中天を僅かに過ぎた太陽が地上を見下ろす。
白い壁と濃い影。空には一片の曇りも無い。陽射しは迷い無く、道の石畳へと吸い込まれていく。
響くような静寂が、真昼の街を包んでいた。
容赦無い夏の昼に、動く影はこの街中に無い。陽射しの緩む時間まで、午睡のまどろみは家々の中で続く。
鳥さえも何処かに隠れた街は、真夜中以上の静けさと白い闇に包まれる。
緩く伸びる道。両側の家並は白く、穿たれたように小さな窓と、素っ気無い扉だけが道に面していた。
空の青。壁の白。影の黒。それは、率直なまでに明確な色の境界。灰色の石畳は、どこか光に溶けている。
じわりじわりと停滞する時。止まるでもなく、進むのにも気が進まない。そんな時間が、不意に流動を始めた。
眩しげに目を眇めて、早足の寸前で歩みを進める。
景色の中で、異物のように目立つそれは、人。普段は意識するに値しないような足音が奇妙に耳を打つ時間に、彼の存在は周囲の全てから乖離する。
僅かな風が動かすものを除けば、彼は唯一の動くモノ。
沈黙する街。居心地の悪さに追い立てられるように路地を行き、そうして彼は扉を押した。
暗転する視界。外から内へ、明暗のコントラストが、軽い眩暈を引き起こす。
「ただいま」
半ば独り言のように呟いて、背後の景色と光源とを厚い扉で遮断する。ひんやりとした空気が肌を撫で、瞼の奥で痛いほどの光を受けた目が癒されていく。
朧な影が落ちるのは後ろ。ほの暗い部屋に射す光源は前。漆喰で固めた白い家の開口部は、大部分が中庭に面している。彼は、迷わずそちらへ足を向けた。
家の中心は中庭。広く空間をとったその場所には、外へ向ける素っ気無さが嘘のように個性が溢れる。滑らかな敷石に区切られて、溢れる色彩。濃い緑と、鮮やかな花色。
そして、日影の中で藤の寝椅子から流れる金の髪。
「……お帰り、修兵」
「起きてたんですか」
「半分ね」
そう、薄く眠気が掛かった瞳が彼を映し、身じろぎと共に元に戻る。
庭を見晴らす特等席。視界の前面で、大きな陶製の植木鉢から、赤い花が緑葉と共に零れ出す。何もかもが印象的で、ゆったりと満ちる静けさが搖蕩う場所。同じ屋外。それでも、外と内とでこれほど違う。
音を潜めて近付くと、修兵は静かに腰を下ろした。
「いい天気ですね」
「そうね……」
さして意味の無い遣り取りも、午後の空気に包まれて穏やかに広がる。吐息と共に、思考の半ばを緩やかな流れに乗せてみた。
錯覚。
今日は昨日の続きで、そうして明日も今日の続き。惰性のように、それが心地よい日々を、ふと認めてしまいたくなる。
それでも。
突然、時も世界も前触れ無く動き始める。何かの拍子に堰を切り、全てを押し流しては飲み込んでいく。何処かへ流れ着くまで…――。
予言ではなく、それは常識。ただ、人が忘れがちになっているというだけ。そうして彼は、それを忘却の手前から引き戻しておくべき事だと知っていた。
そう。だから、今は眠っていよう。彼女の傍で。
「乱菊さん」
「――……なぁに?」
「お休みなさい」
起きると分かって眠っていられる事と、この場所に居られる事は、きっとどちらも貴重なものだから。
睡魔に浸っていく声が、彼に答えた。
「………お休み」
甘い花の香りが、光の中で揺れている。
中庭の、切り取られた空の青。白い影に包まれて、二人は午睡の時に溶けていく。
イメージはスペイン南部(…だったらしい)