棲宿


 降り重なり、そして風に押されて地面を滑る。土の黒、苔の深緑、草の枯色。赤を落とすは紅葉の葉。
 揺れる枝に促され、気付いたように一葉が散り、つられて幾つも続いて落ちる。風の音、時折聞こえる遠いざわめき、鳥の声。それらがあっても、庭は静か。
 待ち人も、訪ねる人も今日は無い。それが分かっているのは気が楽で、そして少しばかり気が抜ける。
 縁側から散る葉を見送り、そしていつしか動くのさえも億劫になった。柱の一つに背を寄せて、休日は何をするともなしに只過ぎる。
 そんな時が作るのは、落ち着いた、揺らめきの無い静かな水面。心の面がそうなれば、見通しの効くそこを抜け、いつしか意識は奥へ奥へと潜って行く。
 いい加減、飽きないものだと自分で思う。何度も何度も考えて、結局何も掴めない。そんな事はとうに分かっている筈だ。
 どれだけ道を進んでも、足元には変わらず過去が纏わり付いている。仕様が無いと諦めたのは随分昔。しかしそのまま放っていても、必ず何かの拍子に足を取られる。
 一体いつまで、こんな調子が続くのだろう。そして自分は、結局何をどうしたいのだろうか。
 思って、そこで目を引いたのは、枝を離したばかりの紅葉の葉。
 前触れも無く強まる風に舞い上がり、しかしそれは一瞬置いてあっさり落ちる。自分まで、届きそうで届かない。その後舞う葉もどれも同じ。
 待っている訳ではないけれど、それでもやって来ないのは悔しくて。いつの間にか乱菊は、その場で身を起こしていた。
 木目を浮かせた塗りの右近下駄を庭先に落とし、突っ掛けるように履いて庭へと下りる。風が無ければ陽は温い。そんな天気に、裸足の足が少しだけ冷たいとは思ったが、それも構わないと進み出た。
 枝の下まで辿り着くと、折り良く枝が大きく揺れる。
 だが、いきなり吹き付けた乾いた感触に、乱菊は慌てて顔を背けた。頬を撫で、髪を掠め、胸にぶつかり、肩に乗って、どの葉もそれぞれ足元へと舞い降りる。驚く自分をよそにして、何事も無く舞う赤い葉に、只々妙に可笑しさが募った。
 くるりとその場で身を返すと、今度は散る葉が背に当たる。やんわり自分の背を押して、するりと傍らを抜ける風。生真面目に向き合っているよりも、こちらの方が面白い。
 両手を横に真っ直ぐ伸ばせば、風を遮り、飛ぶ葉を掛けて小紋の袖が翻る。下駄を擦って落ち葉が動き、弄ばれた髪の束が勢い余って顔に掛かり、金の色を梳くように、赤い色が髪を滑って流れ去る。
 深く呼吸し、柔らかな空気が胸の奥まで流れ込むのを感じ取ると、吹く息と同時に腕を下ろした。
 何故だろう。そうしているだけで、独りではない気がする。そうしていただけで、煩わしさが消えていった気がする。
 それは、降る葉が撫でてくれるせいかもしれないし、通る風が相手をしてくれるせいかもしれない。枝葉が擦れて出す音さえも全て優しく感じてしまうのは、自分が存外に人恋しい気分であったらしいと気付かされて、それはそれで癪だけれど。
 前から吹き付けた風も、自分がそうしようと思いさえすれば、そのまま背を押す力に変わる。そうでなくても、同じ方向からいつまでも向かい続ける風は無い。道は平らなのだと限らないから、ここから上って行く道もあるかもしれない。
 ふと思う。
 過去を忘れる事などできはしない。消し去る事など元よりできない。けれどそうする必要も、それを思い悩む必要も無い。
 そう、ただそれだけを、自分の中で分かっていれば十分だ。
 今なら、誰かが来てくれればいいと思う。誰も来ないまま、こうして一人戯れていてもいいけれど。
 ふわりと空を見上げた視線。その先で、頃合いを計って飛んだ一葉が、昇る風に高く乗る。





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