山麓で、隊商の歩みが止まっていた。行く手を塞ぐ者達がいるからだ。いかにもという雰囲気の男達の集団――山賊である。囲まれているのは、仕入れた商品を積載した荷車と商人、それらを守る護衛。荷車にはそれぞれ旗が立てられている。色は絳(あか)、そこに飛ぶ鳥影は鵲(かささぎ)。
 護衛の中に、一人の若い女がいた。腰まで届く長い髪、整った顔立ち。腰に刀を帯びている。先頭を行く荷車の傍らを進み、山賊の出現に隊列の停止を指示したのも彼女だった。他の護衛達も慣れたもので、驚きはしたが、対処は落ち着いたもの。賊に待てと言われておとなしく従うのは、下手に逃げれば余計に危険だからである。そうしておいて、彼女は前に進み出た。
「我々は、絳河鏢局(こうかひょうきょく)の者。私は鏢頭(ひょうとう)で、護衛を取り纏めておりますが……」
「だからどうだってんだ?」
「絳河鏢局、ご存じでは?」
「知らねえな。そんな事はどうでもいい、おとなしく――」
 答えの冒頭だけ聞いて、軽く後ろに目を遣る。それに、隊商を守る護衛――鏢師(ひょうし)の一人、厳つい風体の青年が無言で応えた。山賊の中に見覚えのある者がいないのは、彼も同じ事らしい。更に彼は、面倒な…という風に眉を寄せる。目的地の河漢までは半日ばかり。同時にそこが絳河鏢局の本拠地だ。知らないという事は、山賊稼業を始めたばかりか、他の場所から移ってきたばかりの連中だろう。他の鏢局ならともかくも、彼らの場合、普通なら無用なごたごたを恐れて向こうから引いてくれるものなのだが。
「では、一つ伺いますが、蒲生(がもう)という名に覚えは?」
「いちいちうるせえ! 知らねェっつってんだろ!」
 殺気立って得物を構える賊に、彼女は溜息混じりに刀の柄に手をかけた。
「アイツを知らねーとは気の毒な奴」
 ぼそりと呟き、鏢師の男も曲刀を手に前に出る。他の者達も軽く緊張しつつ武器を構えた。同僚のぼやきに返答は避けたが、彼女も概ね同感である。「蒲生」…つまり、絳河鏢局の主を知らないとは、世間知らずというより命知らずだ。山賊稼業で食べる気なら、せめてその辺りの事情くらい調べておけばいいのに。
「全部併せて、三十…五ってトコか。隠れてるが、後ろにもいやがるな」
「できるだけ、そこを動かないで下さい。片付けますので」
 御者と商人に声を掛ける。どうあっても一戦交える必要があると分かり、慣れていない彼らは狼狽えたのだが仕方無い。山賊に襲われた場合、人間だけ逃げれば或いは逃げ切れるかもしれないが、それでは荷を奪われる。そもそも鏢局は、護衛業務だけではなく、荷や人の輸送全般を差配する。その中で護衛の役目を負う者が特に鏢師や鏢客と呼ばれ、そのリーダー格を鏢頭と呼ぶ。しかし、途中で荷に何かあれば、鏢局は依頼者に賠償をしなければならないのだ。そんな大損を進んでやるような物好きが鏢師の中にいる訳がない。
 しかも絳河鏢局の場合、万一荷を奪われる事態になれば、面目、評判以前に鏢師全員が生命の危険を感じるハメになる。山賊などより主の方が恐ろしいのは絳河の誰しも同じ事。要は、仕事が無事に終わるか殺られるかである。脅威の対象が鏢局の主という点で明らかに何かがおかしいが、ともかくそういう事は問題では無い。
「おい、野郎ども、かかれっ!!」
 そして号令一下、今しも戦いが始まろうとしたその刹那、傍らの山から飛び出した男の身体が山賊達の中に突っ込んだ。
「なっ……!」
 余りの不意打ちに、そのまま数人が薙ぎ倒される。双方呆気に取られる中、続いて飛び出した影が空いた地面にふわりと降りた。人間だ。見れば、山賊を薙ぎ倒したのは、気絶した、明らかに山賊と分かる男。他方、こちらは顔を面布で覆っている。間を置かず、背に負った刀を抜き放つ……と、左腕に抱えた包みを、曲刀を持った鏢師に投げた。
「悪い、持っててくれ」
「あ、オイ……ッ!?」
 そのまま、その男――声からして、どうやら若い男だ――は、山賊の群れに突っ込んで行く。と、後方でも声が上がった。どうやら、細かい事を考えている暇は無いらしい。
「東條、あんたは後ろの援護お願い! 容赦ナシでね!」
「お、おう! ――オマエら、これ見てろ!」
 そう、反射的に受け取っていた包みを御者に押し付ける。予想外の重さに抗議の声が上がるのを無視して、荷車を飛び越えるように跳躍した。鏢頭の彼女も、抜刀して敵に対峙する。
 そして――決着は早かった。数では遥かに劣るが、鏢師は実力で勝っている。特に、前方で戦う鏢頭と乱入してきた覆面の男は、その腕前が桁外れだった。一方は目にも止まらぬ速さで素早く腕や脚の腱を絶ち、殆んど一瞬で戦闘能力を奪う。また一方は、右手の刀で敵を斬り、内力を込めた左手で跳ね飛ばし、脚で蹴り上げる等という、刀術と体術、内功(ないこう)を掛け合わせた動き。瞬く間に、山賊達は路上に倒れ臥した。
「――…御助勢頂き、感謝します」
 一息吐いて納刀すると、彼女は、同じく刀を納めた男に向かって目礼する。
「いや。こっちも手助けして貰ったようなもんなんで……」
「え?」
