州都騒乱 伍


 一瞬。迎え撃とうと刀を構えた乱菊は、思わず大きく跳び退る。払うではなく、刃が噛み合うように擦れた音。それで、攻守の側が定まった。
 敵の、速く、そして執拗なまでの攻め込み。刺突だけでも無数の型が有り、それらが複雑に組み合わさって、絡み付くような斬撃を作る。
 守勢を取ってしまった乱菊は、そのまま守りに徹する事を余儀なくされた。
 どれだけ多くの型が有ろうとも、その数にも、それらの組み合わせにも限りが有る。そして、技が複雑になればなるほど、咄嗟の事に融通が利かない。その瞬間の手の乱れは隙を生み、その一瞬が即ち勝機。
 だが、分かってはいても、息を吐かせぬ斬り込みと、空を裂いて迫る勢い。悉くを刀で受けながら、自然と圧され、足が退がる。
 繰り出す剣先の多彩な変化。惑わされぬよう、焦りを極力殺して、彼女は相手の剣を見極めた。
 利き手に剣を持ち、逆の手で剣指を作る。それ自体は基本だが、半端な剣技では無い。使い手の技量を含め、正真正銘、雪山派の剣だ。嘗ては九大門派に名を連ねた剣派。いくら名が落ちたとは言え、それは剣技が他より劣る事を意味しない。
 八大門派で、一撃必倒の刀剣術を至上とするのは嵩山派と泰山(たいざん)派。しかし、何手をかけようと、狙った相手を必ず倒すのが雪山派。そしてこれは、必倒では無く必殺の剣。殺気それ自体が、鋭利な切っ先と変じたかのように肉薄する。
 この敵に比べれば、先程までの相手など、まるで素人だ。
 長引かせれば、隙が見えるか。技には限りが有る。だが雪山派の剣は、その変化が千通りとも万通りとも言われる。敵が技を出し尽くすまで、果たして守り切れるだろうか。
 反撃の機会を掴めないまま、じりじりと端へと追い詰められる。
 乱菊の刀術には、剣術流派である嵩山派の影響が強い。軽功を使った、一瞬の近距離移動。そして急所への的確な一撃。しかしそれは、一撃必倒の故に、延々と続く応酬には向かない。
 刃の触れ合う音。その間隔が徐々に狭まり、一続きにも聞こえるまでになる。
 追い込まれる乱菊の足が端の瓦へ掛かり、そして前触れ無く、繰り出された剣が全く違う軌道を描いた。
「―――……っ!」
 狙いは、敵も同様だった。慣れた速度を不意に外され、乱菊の太刀筋が微かにぶれる、その一瞬。
 隙を捉え、相手方の、剣に籠った気が迸る。開けた彼女の瞳に映るのは、急所を狙う鋭い剣先。続く僅かな瞬間は、視界の中で、酷くゆっくりと移ろった。
 両手で握った刀の柄。微妙な位置で揺れる刀身。複雑な思考に迷うより、斬り返しへと本能が動く。
 気と気の競り合い。鈍く、鋭利に響く音。高く折れ飛び、光を鋭く照り返し、中空を閃きながら落下する。
 刃の途切れた剣を持ったまま、敵は大きく跳び退いた。
 驚愕の色を示した瞳は、ただ乱菊の姿を映す。
 彼女の動きは単純だった。しかし、爆発的に込めた内力。それを使った、迫る剣への斬り返し。その速さが想像を絶する。
 剣と刀。込めた気とがぶつかって、そして彼女の気が相手に勝った。
 斬り込む手段を失って、敵は素早く間合いを取る。それは、自らが追い込んだよりも距離は長い。
 しかし、続く攻撃を見据えて退いた敵。その背後へ、降り立つ影に乱菊は気付いた。
 重い音は落とした剣。黒の袖口から、落ちた暗器が瓦を跳ねる。
 最初に両手、返す一閃で両足の腱。
 起こった事を自覚するより遥かに早く、真正面から胸を刀が貫き通す。
 一連の攻防と比べ、それは余りにも緩慢な動き。身体から刃が抜かれ、漸く運命を悟った肉体は、屋根の斜面へと崩れ落ちる。
 同じ頃、主楼の北に置かれた園林(ていえん)。
 銀の両刃は、特性として、しなやかさを併せ持つ。斬り飛び、そして土に刺さった先端は、震えるような音を伝え、やがて微動を止めて静まり返った。
「――……危ないわよ、修兵」
「いや、放っといたら長引きそうだったんで」
 足先で暗器を軽く蹴ると、頓着無げに視線を返す。敵の背後を取って腱を斬り、致命的な隙を与えた張本人。
 呆れたように視線を受け、乱菊は刀を振って血糊を飛ばした。
「片付いたの?」
「まあ、それなりに。っつーか、雑魚以外を片付けろって押し付けられたんで」
