色見草


 名を呼ぶ声に振り向いて、乱菊は思わず目を見張った。
 秋気に色を柔らかくした木の葉の緑。散りゆく紅葉に比べて目は引かずとも、やはり在るべきその色の下に、思い掛けなくおとない人が立っている。
 訪ねる人があればいいとは思っていたが、それ程期待していた訳でもない。だから少しばかり困惑する。
 そして背景になった緑がそこだけ色を強めて見えたから。そう感じた自分を、少しばかり以外に思う。
 何よりも、
「どっかに出掛けるって、どこによ?」
 そう、返した自分の言葉に驚いた。
 秋日の昼。非番なのは嬉しいが、普段通りに慌しい周囲から取り残されて、どこか身の置き場に困る。そんな中の意外な来客。
「どこでもいいですよ。乱菊さんの行きたいとこなら」
 言いながら、歩み寄って来る修兵は私服姿。
「………珍しいわね」
「何がです?」
「私服」
「あれ? 私服で会った事って無かったですか?」
「あったけど。夜だったじゃない。飲み会とか」
「ああ。そういえばそうですね」
「修兵って、地味な着物が似合うのね」
「まあ、男物はそんなに色や柄が目立つ物が多いって訳じゃないですからね」
「恋次のは?」
「あれは例外っスよ」
 二人、苦笑混じりに、派手な柄物の着物で往来を闊歩する後輩の姿を思い出す。
「普通、着物に変化を付けるなら帯と半襟ですよ。拘ろうと思えば、見えないとこで幾らでもできますけど」
「襦袢とか羽裏?」
「それと腰紐ですかね」
「何をどーやってこだわんのよ」
「刺繍物とかありますよ?」
「女物じゃ、あんまり見ない気がするけど」
「そこをわざわざ気にしなくても、着物と帯の色数からして違うじゃないですか。帯結びの種類も」
「そういうモンかしらね」
「そういうもんですよ」
 言葉を収めた乱菊に代わり、今度は修兵が水を向ける。
「乱菊さんは、そんな感じがいいですよ」
「どんな感じよ?」
「色合わせは落ち着いて、柄は大胆。逆に、地味な着物に明るい帯合わせ…ってとこですか」
「理由は?」
「すっきりしてる方が似合いそうじゃないですか。それと、髪の色」
 言われて乱菊は、肩から落ちる一房に目を向ける。
「最初から、色が一つありますからね」
 金の色。これを殺しては、合わせるどの色も台無しになる。
「……で、乱菊さんはどこ行きたいんですか?」
「いきなりそこに戻るワケ?」
「だって、答え聞いてないじゃないですか」
「突然聞かれても困るわよ」
「なら、どこか適当に…って事で」
「………準備してくるわ」
「じゃ、ここで待ってます」
 それを聞いて、乱菊は庭の中程から部屋の方へと体を向けた。と、
「乱菊さん」
 呼び止められて、軽く振り向く。
「似合ってますよ。着物」
「何よ突然」
「夜だと、はっきり分からないじゃないですか。でも、今はちゃんと見えますから」
「それで?」
「似合ってるって思ったんで」
「別に、誰かに見せるつもりで着てたんじゃないわよ」
「なら、丁度いいんじゃないですか?」
「何が」
「見る人がいるんで」
 言って、ふと、修兵は付け加える。
「お互いに」
 言葉を返しそびれて、乱菊は無言で部屋へと向かう。悔しいから、嬉しいと少しだけ思ってしまった事は言わないでおこう。
 庭土の上には、まだ紅葉が降っている。





inserted by FC2 system