13:HEART OR MIND


 遠鳴りのように、芯から響いて夜を断つ。叩いて流れ、大地に滲みて、そして溢れて雫を受ける。
 夜気を弾いて、震える唸り。木々にぶつかり、地面を掻いて、そして空では雲を押す。
 春嵐。遠く近く、天地が響きを重ね合う。

 広く張り出した軒の先。甍の先から流れ落ちる雨水と、轟々と降り注ぐ雨の粒。吹く風に飛んで、細かな飛沫のかかる縁側。
 立って柱に背を預け、結局ずるずると座り込んだまま、焦点の合わない両目を闇へと投げる。
 雨を含んだ横風に、薄く濡れた着物と體。
 軽く煽っただけで酔ってはいない。それでも、思考を侵した薄霧と、自分の取った行動は、やはり酔ったせいなのだろうか。
 思いつつ、可笑しいのは、それを自覚している冷静さが有るという事。
 嵐に消される足音と、雨に烟った近付く気配。
 修兵は、落とした視線を廊下の向こうへ引き上げた。
 現れた人影。驚愕して立ち止まった姿。予め分かっていたにも関わらず、我知らず鼓動が強まって、その、常に余裕の無い自分を嘲笑う。
 夜目にも、黒々とした塊にしか見えないであろう自分を、相手は戸惑いと共に見る。
 彼は、ゆっくりと口を開いた。
「乱菊さん」
「……修兵……?」
 返る声が含むのは、軽い驚きと微かな疑問。進み始めた歩みは、先程よりも僅かに遅い。
「何してんのよ、こんな時間に。……人の部屋の前で」
「夜這い。――駄目でした?」
「……何莫迦言ってんの」
 漸く、呆れたような声音が戻った。
 かたり、と音が立つ。障子に手を掛けて、そして空いた、迷ったような間。
「……修……――っ!?」
 言い掛けて、強く引かれた腕に体勢が崩れる。
 抱き止められた、と思った瞬間、背に板張りの床を感じた。置かれた状況、不明瞭な暗い視界に、乱菊は咄嗟に大きく足掻く。
「ちょ…っと、何なのよ……ッ」
「何なんですかね」
 説明出来るものならして欲しい。
 投げ遣りな言葉を吐いて、そして素早く唇を塞いだ。
 吹き込む風と細かな水滴。冷えた體と、熱い肌。
 吐息を漏らして唇を離し、いつしか抵抗を止めた乱菊の顔を、修兵はゆっくりと見下ろした。
 闇の中の更なる陰影。浮かぶ表情は測れない。
 只、感じる視線から目を逸らし、その首筋へと身を沈める。否、そう動いた途端、
「――っ……!」
 押し返された肩。不意を打たれて、床に背が強くぶつかった。
 一瞬で状況が入れ替わる。だが、闇のせいで、何もかもが判然としない。
「あのね、修兵」
 顔に、飛んだ雨滴が降り懸かる。
「あんた、あたしに逢いたかったんでしょ?」
 答えられずに、影を見詰めた。
「だったら、」
 声は、真上から降ってくる。
「待ってるんじゃなくて、ちゃんと探しに来なさいよ」
 挑むような言葉。
 呑まれたように息を詰め、そうして、修兵は力を抜いた。
 本当に、敵わない。
 思った所で、彼女の唇が掠めるように落ちてきて、一層自嘲が濃くなった。
 身体に掛かった重さが消えて、立ち上がる気配に身を起こす。
「心配しなくても、追い返したりはしないわよ」
 促す声に導かれ、暗い部屋に踏み込んで、――そしていきなり引き倒される。
「……修兵が優勢なのって、何か腹が立つのよね……」
「人を押し倒しといてそれですか……」
「あのね。だから押し倒してんのよ」
 言葉の端で、くすくすと、小さな笑いが重なった。

 滔々とした大河に反し、上流は速く、激しいばかり。時折の嵐が、その一端を先の流れに引き入れる。
 闇を濃くして揺れる枝。雫を落とすその影で、濁った水が河原を侵し、流れを増して駆け下る。

 あしひきの 山下水の 木隠れて たぎつ心を せきぞかねつる





『古今集』恋歌一 よみ人しらず

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