「……東條ね」
「そういや、こないだそう名乗ってましたね」
「ねえ、だったら残りあんたに任せていい?」
「いや、残り…って明らかに、他と違って雪山派の奴なんですけど」
「だから言ってんのよ。面倒なのよね。あの粘着質な戦い方」
「それはまあ……――」
 言いさして、言葉を切る。そのまま、手にした刀を構えて前へ飛び出した。一瞬早く、そして迷わず、乱菊は背後に降りた殺気から身をかわす。
 剣を素早く繰り出した敵。しかし瞬間、視界から消えた乱菊と、入れ替わるように現れた修兵。
 標的の行方を探ろうとする意志は、真正面から打ち込まれた一撃で途切れた。剣を立てて飛び退り、次の攻撃に備えた途端――背後の空間に出現した違和感。
 微かに散じた意識と、真空の刹那。
 喉元。そして心臓の裏。付き付けられた切っ先から、冷気が流れる。敵が感じたのは、押されるように息が詰まった僅かな時間。
 狙い澄まし、背後を取った乱菊。身を沈め、飛び込むように前進した修兵。容赦無い刃先が、敵の身体を同時に斬り裂いた。
「………二人がかりで不意打ちなら、割と簡単なのね。非難されそうだけど」
「結局、戦いってのは先に相手を斬った方が勝ちじゃないスか」
「事実ではあるわね。身も蓋も無いけど」
 あっさり頷いて、身を屈めた修兵を見遣る。
 彼が思い付いたように拾い上げたのは、周囲に土塊と共に散らばっていた、錘で割られた屋根瓦。掌に乗る大きさの、青く、鋭利に滑らかな欠片。
 弄ぶそれを目で追って、乱菊は意味あり気に言葉を継いだ。
「それじゃ修兵、あたしを邪魔しないように手伝って」
「努力します」
「努力じゃ駄目よ」
「……了解しました」
 軽く苦笑を零す。―――同時に動いた。
 振り向きざま、修兵は手にした瓦を鋭く投じる。曲線を描く屋根の端。音も無く現れた黒い影。向けて放った欠片は、弩弓の速さにも匹敵する。
 しかし、飛来するそれに対し、差し出されたのは左の手。剣指を作った指先に、青い欠片が出現する。否、其処で、飛んだ欠片が前触れ無く止まる。互いが拮抗する刹那の時間。耐えかねたように、瓦は弾けるような音を立て、分離するように木っ端に砕けた。
 咄嗟に、間合いを詰めかけた乱菊が、後ろに跳んで距離を取る。油断無く見詰める先で、黒々とした塊が蠢き、身を起こして人影を作った。
「何処の誰かは知らんが、礼儀を知らぬ輩だの」
「生憎、俺の目的はてめえらを倒す事だ。第一、戦いの最中に礼儀の有無もねえだろ」
 驚愕を押し、修兵は眉を顰める。声から察するに老人だ。長年武林を生き残ってきた老獪な人間は、技術と膂力に頼る者より遥かに厄介な敵になる。
「鬱陶しそうなのが残ったわね」
 思考を読んだように、静かに移動し、修兵の傍らに戻った乱菊も呟いた。彼の台詞を鼻で笑って黙殺した相手は、存外に身丈が有る。にも関わらず、やや屈んだように背を丸めた姿は、どこか不気味ですらあった。
「外部の人間を引き込むとは、絳河鏢主は何を考えておる」
 声は低く、表情の変化に乏しい。距離があってもはっきりと耳に張り付くのは、相手の使う内功の成果。零落した門派にも、底の知れない使い手は残っていたらしい。皮肉な思いで、乱菊は己に向かう視線を睨んだ。
「それをあんたに言われたく無いわね。雪山派は剣派でしょ? 暗器や打撃系の武器の使い手がいるとは聞かなかったわよ」
「大方、山賊連中引き込んだんだろーよ」
「それに加えて他門派さ」
 周囲で途絶えた殺気を証明するように、東條と有栄、そして傍観に徹していた有信とが主楼の瓦を踏み締める。
「大雪山の周辺で、雪山派の影響力が届く場所から掻き集めた者達だ。詰まる所、現在の雪山派だけでは頭数も揃えられんという事さ」
「弱小集団ばっかとしても、良く集まったモンだ。あの辺軒並み、鏢主が平らげたじゃねーか」
「現状が気に入らない人間は、何処にでも居るものだからな」
「……分かったような口を利きおって」
 苦々しげに、乾いた声が吐き捨てる。
 主楼の上の六つの人影。敵意と警戒に彩られた気が満ちた。





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