弄月


「乱菊さん。珍しいっスね」
「どういう意味よ」
「だって残業も隊長に押し付けるタイプじゃないですか」
「人聞きの悪い事言わないでくれる?」
 開け放した執務室の窓越しに、乱菊は眉をひそめてみせる。
「日番谷隊長は?」
「とっくに帰ったわよ。その後寝てたら寝過ごしたの」
「……取り敢えず、何処らへんにツッコミ入れりゃいいっスか?」
 夜。深夜と言うほどの時間帯ではなかったが、それでも隊の通常業務はとうに終わっている。部下を帰した後、九番隊副隊長であり、隊長代理でもある自らの仕事をまとめて片付け、十番隊の隊舎を通りかかったところに、この会話。
「任務だったの?」
「まあ。あと、隊の業務が溜まってたもんで」
「大変ね」
「お互い様っスよ」
 苦笑する。この状況下、どの隊も大変である事には変わりない。乱菊は空を見上げ、そして寄りかかっていた窓から唐突に身を起こした。
「ちょっと飲んでかない?」
「執務室でですか?」
「こういう時の備えはしてあるわよ」
「……じゃあ、月見酒っスね」
 至極当然のように言う乱菊に、修兵も敢えて反論せずに同意した。
 今夜ばかりは、部屋の中でも月は燈を許さない。雲を退け、星の消えた夜天に、ただ月だけが懸かる。
 月影は白く、そして蒼い。地に伸びる陰の中にさえ、闇の存在を認めない。深まる宵の中、どこまでも届く月は、容赦なく全てを照らしていた。
「凄いわね」
「最近、月なんて見た記憶が無いっスよ。やけに夜が明るいなとは思ってましたけど」
「満月を見逃さなかっただけでも儲け物ってトコかしらね」
 諸々の作法は横に置き、それぞれ手酌で注いで杯を傾ける。くっきりと影を描いた床の上で、自然と交わす言葉は少なくなった。
 雪の日にも似た、深深とした夜。その奥から、虫の声が届く。息遣いさえ密やかになり、動きを止めると、そのまま夜に溶けていきそうだった。
「―――寝るの、勿体無いわね」
「どうしたんですか、突然」
「勿体無いと思わない?」
「……………」
「修兵」
「………俺、明日仕事なんですけど……」
「いーのよ。一日二日寝なくても死にゃしないわ」
「それなら、飲みに行きません?」
 唐突な話題に、唐突な切り返し。
「これから行くの?」
「朝まで執務室で飲むほど酒あるんスか?」
「……流石にちょっと足りないかもしれないわね」
「じゃ、行きましょう」
 それで話が纏まった。
「丸いわねぇ……月」
 開けた空から隈なく注ぐ月影を、その身に浴びて歩く。
「十五夜を見たら、十三夜の月も見るものなんスよ」
「そうなの?」
「まあ、そう言う所もあるってだけの話ですけどね。でも、どうせなら両方見た方がよくないですか?」
「けど、十三夜って満月じゃないわよね?」
「綺麗なのは変わらないって事っスよ」
 石畳の道。外に他の光は要らず、そして隊舎の窓から道に射す光も殆んど無い。
「皆寝てんのかしら」
「夜ですからね」
「でも、起きてても分かんないわよね」
「灯りが要らないっスからね、今夜は」
「寝たら怒るわよ」
「寝ませんよ」
 この光の下で、心に兆す影は無い。照る月は只、全ての闇を消す。





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