15:BIG OR SMALL


「……え?」
 僅かに思い悩んだ風の言葉に、彼女はきょとんと乱菊を見上げた。
「進路って……乱菊、まだ決まってなかったっけ?」
「決めてたつもりだったのよ。大学行って、それから自分に合った仕事探すって」
「じゃ、それでいいじゃん。ちょっと前より、企業の新卒採用率も上がってるしさ」
「あっさり言わないでくれる?」
「だって事実だし。楽観的とは言えなくても、悲観的になる話じゃないと思うけど」
 良くも悪くも冷静が過ぎる友人は、そう言って洋書のペーパーバックに目を落とす。
 受験が迫って来るのを嫌でも自覚させられる高三の春。早くも焦りと辟易が入り混じった周囲から、何の嫌味だと向けられる白い目にも、彼女は一向に堪えた様子は無い。
「……そんな単純に思えないから悩んでんのよ」
 溜息混じりに視線を巡らせるのは、帰り支度や他愛ない会話、或いは自習にとそれぞれ忙しい教室の様子。
「あー、そうだ。忘れてた」
 鞄を引っ掻き回す音に振り向くと、
「頼まれてた分、コピーしといたから」
 差し出された紙の枚数に、眉を顰める。
「……あたし、歌詞カードをコピーしてって言わなかった?」
「CDに付いてるのじゃ読み難いと思って。あたしが持ってんの輸入版だから、対訳とか付いてないし」
 嫌なら、それ見て自分で書き出しなー。
「あとは、ネットでファンサイト巡れば歌詞くらい見付かるでしょ」
「っていうか、何であんたはこんなモン持ってんのよ」
「えー? 何となく」
 相変わらずの調子。苦笑して、乱菊は紙束を持つ手を振った。
「分かったわよ。取り敢えず、ありがと」

「何聴いてんですか? 乱菊さん」
「……コレよ」
 MDを聴きながら、手にした紙を翻す。
「ああ…何か聞いた事あるような気はしますけど」
 答えつつ、修兵は、縮小コピーされた紙の中で、歌詞の下に重なる五線譜と記号に眉を寄せる。
「――…っつーか、何でバンドスコアなんですか」
「そうなの? 友達に歌詞カードコピーしてって頼んだら、何故かくれたんだけど」
「はあ……男ですか?」
「女よ。演奏すんのには興味無さそうなのに…何で持ってんのかしらね。ホント」
 取り返した紙片には、理解できる音符の他に、良く分からない記号と数字が同居している。
「……ねえ、このGuitar IとIIって何?」
「いや、ギターですけど。どっちも」
 弾くコードとか、場合によってはギターの種類が違ったりするだけで。
「じゃ、この数字は? ってか、これ五線譜でしょ。何で音符じゃないのよ」
「数字は、ギターの何番目のフレットを押さえるのかって意味です。コード知らなくても弾けるんで、便利と言えば便利っスね」
「ふーん……」
 よく分からないなりに頷いて、ふと気付く。
「っていうか、何でそういう事知ってんのよ」
「いや、一応弾けるんで。ギター」
「………あんたって割と見たまんまなのね」
「どういう意味なんスか。それは」
「単に、こういう事やってそうってコトよ」
 やや憮然とする修兵を軽くいなすと、思い付いて、聴いている曲をリピートにする。
「……ねえ、修兵」
「はい」
 何気ない呼びかけに、返事が返る。なのに、出す言葉を掴み損ねた。
「………乱菊さん?」
「やっぱいいわ」
「何ですか、それ」
「いいの。気にしないで」
 誤魔化すと、紙を捲って、譜面になっているせいで格段に分かり難くなった歌詞を追う。

 ...In this head my thoughs are deep
 Sometimes I can’t even speak

 ホントにね。
 不安だとか、心配だとか。そんな簡単なコトじゃないもの。
 コンクリートに寄り掛かると、逸らした目に入るのは、傾いた日に、色が少しだけ落ちてきた空。
 視界の端を、煙草の煙が上がっていく。
「……Milky Wayって、天の川でいいのよね?」
「確か、そうでしたけど」
「見た事ある?」
「いや……見たかもしれないですけど、記憶に無いんで」
「こっから見えるのかしら?」
「さあ。……っつーか、夏じゃないんですか? 見えるのって」
「そうだっけ」
 ぼんやり返す。
 話に大した意味は無くて。ただ、手元の紙の中で、少し引っ掛かったフレーズだっただけ。
 なのに、
「確かめてみますか?」
「……何を?」
 咄嗟に意味が分からなくて、転じた視線が相手とぶつかる。
「見えるかどうか。天の川」
「何処で」
「此処でですけど」
「見えるの?」
「いや、それが分からないから確かめるんじゃないですか」
 それはそうなんだけど。――でも、
「見えると思う?」
「どうですかね。他の場所よりは見えそうな気はしますけど」
 動いた視線に、つられて見上げる。
「こっから見る空の方が、他より大きいですから」
「……そうなの?」
「そう思いませんか?」
「まあ、他よりはね」
 曖昧な確信。
「それで、夏?」
「今日でもいいですよ?」
「駄目」
 僅かな落胆が、少しだけ可笑しい。
「今日はね」
 自分を見詰める視線を置いて、もう一度、空を見上げた。
「夏になったら」
「本当ですか?」
「大丈夫よ」
 だから、
「あんたも、忘れないでよ?」
 はい、と答える声は、いつもの調子だけど何処か明快で、それが何故か嬉しかった。





何となく、Avril Lavigneの"My World"から…

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