「オイ、松本。こっちも片付いたぞ」
「あ、ご苦労さま。怪我人は?」
「ウチの鏢局に、そんなヤワな連中がいると思うか?」
「殺しても死にそうにない連中ならゴロゴロいるわね」
「悪ぃけど、さっき預けた包みは?」
「ああ……オイ」
 言いながら、鏢師――東條は不平を呟く御者から例の包みを受け取る。男に向かって差し出しながら、首を傾げた。
「しかしコイツは何だ? 嵩の割にやたらと重いが」
「まあ、ちょっとした収入で」
 曖昧に答えて、彼は道の真ん中で包みを解きにかかる。ちらりと、荷車ではためく鏢局の旗を眺め見た。
「所で、何処の鏢師ですか?」
「河漢(かかん)の絳河鏢局です。あたしは鏢頭の松本乱菊。……普段なら、山賊も草賊(おいはぎ)も旗見ただけで引いてくれるもんなんだけど」
「――松本…乱菊……?」
「ですけど、何か?」
「いや…何でも……。旗見て引くって事は、その筋にも相当有名なんスね」
「あたし達じゃなく、鏢局の主がね」
 答える乱菊の隣から、東條が口を挟んだ。
「オレは東條広忠(とうじょうひろただ)だ。アンタは?」
「只の侠客。名乗るほどの者でも無いっスよ。この覆面は、まあ、こいつらみてえなのにやたらと顔覚えられちゃ困るもんで」
「は? ――……ってオイ!?」
 広げた包みの中身に、東條は思わず声を上げる。乱菊も咄嗟に目を見開いた。布の上に乗るのは、油紙に包まれた銀子。正確には金貨と銀貨。それもかなりの金額だ。銀貨だけで、どう見積もっても五百両を軽く越えている。
「ちょ…っとあんた、ソレ……!」
「こいつらの山寨(ねじろ)から貰って来たんスよ。俺はこれが収入源なもんで」
「あんたまさか、盗賊?」
「そうとも言いますけどね。まあ、よく言うじゃないスか。不正に稼いだ金は持ち主のいない金。幾らか貰っても問題無いって」
「いや、言わないわよ」
「知り合いの講釈師はよく言ってますけど」
「それは小説(こうしゃく)でしょ!?」
 自然と声も高くなる。
「いいじゃないスか。誰の懐に迷惑かけてる訳でも無いし。第一、物ならともかく銀子なんて誰に返せばいいんですか」
 乱菊と言い合いながら、油紙に包んだ銀子を取り分ける。
「それに、こんだけの金を俺一人で使ったりしませんよ」
 言うと、彼はおもむろにそれらを乱菊に放った。咄嗟に両手で受けてしまい、乱菊は軽く狼狽する。しかし相手は、気にする様子も無く立ち上がった。
「手伝って貰った礼です。皆さんでどうぞ」
「ちょっ…コレ……」
「あと、山寨にある品物はそのままにしとくんで、後で役所に届けるなり何なりしといて下さい。――それじゃあ」
 包みを持ったまま器用に両手を組んで拱手すると、彼はそのまま山の中へと消えて行く。見る者が見なければ、一瞬で消えたかのような素早さだ。見送って、東條は調子外れの口笛を吹いた。
「軽功(けいこう)も随分なモンだ。ありゃ、普通の山賊じゃ相手にならねーなあ」
「……感心してる場合?」
「アイツが見たらウチにスカウトしそうだと思ってな。で、ソレ、幾らだ?」
「二百両はあるんじゃないの? 気前良過ぎよ」
「礼儀ってモンを心得てる証拠じゃねーか。……よし、今日は飲むぞ! 勿論、ここにいる全員でだ! 残りは山分けだからな!」
「ちょっと……っ」
 慌てる乱菊の声は、喜ぶ周囲の声に掻き消される。その手から、東條は銀子の包みを取り上げた。
「勝手に決めないでよ、責任者はあたしなんだから。第一――」
「性格が最悪でもケチじゃねーだろ、ウチの主は。それに全員ってコトは、ウチの鏢師以外のヤツらも入ってんだ。連中も、お零れにあずかれりゃ、山賊からかっぱらっただのって件も揃って口を噤むだろ。鏢局に都合の悪いウワサも流れねーよ」
 滔々と述べる。口を開き、一旦そのまま閉じてから、乱菊はしみじみと息を吐いた。
「――……悪知恵働くわね」
「世渡りに慣れてると言いやがれ。あの侠客のダンナも相当だがな」
「口止めその他も見越して銀子置いてったから?」
「銀子しか盗らねーってトコもな」
 広い肩を竦める。
「品物は嵩張る上に換金に手間取る。しかも足が付きやすい。銀器は潰して盗ってったかもしれねーが、それ以外は手付かずで残ってるだろうよ。駆け出しじゃこうはいかねーな」
「頭痛くなってきたわ。何だってウチの鏢師はこんなのばっかなワケ?」
「主人の人徳だろ」
 冗談だとしても笑えない台詞である。
「つーかな。何で一番の古株のオマエが、こーいうコトに一番疎いんだ」
「悪かったわね。あたしの仕事は鏢局の業務を無事にこなす事で、盗賊行為のイロハは専門外なのよ」
「左様で」
 応じる横から、出発の準備ができたと声が掛かる。東條は、乱菊の肩を軽く叩いて自分の配置に戻って行った。彼女もまた、気を取り直して隊列に出発の合図を送る。
 速やかに脇へと避けられた山賊達の身体を横目にし、絳い旗を翻して一団は進む。季節は、そろそろ初夏になろうかという頃であった。





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