風道


「ねえ…帰んないの?」
「帰りますよ」
「それじゃ、何でいるのよ」
「送って行きます」
「……そ」
 月影に川筋が浮かぶ。軽やかに奔り始めた風に、水陰草が波打った。
 急ぐ訳でもなく歩き出すと、少し離れてのんびりした歩調が後ろに続く。彼方には、夜に沈んだ木々と屋根。此方には、枝葉を払って抜ける風。闇を透かして届く影。
「修兵」
「何スか、乱菊さん」
「こんなとこで何やってたの」
「別に乱菊さんと変わらないと思いますけどね」
「具体的には?」
「何となく。ぼんやりと」
「ふーん……」
 話しかけても、殊更振り向く事はない。修兵も、微妙な距離を取ったまま。そしてお互いに、分かったような分からないような。そんな遣り取り。
「―――乱菊さん、何処行くんスか?」
「隊舎」
「いや明らかに道外れてますけど」
「近道よ」
「ホントなんスか?」
「知らなーい」
「何ですかそれ」
 呆れたように言いながら、それでも距離は変わらない。そのまま足を、広がる草地に踏み入れた。
 草の匂いに夏が残る。そのまま進むと、いつの間にか、虫の音に辺りを囲まれた。
 先を行く影が立ち止まり、続く影もそれに倣う。
「帰らないんスか?」
「帰るわよ」
 言って、だが乱菊は動かない。
 其処此処からは、虫時雨。
「……なら、泊まっていきますか?」
「何処に」
「此処に」
 聞いて、初めて振り向いた。
「野宿じゃないの」
「草枕って言うんスよ」
「……知らないわね」
 一瞬置いて、袂を返す。
「やっぱ帰るわ」
「いいんスか?」
「いいの。――別にあんたは残っていいわよ?」
「遠慮します。乱菊さんが一緒なら、いつでも大歓迎っスけどね」
「……くっだらない」
「うわ、酷ぇ」
 修兵の苦笑混じりの言葉を背に受けて、乱菊はゆったりと歩き出す。
 彼方には、夜に眠った木々と屋根。此方には、夜闇薙いで渡る風。高草に、声影隠しそよぐ秋。





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