遠鳴りのように、芯から響いて夜を断つ。叩いて流れ、大地に滲みて、そして溢れて雫を受ける。
夜気を弾いて、震える唸り。木々にぶつかり、地面を掻いて、そして空では雲を押す。
春嵐。遠く近く、天地が響きを重ね合う。
広く張り出した軒の先。甍の先から流れ落ちる雨水と、轟々と降り注ぐ雨の粒。吹く風に飛んで、細かな飛沫のかかる縁側。
立って柱に背を預け、結局ずるずると座り込んだまま、焦点の合わない両目を闇へと投げる。
雨を含んだ横風に、薄く濡れた着物と體。
軽く煽っただけで酔ってはいない。それでも、思考を侵した薄霧と、自分の取った行動は、やはり酔ったせいなのだろうか。
思いつつ、可笑しいのは、それを自覚している冷静さが有るという事。
嵐に消される足音と、雨に烟った近付く気配。
修兵は、落とした視線を廊下の向こうへ引き上げた。
現れた人影。驚愕して立ち止まった姿。予め分かっていたにも関わらず、我知らず鼓動が強まって、その、常に余裕の無い自分を嘲笑う。
夜目にも、黒々とした塊にしか見えないであろう自分を、相手は戸惑いと共に見る。
彼は、ゆっくりと口を開いた。
「乱菊さん」
「……修兵……?」
返る声が含むのは、軽い驚きと微かな疑問。進み始めた歩みは、先程よりも僅かに遅い。
「何してんのよ、こんな時間に。……人の部屋の前で」
「夜這い。――駄目でした?」
「……何莫迦言ってんの」
漸く、呆れたような声音が戻った。
かたり、と音が立つ。障子に手を掛けて、そして空いた、迷ったような間。
「……修……――っ!?」
言い掛けて、強く引かれた腕に体勢が崩れる。
抱き止められた、と思った瞬間、背に板張りの床を感じた。置かれた状況、不明瞭な暗い視界に、乱菊は咄嗟に大きく足掻く。
「ちょ…っと、何なのよ……ッ」
「何なんですかね」
説明出来るものならして欲しい。
投げ遣りな言葉を吐いて、そして素早く唇を塞いだ。
吹き込む風と細かな水滴。冷えた體と、熱い肌。
吐息を漏らして唇を離し、いつしか抵抗を止めた乱菊の顔を、修兵はゆっくりと見下ろした。
闇の中の更なる陰影。浮かぶ表情は測れない。
只、感じる視線から目を逸らし、その首筋へと身を沈める。否、そう動いた途端、
「――っ……!」
押し返された肩。不意を打たれて、床に背が強くぶつかった。
一瞬で状況が入れ替わる。だが、闇のせいで、何もかもが判然としない。
「あのね、修兵」
顔に、飛んだ雨滴が降り懸かる。
「あんた、あたしに逢いたかったんでしょ?」
答えられずに、影を見詰めた。
「だったら、」
声は、真上から降ってくる。
「待ってるんじゃなくて、ちゃんと探しに来なさいよ」
挑むような言葉。
呑まれたように息を詰め、そうして、修兵は力を抜いた。
本当に、敵わない。
思った所で、彼女の唇が掠めるように落ちてきて、一層自嘲が濃くなった。
身体に掛かった重さが消えて、立ち上がる気配に身を起こす。
「心配しなくても、追い返したりはしないわよ」
促す声に導かれ、暗い部屋に踏み込んで、――そしていきなり引き倒される。
「……修兵が優勢なのって、何か腹が立つのよね……」
「人を押し倒しといてそれですか……」
「あのね。だから押し倒してんのよ」
言葉の端で、くすくすと、小さな笑いが重なった。
滔々とした大河に反し、上流は速く、激しいばかり。時折の嵐が、その一端を先の流れに引き入れる。
闇を濃くして揺れる枝。雫を落とすその影で、濁った水が河原を侵し、流れを増して駆け下る。
あしひきの 山下水の 木隠れて たぎつ心を せきぞかねつる
『古今集』恋歌一 よみ人しらず