叢薄


 空に向かって高く伸び、風にさざめく黄褐色の波。
 少しの間見なかった。ただそれだけで、そこは以前の景色とは異なるものへと変化していた。
「……驚いたな。いつの間に生えたんだ?」
 呆気に取られて呟くが、応える者はそこにはいない。発した言葉は、草の間に吸い込まれる。
 眼前で揺れる波。それは、重く穂を垂らした花薄。
 新たに生えた訳ではなく、花穂が出、茎葉がその色を変えただけなのだが、あちらこちらで緑に交じって群れている姿は、ある日突然出現したかのように錯覚させた。
 来たとはいっても、別段、どこかに用事があった訳ではない。何とはなしに足の向くまま赴いて、そこで彩りの余りの違いに面食らった。それだけだ。
 だから、自分はここで何をするつもりもない。だが、妙に去り難く、試しに手近な薄へ近付いてみる。
 堅く乾いた茎の感触。風に揺れ、花穂が頬をくすぐった。
 そのまま誘われたように分け入ると、伸びた薄は長身の修兵でさえ覆い隠そうとする。足元では、茎が軽い音を立てて折れていき……しかし、折れない茎が垂れかかり、折れ切らない茎が身を起こし、作った道は半端な跡しか残さない。
 半ばで折れる茎も、根元から倒れる茎も、そのどれもが歩みを妨げ、自然と足元は不安定になる。ともすればつんのめりそうになるのだが、しかし、一度踏み入れてしまうと、引き返すのも癪な気がする。
 奇妙な気分になりながら、同時に意味もなく惹かれる気分を味わって、そのまま薄の林を掻き分けた。
 一つの林を抜け出ると、また近くの別の林に紛れ込む。意味も無く続けるそれは、単なる子供の独り遊びと言っていい。着物や髪に、小穂や白毛が絡み付く。
 様々に行き先を変え、そうしてそれを何度繰り返した事だろう。
「――――!」
 突然、作った道のその先に、林の途切れたその先に、予想外の人物を見付けて――しかし、修兵の驚きはすぐに、広がる喜びへと変化する。
「乱菊さん………」
 咄嗟に口から出た言葉。自分で聞いて、一瞬後にその微かさに自嘲した。
 開けた草野が木々の中へと迷い込む。二つの場所が緩やかに交わる境界で、木の幹に背中を寄せて眠る人。
 自分が無粋な闖入者になってしまったように感じたのは、どれもが余りに穏やかだった為。
 そうして立ち尽くした修兵の背後で、薄の波が一際大きくざわめいた。
 見返せば、それらは無数の差し招く袖。
「―――参ったな……」
 全て知っていて、呼んでくれたのかもしれない。冗談交じりの言葉では、伝え切れないこの気持ちに。本当は、容易に声にも出来ぬこの想いに。
 無意味な思いを巡らせる。これがそれ程の偶然故に。
 暫しそこで立ち止まり、そうして自分も、少し離れて座り込んだ。纏わり付いた穂の欠片を乱雑に払い、幹を背にして、眺め見るのは薄と寝姿。
 心地好い、土の香りに乾いた波音。
 秋の日に、そこを流れるのは穏やかさ。
 目を覚ましたら、自分の事に気付いたら、何と声を掛けようか。





inserted by FC2 system