「ワインは白の辛口。チーズは硬質。煙草は…よく分かんないけど、火を点けるのはライターで。スーツはネクタイ無しで着崩すのが基本。腕にシルバーアクセ。黒髪短髪、顔にはタトゥーと三本傷。携帯…は見た事無いわね。名前は修兵。それから…――」
頬杖を突いて隣を眺めたまま、乱菊は暫し眉を顰める。
「――……ねえ、あんたの名字って何?」
「……は?」
質問以前に一連の流れが全く掴めず、修兵は当惑気味に乱菊を見返す。
「あのねぇ」
察しの悪い相手を不機嫌に睨み、彼女はカウンターテーブルから身を起こした。
「だから、名字は何かって訊いてんのよ。あんたの」
「ああ……つーか、言ってませんでしたっけ?」
「聞いて無いわね」
「でも、俺も乱菊さんの名字知らないんスけど」
「あたしのはいいのよ」
気にしないで。
「いや、何ですかそれは……」
「あ、マスター。今日のワイン、何処の?」
「チリだよ。これはちょっと渋い感じかな? ――それにしても、上手く話切ったね。乱菊さん」
「あら、気のせいよ。……ってか、修兵。あんた白ばっかで飽きないワケ?」
「産地も種類もいろいろじゃないですか」
「たまには赤も飲みなさいよ」
「気が向かないんで、遠慮します」
「相変わらずねぇ」
笑って、最早そうするのが当然のように、二つのワイングラスを軽く合わせた。
思い付いたように、カウンターの黄色の照明を赤いワインに透かして見る乱菊を、横目で眺め、修兵はゆっくりとグラスを傾ける。
そしてふと、傍らを見直した。
「……ワインは軽めの白から渋みの強い赤までいろいろと。チーズも気分で。合わせるのは、スライスして軽く焼いたフランスパン。但し、どちらかと言えばメインは付け合わせのドライフルーツ。服装は基本的にスーツにスカート。で、目立ったアクセサリーは特に無し――……」
「真似してんの?」
「案外、知ってるようで知らないもんだと思って」
「じゃあ、今列挙してたのは何なのよ?」
「見た目ってか、此処で見てて気付いた事。ですか」
「なら、それだけ知ってれば充分でしょ?」
さらりと言って、片手が宙を滑る。
「――…ちょっ、乱菊さん……?」
「何よ?」
「さも当然のように人のプレートから取らないで下さいよ、ドライフィグ」
「だって修兵、食べてないじゃない」
「ついさっき出て来たばっかじゃないですか」
「チーズじゃないんだからいいでしょ? ケチな事言わないでよ」
「そういう問題じゃ――…」
しかし、構わずドライフルーツを口に放り込んで、乱菊は修兵の言葉をすっぱり切った。
「マスター。あたしにもドライフルーツお願い。チーズ添えてね」
「はいはい」
いつも通りの注文に、いつものような笑みが応じる。
そうして向けた顔を横へと戻し、彼女はもう一度手を伸ばすと、今度は干し葡萄の房をつまみ上げた。
「…乱菊さん」
「大丈夫。後で返して上げるわよ。修兵が質問に答えたらね」
「何ですか?」
「だからさっき訊いたでしょ? あんたの名字」
「……あー…じゃあ、乱菊さんも教えて下さいよ。そしたら言います」
返され、数秒、乱菊は考えるように動きを止める。
「――……修兵から言って。じゃなきゃ教えない」
「嘘じゃないですよね?」
「煩いわね。ちゃんと言うから、とっとと教えなさいよ」
勢い良く睨む瞳に苦笑して、修兵はグラスを置いた。
「檜佐木です。檜佐木修兵」
「……変わった名字ねぇ」
「良く言われます。――乱菊さんは?」
「――…松本よ。松本乱菊」
そして一瞬、二人は視線を真っ直ぐ合わせた。
先に動いたのは、乱菊。さらりと首を傾けて、手にしたグラスを持ち上げた。
「って事で、宜しくね。檜佐木君?」
「こちらこそ。……松本さん」
小さく笑う声に、もう一度、硝子の触れ合う音が高く乗る。