12:KISS OR KILL


 言うなれば、それは余韻の残滓。他の全てを排した中で、互いの間に流れる静寂。
 漸く、空気が揺れた。
「――…あんたは、諦められるのね……?」
 呟く言葉は、落ちて転がる。
「あんたは、あたしに殺されるんなら、あたしを諦められるのね? それで、満足出来るのね?」
 声へと変えた思考が、酷く静かに、彼女の心を鎮めていく。
「最後は、あたし自身じゃなくて、あたしを好きな自分を選んでるの」
 継ぐ口元が、僅かに歪んだ。
「所詮は、自己満足じゃない」
 通用するのは、恋物語に陶酔している人間にだけ。
「どれだけ強くても、そんなものに意味が有るとでも思ってんの?」
 何もかもが、情けない程必死に足掻く世界の中で、甘く、儚く、綺麗な空虚。
「要らないわ」
 心の底から、這い上がる。
「そんな修兵は、要らないわ」
 応えるのは、ただ沈黙。全てはまるで、彼女の独白。
 そしてふと、不自然に口調が変わった。思い出したかのように。
「でも……あんたは、何処にも行かない筈なのよね」
 外した視線を、有るか無いかに見える刃へ移す。
「あたしの傍から、居なくなったりしないのよね……、…――誰かみたいに」
 どちらにとっても残酷な言葉。舌に乗せるのは至極楽しい。
 悲壮に浸かった自分を見るのは、寧ろ現実からは遠いもの。
「どうするの?」
 やっと、応えが返った。
「……――乱菊さん……」
 有るのは迷い。顕に響く覚束無さに、反射的に腹が立つ。
「修兵」
 声は、何処か強い。
「今、あたしがあんたを殺そうとしたら、どうするの?」
 僅かに、刀を動かした。
「あたしはね、後を追ったりしないのよ」
 無感動に放った声は、その静けさで、冷たく乾く。
「後を追ったりしたい程、自分が見えない訳じゃないの」
 だから、
「死ぬ時は、一人で勝手に逝ってくれる?」
「乱菊さん……」
「大丈夫よ? ちゃんと覚えててあげるから」
 奇妙に愉快で、笑みが浮かんだ。
「そうね……時々なら、泣いてあげてもいいわよ?」
 だって、
「あんたをきっと、忘れられないから」
 忘れられない男を想って、忘れられない自分を思って泣くんだわ。
「あたしの為よ。結局は」
 思考の奥で、ふと思う。可笑しいのは、何だろう。
 再び、そして今度はゆっくりと、応える声が耳に入った。
「想って、泣いて、それで俺は終わるんですね? 乱菊さんの中で」
「そうよ。それでもいいでしょ? あんたは勝手に死ぬんだから」
「殺されるから、死ぬんですよ」
「だって、あんたはあたしが好きじゃない。殺されてもいいってくらいに好きだから。要らないって言われたら、きっといつか死ぬんでしょ?」
 戦いの中で。他の誰も、自分の死には巻き込まない戦いで。
「あんたは、器用だから。そして、あんたが死んだら、それがあたしのせいになるのよ?」
「何故ですか?」
「あたしが、あんたが死ぬのを知ってるからよ」
 必然のような結果は、深く考えるまでも無い。
「分かってる? いつだって、そうなのよ。自分がそれだけ好きだって事、あんたはあたしに思い知らせてんのよ」
 何度確かめても、そうだった。
「――…だから、あたしのせいになるの。他の誰も、そんな事を考えなくてもね。あたしの中ではそうなるの」
 狡い。そして、卑怯だ。と思った。
「だから。どうせそうなるんなら、あたしが殺すわ」
 心から、笑みが浮かんだ。この上も無く簡単に。
「あんたはね、あたしのせいで死ぬんじゃなくて、あたしに殺されるから死ぬのよ」
 軽く、刃を翳した。修兵が僅かに動く。
「あんたが悪いのよ? あたしの心を、持って行こうとするから」
 見えない先で、視線が絡む。
「あたしはちゃんと、あんたの事を想ってるのに。勝手に想いを押し付けて、勝手に奪って逝こうとするから」
「俺はそれだけ、乱菊さんの事が好きですよ」
「知ってるわ。……そしてね。あたしもあんたが好きよ? 修兵」
「…――それでも、俺を追っては来てくれないんですね」
 響きの乏しい声は、殊更低くその場に流れる。
「――逝く訳無いでしょ?」
 答える言葉は、嘲るように、投げ出すように。
 ゆっくりと、修兵は、立てた片膝と突いた片手へ体重を移す。静かに、乱菊は後ろ手で障子を探った。

 鋭く滑った明かり障子が立てた音。
 一方は、開いた闇へと飛び出して、一方は、置かれた得物へ手を伸ばす――……。
 大きく揺れた、ほんの数拍。
 空ろになった暗い部屋へ、今更のように風が差す。





inserted by FC2 system