人間とポケットサイズの妖精


「ですから、後ろから気配を消して近付いて一撃で頭を――」
「あんた、世間一般の女子高生がそんな器用な真似出来るとでも思ってんの?」
「イヤ、でも、やって貰わないと困るっていうか……」
「あのねぇ、困ってんのはこっちよ。何だって睡眠時間削って悪霊退治な訳」
「まあ、虚ってのは割と夜に多く出るもんなんで…」
 どことなく歯切れの悪い相手から殊更視線を外し、乱菊は紅茶を口に含んだ。
 専門店に入荷したばかりだったウバ。今年のクオリティシーズンのものだけあって、香りは良いし、渋味も程良い。それにうっかり満足しそうになって、引っ掛かるものに気が付いた。
「ちょっと待って。……夜に多い?」
「そうですけど」
「って事は何? 昼間でも出る訳?」
「あー…時々だと思いますけど、一応そういう事に……」
「ふざけないでよ、何ソレ!?」
 六畳の洋間。ベッドに机に本棚、クローゼット。CDラックにミニコンポ…ごく一般的な高校生の私室に、部屋主の声が響いた。
「じゃあ、何? 授業中でも虚退治行かなきゃなんないの? 平和的に嫌な授業サボる為に、日頃から優等生のフリしてんのに……!」
「そうだったんですか…ってか、動機が不純のような……」
「やかましいわよ、手乗り死神! オークションで売り飛ばすわよ!?」
「や、あの、すみませ……」
 乱菊の剣幕に、彼は心持ち身体を引いた。普通の人間には姿が見えないのだから売りようが無いという事実は、指摘しても火に油を注ぐだけである。
「大体ねぇ、あんたが不甲斐無いからこういう事になるんでしょ? 対策くらい考えときなさいよ」
「だから、仕方無かったんですって。俺にも想定外だったんですから」
「仕方無い? あたしに責任の一端が有るからって、無断で魂魄死神化させた挙句に手伝わせる事が?」
 不機嫌さも顕わに彼女が睨む先に居るのは、英和辞典に座り、小さなクリーム入れをティーカップ代わりにする制服姿の若い男。ちなみに正体は、霊媒体質の女子高生に憑いた大量の霊を虚から守る為に力を放出し切ったせいでミニマイズした死神。よって、身長は当然ながら手乗りで手頃なポケットサイズ――全てでも一部抜粋でもいいが、これをシュールと言わずして何と言う。
 ついでに、死神の名前は檜佐木修兵。件の女子高生は松本乱菊である。
 ともあれ上記の理由により、修兵の力が戻るまでの期限付きで死神業を手伝わされる破目になった乱菊は、カップの中に盛大な溜息を落とした。
「………人生最大の不運だわ」
「最大って…乱菊さん、二十年も生きてないじゃな――……スミマセン。謝りますんで、そのポット下ろすのは勘弁して下さい」
 カップ一杯分だけ中身の減った熱いティーポットが頭上から落とす不吉な影。引き攣った顔で懇願する修兵に応えて、乱菊はひとまずカップに紅茶を注ぎ足した。
「――ともかく、問題は学校にもあんたを連れて行かなきゃならないって事よ。今日みたいに鞄に放り込んどくか、ブレザーのポケットとかでいいわよね?」
「まあ、鞄の中に危険物が無いなら」
「自力で回避して」
「いや、あの……」
「あ、でも待って。あの死神の着物の時ってどうすんの?」
 当然ながらポケットなどという代物の無い、黒い着物と袴を思い返し、二人は暫し沈黙する。
「うーん…小さい袋とかに入れて下げとくとか?」
「それで戦われると、俺の命が危ないんスけど…。――…あ、」
「何よ?」
「じゃあ、着物の懐……っていうか、どうせなら胸の谷間で。ホラ、乱菊さんのなら落ちる心配が無…――イヤ、ちょっ…軽いジョークですって! 机上版の広辞苑はヤバイですから……っ!」
「あーら、大辞林も有るわよ? それともイミダスがいい?」
「あの、本気でそれはちょっと……」
 笑みと青筋を浮かべつつ大型辞書に手を伸ばす乱菊と、必死で宥める修兵。嫌な緊張感の漂う空気に、突如、着信音が割り込んだ。
「え? あたしの携帯、音切って…――」
「あ、俺の伝令神機です…っていうか、バッグに入れたままなんですか!?」
「うるさいわね、気付いたんだからいいでしょ!? ほらコレ!」
「近過ぎて見えませんって……!」
 文字通りに付き付けられた携帯電話形端末の大きな画面を、修兵は両手で押し戻す。指令内容は――、
「虚です!」
「あー、もうっ! ゆっくりお茶する暇も無いわね!」
 カップに注いである紅茶だけ飲み干して、乱菊は勢い良く立ち上がる。
「とにかく、あんたは肩にでも乗っときなさい。もし変な事したら、石に縛り付けて東京湾に放り込むわよ!」
「何でそんなに具体的なんですか」
「返事!!」
「あ、いや、分かってます、しませんからっ! それより急いで下さい!」
「こんな機械作れるくせに、何でもっと余裕の有る指令の出し方出来ないのよ!?」
「それは俺も知りたいですよ!」
 慌ただしく死神化し、外へ飛び出す乱菊の肩に修兵は辛うじて掴まる。
「ぅわっ……あ、の…乱菊さん、今度から髪結びませんか? 此処居ると思いっ切りぶつかるんですけど」
「覚えてればね。――っていうか、それより場所何処?」
「指令読んでないんですか!?」
「いいから教える!」
 薄く曇った空。上弦の月は、中天までは今少し。
「…――ねえ、あんたが落ちたら置いてっていい?」
「それは拾って下さい。この大きさ、移動に不便なんスから」
「……捜すのも面倒臭そうね」

 何はともあれ取り敢えず、夜は始まったばかりである。





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