州都騒乱 肆


 玉樹楼での騒ぎは、流石に看過できない規模だったようだ。酒楼の周辺には、怪訝そうに佇み、上を見上げる者達が次第に増える。高楼の屋根上という事もあり、仔細が分からない者達ばかりではあったが、何か奇妙な事が起こっているのは確かである。ごく普通の人間にとって……というより武林の関係者にとっても、ここまで衆目を集める場所での戦いなど滅多に有るものでは無い。増してや、それが大人数となれば尚更だ。
 そびえる楼の上では、先刻と変わらず、乱菊、修兵の二人が数で圧倒する敵を相手取っていた。瓦は一般的なそれと同様、断面が丸く半円を描き、それらを表と裏と交互に横に噛み合わせた形で葺いてある。要するに、足場が悪いどころの話では無い。
 だが、一旦コツを掴んだ後は、その動きが見違えた。加えて、ここでは敵方も下手に連携を取れない。それも手伝い、二人は確実に敵数を減らしていく。
 その様子は、近くよりも遠方。そして、上方からの方が見て取れる。街並の甍を伝い、素早い速さで接近した小さな影は、一旦それらを大きく見下ろす。次いで、西南楼の屋根上に、のんびりと座った有信の側へと舞い降りた。
「――…あれ、親父。何やってんだ。傍観か?」
 暢気な声は、一人の少年。「親父」と呼び掛けられた当人は、さして意外でもなさそうに目を上げる。
「見物さ。御前の方は片付いたのか? 有栄(ありなが)」
「追い出された。手が足りてるってさ。けど派手だな、乱の姉貴。一番目立ってたぞ、此処」
「それはそうだ。河漢一の酒楼だからな」
 無意味に感心した口調に、些かずれた返答。第三者がここにいれば、何かしらの反応があったに違いない。
「そんで、姉貴と一緒にいる奴誰だ?」
「幼馴染みらしい」
「聞いた事ねえぞ、それ」
「鏢主も知っているかどうかだろう」
「以外だなぁ」
「そうでもないさ。三徑は荒に就くも、松菊は猶存せり」
「……何だそれ」
「荒れかけた庭にも昔と同じように松と菊が残っている。隠棲の地にも昔の知り合いがいる」
 しかし、知的なのか雑学的なのかはさて置いて、滔々と弁じた父親の言に、息子の反応はあくまで乾いていた。
「悪ぃけど、孔子のおっさんの話は知らねえぞ」
「陶淵明だ。帰去来の辞」
「どうせなら李白がいいけどなあ。俺」
「御前の趣味まで知らんな」
「ところで、姉貴と関係あんのか? その何だかって話」
「あいつの姓名は松本乱菊。要するに松菊だろう」
「単なる偶然じゃねえの?」
「偶然にもできれば、必然にもできる」
「ふーん。……まあ、いいや。俺も行こ」
 必要性に甚だ欠けた問答の後、有栄は口調と同様、軽々と跳躍した。

