綵帷


 染まった葉が、何の躊躇いもなく風にその身を委ねた。
「あ………」
 受けようと伸ばす手を擦り抜けて、紅に染まった一葉が地に落ちる。見下ろして、乱菊は僅かに眉を顰めた。
 何故だろう。あっけなく散る紅葉は、美しいというより口惜しい。
 両手を伸ばし、今度は綺麗に受け止めた。だがそれ以上の感慨は沸かず、意味も無く指先で葉を回すと、宙に飛ばして地に落とす。
 そんな行為を意味も無く繰り返していると、慣れた気配が近付いて来た。
 動きが止まり、何かに堪えるように目を閉じる。
 何故だろう。疎ましい訳ではないけれど、決してそんなつもりはないけれど、それでも今だけは会わない方がよかったのに。
「乱菊さん」
 背後からは、いつも通りの呼び掛けが聞こえる。これで自分がいつも通りに答えられれば、きっと何事も無く過ぎ去る時。しかし半端に開けた口からは、遂に言葉は出なかった。
 紅葉した木々の中、背を向けたまま微動だにしない乱菊に、修兵は微かに首を傾げる。いつもなら、すぐさま返事が返ってくるはずだ。
 自分が何か、気に障ることでもしたろうか。それとも、一人の時間を邪魔されて怒っているのだろうか。
 何より、いつまでそうしてじっとしている気だろう。不審というより不思議に思い、修兵はもう一度口を開く。
「乱菊さん?」
 不意に、乱菊が身を翻した。
「―――――!?」
 勢いよく胸を押され、不意を衝かれた修兵は体勢を崩す。咄嗟に左腕を伸ばし、そのまま後ろに倒れるのは防いだが、地面の上に尻餅をついた。
 そしてそれが、反射的に右腕で支えた乱菊の仕業だと気付く前に、今度は強く両肩を押される。対応しきれず、二人を支える支柱となっていた腕があっさりと崩れた。
「乱菊さ………」
 視線がぶつかる。言葉を切った修兵の顔に、戸惑いが…次いで驚愕が広がるのを、乱菊は思考の奥に残った妙に冷静な部分から眺めていた。
 修兵の両肩に掛かった手。空を見上げた視線の直ぐ先に、乱菊の顔がある。覗き込むように屈められた頭に従って、肩を流れ落ちた金色の髪が、頬を掠めて長く垂れた。
「何……してるんですか?」
「何して欲しい?」
 漸く搾り出した質問に、疑問形の声が降って来る。いつもならどうとでも応じられるはずだが、この状況では迂闊に答えられない。
「……取り敢えず、どいて貰っていいっスか? なんか―――」
「押し倒されてるみたい?」
 不自然な程に無表情な口調。それだけが、途切れてうまく繋がらない思考に引っ掛かる。
「どうしたんですか? 乱菊さん」
 理性を保ち、平静を装っていられるのは、単に頭の中を占める疑問の為。
「どいて下さい。そしたら……ちゃんと話聞きますから」
「話す事なんて無いわよ」
「じゃあ、どうすればいいですか?」
「………そうじゃないわよ」
「でも……」
「そうじゃない」
 目を落とし、視線を僅かに逸らす乱菊の手を、ゆっくりと肩から退けて半身を起こす。身体を脇に避け、座り込んだまま強張った手で落葉を掴む乱菊に、修兵は戸惑いながら右手を伸ばした。
「大丈夫ですか? 本当にどうしたん―――」
 瞬間、肩に触れかかった手を、乱菊は鋭く振り払った。
「違うわよ………ッ!!」
 叫んで、舞い上げた紅葉もろともに、目の前の男を抱き締める。
 抱き締められたいのではない。包まれる暖かさが欲しい訳でも、何かをして欲しい訳でもない。
 只、安心したいから。抱かれるよりも、抱いている方が安心できる。内に抱いている方が、外から抱かれているよりも、ずっと強く存在を感じていられる。
 中心を失くし、それを埋める為に魂を渇望する虚の気持ちが少しだけ分かる。共通するのは、確かなものが欲しいから。
 誰でもいい訳ではない。だが、何故この男なのかは分からなかった。分からないまま、身の内で波打つ、激しい流れに流される。
 こんな時でなければよかったのに。こんな時に来なければよかったのに。
 爪が食い込むほど強く抱いても、修兵は何も言わなかった。
 乱菊からは、その顔に浮かぶ表情は測れない。反対に修兵からも、きつく両目を閉じ、ただひたすらに自分を抱き締める乱菊の表情は分からない。
 枝が揺れ、降る紅葉は二人を隠す。
 僅かに瞼を上げれば、積もりゆく葉が次々瞳の中を横切った。
 紅い葉は、いとも容易く風に乗り、そして枝から身を離す。
 舞い降りては地を隠し、舞い上がっては地を染め直す。舞い落ちては水を閉じ込め、流されては軌跡を作る。
 だがどこに降ろうと、行き着く先は皆同じ。
 木々を彩り、山を染め、降りた後もそれらはどこかを彩り続ける。色が落ち、大地に混じり、全てが世界に溶けるまで―――。
 自分は一体何を望んで、何を願っているのか。
 己の奥底に言い知れぬ空虚を感じて、乱菊は、一瞬緩めた腕に一層強く力を込めた。





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