候鳥


 下駄の底が、地面を流れる葉を止める。影を落とす木々は鬱蒼とし、聞こえる葉音はそれだけ大きい。
 十番隊舎。これまで訪れた事は何度もあるが、非番の昼間に宿舎部分にまでやって来た事は無い。見咎められても適当に言い逃れる自信はあったが、幸い、周囲には人影自体見当たらなかった。
 人目の無いのをいい事に、庭を回って訪ね行く。奥まった方へと進んだ所で、思い掛けなく彼女を見付けた。
 黒地に滲んだように散った菊花の小紋。木賊色に鳥の子色の麻の葉文様の半幅帯。当然ながら、平素見る死覇装姿とは全く違う。
 立ち尽くし、風に降る葉を己に散らす。それは目にも鮮やかで、そして酷く近付き難い。
 敢えて霊圧を抑えていても、もう少しでも近付けば、流石に彼女も気付くだろう。それが分かって、動けなくなる。
 気付けば自分は僅かに退いて、ざわめく木陰に紛れていた。
 間にあるのは、暖かく滲んだ真昼の陽射し。次第に積もる落葉の波音。視界を占領するのは赤い色。
 遠景の山は紅葉と黄葉とで織った橙のぼかし。だが、前に開けるこの庭は紅葉。鮮明な赤が、己の存在を只ひたすらに主張する。
 その中に立ち混じる事ができるほど、自分が彼女にとって特別に印象のある人間だとは思えない。寧ろ、そこに出て行ってしまえば、どうという事のない存在だとはっきり思い知らされてしまいそうだった。
 他でも無い、己自身から出た気後れに囚われて、そこから全く身動きが取れなくなる。遠ざかる事も、近付く事もできないのなら、他に一体どうすればいいだろう。
 そんな修兵をよそに、風は変わらず吹き抜けて、紅葉は同じく降り積もる。
 躊躇いなく彼女に触れる葉を羨ましいと思ったが、束の間触れて、落ちるだけでは意味が無いとも思い直す。
 現実にはそんな筈も無い。だが、葉が散るごとに彼女の姿が隠されていくようで。彼女が遠ざかっていくようで。無闇に落ち着かない気分になった。
 しかし同時にまた、それを止める術を持たない自分にも気付く。
 そう、自分には何も無い。そして時々、何かをするのではなく、何もしない事が彼女の為なのではないかと思う事がある。
 他から敢えて少し距離を取るのも彼女なりの考えならば、自分はそれを無視してまでも踏み込むべきではない。何より、そうしてしまえば全てが崩れてしまうかもしれないのだから。
 続けて思って、自嘲した。何と理由を付けようと、結局のところ、全ては彼女ではなく自分自身の為でしかない。
 要するにそれが心というものだと。言い切ってしまえばそれまでの事だが。
 延々と無意味に思考を巡らせて。そして彼女を目前にしてですら、尚も躊躇う自分自身に苦笑する。自分がどれだけ悩んだところで、それでは何も伝わらない。そして結局何一つとして変わらない。
 心を定めて、降りて重なる葉を踏み締めて。修兵は、新たにそこを道と成す。
「乱菊さん」
 弾かれたように振り向いた顔が純粋な驚きに固まって、見開いたその瞳が自分の姿を大きく映す。自分の顔に自然と笑みが浮かぶのを、修兵は頭の片隅で自覚した。
「一緒に、どっか出掛けませんか?」
 そして言葉は、思いの他にあっさりと出る。佇む彼女は、それに何と返してくれるだろう。





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