 そいつらを置いて、俺は迷わず彼女の元へ向かった。
 本当に、数万の人混みの中でも見付け出せるかもしれない。それくらい、他と違っている気がした。
「……ルキア」
 追い付いて、背後から掛けた声に、早足の歩みが急停止する。勢い良く振り向いて、振り向いた瞬間、視線が俺の顔を捉えた。そう、身長差の所為で彼女よりもずっと上の位置にある俺の顔を、正確に。驚愕を隠せない彼女を見ながら、俺はそんな事を発見していた。
「――…く、黒崎一護……ッ!?」
「どうして其処でフルネームなんだ。つーか、大丈夫か? 幽霊目撃したような顔してんだけど」
「い、いや別に……っていうか、貴様何で此処に……」
「そりゃ、逢いに来たに決まってんだろ」
「誰にだ? って、人を指差すな無礼者!」
「というか、そもそも他に誰か居んのか?」
「単なる反射的な質問だ。――で、何の用だ? あの事ならば、双方共に痛み分けの両成敗で決着がついている筈だが」
「……何の果たし合いなんだ、ソレ」
「わざわざ揚げ足を取るな! だから詰まり、今更話す事など無いだろう。既に謝罪も礼も受けておるし、これ以上関わっても余計な詮索を受けるだけだ。悪いが、急用が有るのでこれで失礼する」
「あ、ルキ…――」
 完全な言い訳を都合にして逃げた彼女は、素早く雑踏に紛れて行く。
「だから、話聞けってのに……」
 けどまあ、仕方が無いか。と、俺も何となくその後を追う。別に、歩みを速めたりはしない。その必要も無く、彼女の行き先は分かってる気がした。

 遮蔽物の少ない其処。雪が殆ど降らない代わりに乾燥した冬の風が吹く屋上。
「――…風邪ひくぞ?」
「……っ!?」
 ビルの屋上。驚いて、面白いくらいに狼狽えた彼女の眼に映っているのは、
「ま、また貴様か、黒崎一護ッ!」
「イヤ、だから何でフルネーム……」
「黙れ! というか貴様、何故此処に居るのだ!?」
 何故って、
「入って来たから」
「入るな莫迦者! 此処は個人所有のビルだ。不法侵入ではないか……って、待て貴様。何処から入った」
「下の通用口から」
「オートロックだぞ!?」
「だからソレ開けて」
「何故開くのだ! 貴様、暗証番号知らぬだろう!」
「……そうだっけ?」
「そうだ! とっくに暗証番号変更しておるわ! そもそも、何をしに来たのだ!?」
「ルキアに逢いに」
「ならばさっき逢ったであろう。まだ何かあるのか?」
「だって、こっちの話全然聞いて無いだろ」
「私には話す事など無い」
「俺に有るから来たんだけど」
「貴様の都合など知らぬ!」
 問答無用。というか、どうも聞く耳を持つ気が無いらしい。
「私は帰るぞ。貴様もさっさと――…」
 だから、
「――ルークス」
 足早に非常口に向かう彼女とすれ違う瞬間、敢えて呼んだ。
 コンクリートを叩く足音が消える。転じた視線の先で、彼女が表情を強張らせて立っていた。
「何故、貴様がそれを……」
「当然、知ってるに決まってるだろ」
「いつ――いや、誰から聞いた!?」
 先程まで、努めて無関心を貫いていた俺を見る視線。それが、今は薄茶の瞳に何かを捜している。多分、特定の誰かを。
「答えろ、一護!」
「……なあ…聞いた訳でも、教えて貰った訳でも無い。とは、思わねえの?」
「何を――」
「ルークス。そう呼んでたのは、『俺』だけだろ?」
 気付いて、揺れた双眸。本来よりも暗く見える瞳は、紫紺色。
「通用口の暗証番号が変わったのは六月半ば。それからは変わって無い。だって、『俺』が知ってんだから」
「お前…いや……だが、まさか…――」
「一つ、問題」
 遮って、問う。
「ルークスは、ラテン語で『光』。じゃあ、bad soul, demon, horrible mask, そういう意味を持ったラテン語で、ついでにソレを英語読みすると何て言う?」
 そう、『俺』は、
「……――ラーヴァ」
「正解」
 一歩だけ、それでも漸く、彼女が此方に踏み出した。
「何故……私は、お前が消えたのだと……」
「『俺』も最初はそう思った。けど、消えなかった。それで、少し代わって貰った。『アイツ』に」
「……『一護』に?」
 首肯する。
「どうして」
「逢いたかったから」
 今度は俺から、一歩近付く。
「――ルキアに、逢いに来た」













……続きます(またか)
そして、今度こそ次で本当にラストです。



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