 また一人を斬り倒し、そして一振りで、濡れた刃の血糊を払う。刀の真価は使い手の技量に拠るものだが、乱菊の愛刀はまた、名刀の域と言っていい。これだけの数、多少斬れ味に鈍りは出るが、ある程度なら刀身に込めた内力でもって補える。
 油断無く、だが落ち着いて次なる敵に視線を移した途端――目の前で、当の相手が横殴りに吹き飛んだ。
「……有栄!」
「よ、乱の姉貴。手伝いに来たぞ」
 現れたのは昌洞有栄(しょうどうありなが)。現在は、絳河鏢局の門番と言える少年だった。手にした天秤棒は、総鉄製で彼の身長よりも幾分長い。反応が早かったのは、そんな物を何の問題も無く扱える子供を、乱菊は他に知らないからだ。というか寧ろ、こんなのがあちこちに居て貰っては大変困る。
「あんた、どうせ来るならもっと早く来なさいよ」
「いいじゃんか。全然負けてねえし」
 話す端で、乱菊の刀が翻り、有栄の鉄棒が風を切る。左右から突進してきた敵が、それぞれ同時に片付いた。
「な? 大して強くねえだろ」
「数見なさいよ。それと場所」
「んじゃ、何でこんなとこいんだ?」
「成り行きよ」
 台詞に被る形で、不意に凄惨な音が辺りに響く。振り向くと、豪快な一撃で防具もろとも敵を叩き斬った男が、気軽な動作で片手を挙げた。
「どーだ、乱菊。善戦してるかー?」
「やっと来たわね、刃物マニア」
「人を変な人間みてーに言うんじゃねーよ」
「悪かったわ。ただの刀剣類好きだったわね、東條」
 双斧を手にした同僚に、乱菊はさらりと言い返す。
「オイ何だ。随分含みの有るセリフじゃねーか」
「大丈夫。気のせいよ」
 この男、見る度得物が変わっているが、今回の手斧は至極普通の武器だった。時折、一見しただけでは何とも言えない形状の物で、味方同士の間合いを取るのに苦労する。標準的な武器選択なのだから、その点だけは、何はともあれ有り難い。
「しっかし、オマエのとこは多いなー。鏢局の次に強力な布陣じゃねーか? 流石、ウチで鏢主に次ぐだけはあるな」
「誉めて貰って何だけど、少しも嬉しく無いわね」
「何でだ? 乱の姉貴も何かやったんじゃねえの?」
「鏢主とあっちの掌門の戦いに立ち会っただけよ。雪山派以外の連中なんか記憶に無いし。なのにどうして、あたしまでしつこく狙われる訳?」
「そりゃ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってヤツだろ」
「勘弁して欲しいわ。何だって身に覚えの無い事で命まで狙われなきゃならないのよ」
「まあ……そこはアレだな。鏢主に出会ったのが運命だと思って諦めとけ」
 身も蓋も、ついでに実も無い結論である。落ち込むのも馬鹿馬鹿しいので、乱菊は、会話の主旨を変える事にした。
「で? あんた達今まで何やってたの」
「何ってな。地味にコイツらのアジト潰して回ってたに決まってるだろーが。河漢の城内、城外のあちこちな」
「ひょっとして、日暮れ前から次々姿消えてたの、そのせいな訳?」
「ま、そーいうコトだな。で、オマエさんは囮だとさ」
「……まさか襲撃計画知らされてなかったのって、あたしだけ?」
「オマエは、知らねーでも何とか切り抜けられるだろ」
「どうせだったら、知ってる方が幾らかマシなんだけど」
「けどまあ、それで向こうにバレたんじゃ、意味がねーしな。オレ達が影で動いても、オマエか鏢主が分かり易い場所に居て、普通にしてりゃあ、一応連中は安心するだろ。鏢主は普段っからちょこちょこ消えるんで、だとすりゃ残りはオマエだ」
「どうも釈然としないわね。最近、何かに付けて監視されてたのは知ってたけど」
 言いながら、雑談を続ける二人の代わりに、敵を相手取る有栄を見送る。
「万全を期す為じゃねーか? 計画がバレたからってんで引き上げられたんじゃ、元も子もねーからな。一網打尽にするには、大物が十分狙える状況で、またと無い機会だと思わせんのが一番だろ」
 それに……と、東條はのんびりと乱菊を見遣った。
「中途半端に情報漏らして、ギリギリで襲撃時間早めさせたのは何でか分かるか?」
「真夜中に鏢局襲わせたら、どう取り繕ってもうちの評判に関わるからでしょ。時間早めて各所で騒ぎを起こせば、事をうやむやにし易いし」
「言わねーでもそれが分かるからこそ、オマエなんだろ」
「はいはい。ついでに、極秘に揉み消せる事はとことん極秘に。それが無理なら、現実感の無いくらい、とことん派手に。周囲を巻き込んで混乱させる。ね」
「でもって、目撃者はできるだけ多く、情報は錯綜しまくるのが丁度いいってな」
「時々、それを狙ってんじゃないかと思う時があるんだけど」
「ま、それは鏢主に聞くこった」
 そうして、両手に持った斧を構え直す。一瞬、東楼で戦う修兵に視線を滑らせた。
「アイツは誰だ?」
「いつだったかの侠客よ。鏢主が強引に手伝わせてんの」
「そりゃ面白いな。後で詳しい話聞かせろよ?」
「話す事なんか大して無いわね」
「そいつはどーだか」
 意味深に言うと、
「あー、ついでに、ザコはオレに任せとけ」
「それ以外は?」
「当然、オマエの担当に決まってんじゃねーか」
 露骨に嫌な顔をする乱菊に、彼はにやりと笑ってみせる。
「気を付けろよ。大半ザコだが、離れて戦い方を研究してるってえ、やけに陰険なのが混じってんぞ」
「知ってるわよ」
 短く答える。そのまま無言で戦いへと突入していく東條に背を向けて、乱菊は主楼の中央に立った。
 数秒、彼女の周囲から敵影が消える。
 そして今度は、他を圧する殺気が襲い掛かった―――。





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