川遠


 裸足の足に履いたのは紺の色足袋。縁側の先に脱ぎ置いたのは、鼻緒が白地に藍の唐草文様の右近下駄。
 部屋から直接庭に出ると、それに気付いた修兵がやって来る。
「手ぶらでいいんですか?」
「持つ物なんて大してないわよ。それより後ろ、ちゃんとなってる?」
「いいんじゃないですか? ちょっと曲がってますけど」
「……直して」
「はいはい」
 片流しに結んだ帯。修兵は、傾いた羽根の部分を少し直して整えた。
「別に曲がったままでもおかしくないですけどね」
「あたしが気になんのよ」
「見えないじゃないですか」
「だから」
 向き直り、乱菊は修兵の顔を軽く見上げる。
「で、どこ行くの?」
「歩いてれば、そのうち何か決まりますよ」
 歩き出し、最初に向かうのは隊舎の外へと続く道。
 昼の間は、どこも静けさと慌しさとが奇妙に区分されている。道に人が少なく、塀の中に気配が集まり、それ以上が各所に散っているのは常の事。余程の事が無い限り、それらに変化は見られない。
 変化が見えるとすれば、それは周囲を廻る景観の方。二人が歩く整然とした道にも、そこかしこから伸びた枝が各々の色を覗かせる。外れた方へと足を向けると、その色数が多くなった。
「みんな忙しそうね」
「まあ、いつもの事ですよ」
「周りが働いてんのに自分だけ休んでるって、変な感じがするわ」
「いつも何かにつけて仕事サボろうとしてるのは誰ですか」
「それとこれとは違うわよ」
「そうなんですか?」
「そーなの」
 気配から遠ざかるようにして、踏み込んだのは土の道。そこでは、生えた木々の根元は吹き溜まり。掃かれず積もった落葉の色は、それらの変遷を直截に伝える。
 道の半ばを空から隠した樹の枝葉。風が通れば、色付いた葉が暫し遅れて道に降る。
「遠出したい気分ね」
「どこまで行きます?」
「すぐ帰って来れるとこ」
「それ、遠出って言えますかね」
「気分の問題よ」
 見上げるほど高い空も、見渡すほど広がる色も、触れるほどに伸びた枝も、心を不思議と引き寄せる。
「だったら、その間を取りますか」
「どうすんの?」
 答えの代わりに、修兵は乱菊の手を引いた。
 道を外れて、そのまま木々と草の間に入り込む。程なく抜けると、そこは草木が覆ったなだらかな斜面。
「足元、気を付けて下さい」
 少しばかり下った先。間近にあるのは川の音。
「あんたの基準で、間を取ったらこうなるの?」
「気分的にはそんな感じで。駄目ですか?」
「悪くは無いわね」
 改めて目を向ければ、対岸には水面を覗き込むように伸びた木々。緑を混ぜて、染める色の大半は赤。葉の色合いがより一層澄んでいるのは、川波に運ばれた風の為か。
「―――修兵。いつまで人の手握ってるつもり?」
「手首ですけど」
「同じでしょ」
「離した方がいいですか?」
「……何であんたはそういう聞き方しかできないの」
「さあ、何でですかね」
「…………あーもう、いいわよ。どっちでも」
 投げ遣りに言って目を逸らすと、隣で微かな笑いが空気を揺らす。
 上流の先は、錦を織り、そして解いた山姿。この場所は、遠く近く、色を集めた川の端。





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