07:TEACHER OR STUDENT


 飲み干したグラスが、閉じた本の隣に並ぶ。
「――マスター、ご馳走様」
「あれ? 早いね。もう帰るの?」
「今日はちょっとね」
「寂しいなあ。最近、修兵さんも来ないしね」
「そうなの? この頃、会わないと思ってたけど」
 木製のカウンター。並ぶスツールに、他の人影は無い。
「……来ないとなると、全く音沙汰無いからなあ」
「そうねえ。生きてるといいけど」
 くすくすと笑って、鞄を開く。
 勘定を済ませ、財布と本を入れた所で、ふと目に付いた。
「あ、」
「どうしたの?」
「そう言えば、明日って七夕?」
「ああ…そうだね。今日は七月六日だから」
「ふーん」
 少しだけ考える。
「ねえ、マスター。メモ用紙って無い?」
「メモ用紙? 有るよ?」
「一枚貰っていい?」
「いいけど。ペンは使う?」
「あ、大丈夫。持ってるから」
 受け取って、何かの裏に走り書きした文字を写し取る。
 それから、二つ折りにしたメモ用紙を差し出した。
「コレ、もし明日、修兵が来たら渡しといて貰えない?」
「修兵さんに?」
「あたしからって事だけ言ってくれればいいから」
「いいけど。来るかなあ……」
 首を傾げるのに、笑って返す。
「来なかったらいいわよ。棄てといて。大した事じゃないし」
「じゃあ、来たらちゃんと渡しとくよ」
「ありがと」
「どういたしまして。――またどうぞ」
「ええ、ご馳走様」


    *

「あれ? いらっしゃい。久し振りだね」
「まあ、ちょっと、いろいろと」
 暫く振りの店内を軽く見渡し、いつもの場所に滑り込む。
「マスター。白ワイン、辛口で」
「はいはい。――あ、そうだ。修兵さん。乱菊さんから預かり物」
「え、俺に?」
「これ。今日来たら渡して欲しいって、昨日ね」
「へえ……」
 渡されたメモ用紙を開いて、そして、読んだ文面を虚を付かれたように眺めた。
「あー…そういや、今日って七夕?」
「え? そうだけど。昨日の乱菊さんと同じような事訊くんだね」
「や、ちょっと確認」
 小さく笑って、メモを見直す修兵の脳裏に、いつかの会話が去来した。


「――ねえ。七夕って、何の行事だっけ」
「短冊に願い事書いて下げとく日じゃないですか?」
「それだけ?」
「確か、昔は子供が習い事の上達を祈るとか、そんなんだった気がしますけど」
「けど、七夕って、伝説あるわよね?」
「織姫と彦星が出会うとかって、あれですか」
「そうそう。関係あるの? ソレ」
「織姫ってとこじゃないですか? 女の子の習い事って、昔は裁縫だったりするんで」
「じゃ、一年に一度会おうがどうしようが、別に関係無いじゃない」
「……極論っスね」
「だって、そう思わない?」
「まあ…でも、行事自体、いろんな伝説だの風習だのが混ざって出来てるもんだし。細かく考えたって仕方ないんじゃないですか?」
「曖昧ねぇ」
「つーか、時代によっても変わってるじゃないですか。今じゃ、店とか駅にも有りますよ? 七夕飾り」
「ああ…短冊置いてあって、自分の願い事書いて下さいとかってやつ?」
「あれ、七夕終わったらどうするんスかね。昔は、川とか海に流すもんだったらしいですけど」
「今やったら不法投棄ね」
 視点のずれた会話は、いつもの通り。
「……でも、織姫と彦星が会うって割には、恋人同士で過ごすとかっていうのは聞かないわよね」
 クリスマスなんかだと、一緒に過ごす…みたいな空気になってるのに。
「願い事をする云々じゃ、特定の販促活動に持って行けないからじゃないですか?」
「それで、街にムードが出ないから?」
「都会じゃ、現代日本の行事はそんなもんだと思いますけど」
 肩を竦めて、そして、ふと思い付いた。
「乱菊さんは、どうするんですか? 七夕」
「どういう意味よ」
「だって、基本的に、斜方向から行事を見てるじゃないですか」
「あんたもでしょ、それは」
「捻くれ者なんで」
「それっぽいわね」
「で、どうなんですか」
「さあ…気付いたら終わってるってパターンかしら」
「じゃあ、気付いたら考えるんですか?」
「気が向いたらね」


 ――そんな、情緒と全く縁の無い話。
「覚えてたんスねぇ、あんな事」
 ……つーか、どういう意味に解釈すりゃいいんスか。コレ。
 苦笑交じりに独り言を呟いて、視線を落とした白い紙。
 その上に、軽く走り書きした、それでも整った字が並ぶ。

『 今宵こむ 人にはあはじ 七夕の 久しきほどに 待ちもこそすれ 』





歌は『古今集』秋歌上 素性法師
七夕に逢ったら、次に逢うまで一年待つ事になってしまうので…という感じで。


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